絵本 「まちんと」

まちんと (絵本・平和のために(1))

まちんと (絵本・平和のために(1))


この「まちんと」という御話、私はもうかれこれ二十数年ぐらい前、たしかに小学校で読んだ記憶がある。


話の筋も忘れてしまい、どのような絵だったかも忘れてしまって、それが絵本だったのかあるいは読み物だったのかすらはっきりと覚えていなかったのだけれど、たしかに「まちんと」というタイトルと、とても印象的で悲しい物語だったというその時の思いだけは小半世紀経ってもはっきり覚えていた。


それで、ふと探して読み直した。


想像以上に、深く心に響く絵本だった。


広島の原爆の時に、トマトを口に入れるとよろこび、もっとトマトを食べたいと言いながら、亡くなっていった女の子。
必死に、自分自身も焼けただれた身体でありながら、炎の街の中をトマトを探して歩いたお母さん。


「まちんと」というのは、「もっと」あるいは「もうちょっと」という意味の言葉だったらしい。


その女の子は鳥になり、「まちんと」と今も鳴きながら飛んでいる、というところでこの物語は終わっている。


この絵本の作者の創作ではなく、当時誰ということはなく、広島でいつの間にか語り継がれるようになった物語らしい。


私は、もう長い間題名以外はこの話を忘れていたし、ほとんど思い出すこともめったになかった。
しかし、心のどこかに、この「まちんと」という響きが、この女の子の魂の鳥の鳴く声が響いていたから、核兵器だけはなんとしてもなくしたいという願いを忘れずに来たのかもしれない。


この「まちんと」や、こうした物語を読んだうえで、私は日本の核武装などは、やはり神仏の前にどうしても主張することができない。
理屈ではない、倫理の問題なのだと思う。


小半世紀ぶりに読んで、あらためてそのことを確認することができた。


多くの人に読んで欲しい、本当にすごい絵本だと思う。