雑感 モーゼとイザヤ

今日は、暑さのせいか、甚だ疲れて、なんともはや落ち込んだ。


参院選も、おそらく自民党が圧勝するかと思うと、何を言ってもむなしい気持ちがし、深い絶望感にうちひしがれる。


人生も、ままならないことばかり。


と、そんな時に、ふと、モーゼとイザヤを思うと、非常に元気が出た。


こんなことを言うとおおげさかもしれないが、ありありとモーゼとイザヤの霊を感じた気がしたほどだった。


仏陀やイエスはあまりにも偉大過ぎて、おそらく凡夫の苦悩やさびしさや挫折感は、もちろんよく御理解され、見抜いて思いやる智慧や御心は持たれていたと思うけれど、どうも御本人自体は生れた時から無縁だったような気がする。
そのうえ、たぶん一千年とか一万年ぐらいのスパンで人類を見ておられるので、凡夫が直面する社会や時代の一過性の問題など、そもそもあまり眼中にないようで、土台関心がなさそうである。


それと比べると、モーゼやイザヤは、目の前の民の苦しみや、このままでは時代や社会が直面するだろう課題や、あるべき道に導こうとするビジョンや努力や、苦悩や挫折に、その生涯が満ちていたと思う。


仏教やキリスト教はすばらしい宗教だが、それとは異なる、ユダヤ教の素晴らしさは、そこにあるような気がする。