主よ、私の歩みに何か意味はあったのでしょうか。
あなたはいくたびか、私を倒し、砕き、悲しみの淵に投げ入れました。
私は嘆き、深い傷を負い、それでもまた立ち上がり、歩きました。
しかし、また打ち砕かれ、渇き、見捨てられました。
私は打ち捨てられ、もはや希望もありません。
私は虫けら、打ち捨てられた瓦のようなものです。
主よ、いつまでなのでしょうか。
いつまで嘆き、渇き、苦しまねばならないのでしょうか。
嘆きの淵から私がこう呼ばわると、主は答えられました。
「恐れるな、私が常に共にいる。
あなたの足が踏む大地は誰がつくったのか。
あなたが日々に飲む水を天から雨としてそそぎ、もたらしたのは誰か。
あなたの日々の糧は、誰が与えているのか、誰が創ったものか。
恐れるな、私は常にあなたと共にいて、あなたを支える。
あなたが苦しむ時、私の膓はともに苦しみ、
あなたが私に立ち帰る時、私の心は喜び踊る。
主の目には、人の千年は一日のようなもの。
あなたが主に立ち帰ること以外、何ほどの価値があろうか。」
主よ、御許に立ち帰ります。
私を導き、お守りください。
私は主に導かれる羊、
あなたがいれば、羊は迷わずに歩めます。