箴言は、しばしば耳に痛いことや痛烈な言葉が書かれているが、以下の言葉もそうだった。
As a dog returns to its vomit,
so fools repeat their folly.
(Proverbs 26.11)
犬が帰って来てその吐いた物を食べるように、
愚かな者はその愚かさをくり返す。
(箴言 第二十六章 第十一節 口語訳)
犬が自分の吐いたものに戻るように
愚か者は自分の愚かさを繰り返す。
(箴言 第二十六章 第十一節 新共同訳)
犬がげろに戻ってくるように、
愚者は自らの愚かしさを繰り返し続ける。
(箴言 第二十六章 第十一節 自分訳)
ケヘレヴ・シャヴ・アル・ケオー・ケスィール・ショネー・ヴェイヴァルトー
私は犬の生態はあまり詳しくないので、犬が本当に吐瀉物のある場所に戻って来るのかはよくわからない。
むしろ、犬は人と違ってすぐに避けていくような気もする。
しかし、人間がはしばしば、愚かさの繰り返しに終止符を打てず、ずっとぐるぐると同じことを繰り返す。
それは、洋の東西や時代にかかわらず、しばしば見られる。
小渕政権の時に、大量に国債を発行し、一時的には景気は持ち直した。
しかし、また景気は悪くなり、かえって財政は悪化した。
麻生政権の時もそうだった。
今また安倍政権は同じことをしている。
要素価格均等化が強く働き、生産年齢人口の減少により需要が減るという長期的な傾向は、日本にとってはもはや容易に変えることができない条件である。
この中で本当の意味で改善させるためには、国の体質を変えるしかない。
それには、産業構造の転換と強い社会保障が不可欠である。
しかし、その二つとも、安倍政権はやっていない。
また、大量の国債発行によるばら撒きに走っているだけである。
安倍さんや自民党が愚かしいというよりも、上記の箴言にぴったりなのは日本国民自身なのだろう。
財政や経済・社会保障に限らない。
原発事故を繰り返さないために、何をすればいいのか。
もはやこの問いすら忘れて、エネルギー政策の転換も、核の四面体構造へのメス入れも、私たちは忘れつつあるようだ。
政府がというよりも、国民がそうであればこそ、政府もそのようになるのだろう。
戦争についても、戦後の日本は二度と昭和初期の破局を繰り返さないようにしたいという強い思いや志があり、それに基づいて多くの人が精魂を傾けてさまざまな思索や言葉を紡いできた。
が、それらももはや忘れられつつあるのかもしれない。
人が愚かさを繰り返すか繰り返さないかは、ひとえに記憶と思慮によるのだろう。
それが知恵というものだろう。
箴言は知恵を愛し、知恵を忘れないことを繰り返し懇切丁寧に勧めている。
結局、どのような古典や、どのような人が、何を言おうと、その時々の人が耳を傾けるかどうかなのだろう。
聖書でも、ヨナの言葉に耳を傾けたニネベの街の人々は救われた。
しかし、ソドムとゴモラをはじめ、耳を閉ざしていた街は滅ぼされた。
今後日本はどちらを選ぶのだろう。
後で振り返った時に、財政やエネルギー政策について前々から警告を発していた人々は、私たちにとってのエリヤやエレミヤだったと思う時が来るのかもしれない。