マーク・トウェイン 「人間とは何か」

人間とは何か (岩波文庫)

人間とは何か (岩波文庫)


とても面白かった。
読みながら、漠然と考えていたことがしっかり書かれているような、また、ガツンと頭を一発やられたような、そして、たしかにこれは面白い意見だという、そんな感想を持ちながら読んだ。


一般的にはよく、マーク・トウェインの晩年の悲観的な人間観を表現した作品だと言われるようである。


しかし、私はこの本を読みながら、しばしばかなり笑わされた。
特に、無神論からキリスト教の布教者になった若者の話や、バージェスとアダムズの話などは、抱腹絶倒したものである。


マーク・トウェインとしては、別に自分は悲観的なつもりなどさらさらなく、むしろユーモラスでおかしな人間というものを笑い飛ばしながら、事実をあるがままに指摘しようというつもりだったのかもしれない。


この本は、老人と青年の二人がプラトンの対話編のように対話する。


老人は、人間とはしょせんは機械みたいなものであり、自分の心の満足を追求するだけに過ぎないと言う。
そして、何を満足と感じるかは、結局、気質と教育の二つによるという。


そして、老人は、人間の考えや思想などというのは、すべて外から与えられたもの、教育という外の力によって与えられたものだという。


そんなことを言ったら元も子もないと青年は反論するのだが、老人はさまざまな事例をあげ、考察しながら、人間はしょせんは外から与えられた力によって動かされ、自動機械のように考え、行動するだけのものであり、自由選択はあっても自由意思など存在しないと述べる。


さらには、「私」などというものは確たるものではなく、心の感情的な部分や知性的な部分や身体の集まりに過ぎないという、かなりすごい考察も示す。


この本ではあんまり自己責任については論じられないが、自由意志が否定されるので、当然自己責任というのも、あんまり大した話ではなくなるのだろう。
人間というのは、生まれた環境や周囲の人間関係や持って生まれた気質によって大きく左右されて、それほどその他に違った生き方ができるわけでもなく、あんまり本人の意志によって変化するものでもないとしたら、自由や自己責任というのは、実は大変不幸な、虚妄の考えなのかもしれない。


とはいえ、この本で、本人が満足を求めるとしても、その満足がどれも同じ次元だと言っているわけではない。
できれば、本人も周りも満足し幸せになるようなものややり方で満足を求めた方が良いと言っており、そのような教育は肯定されている。


どう読むかでだいぶ評価や結論が変わってくる本だと思うが、私はかなりインパクトを受けたし、とても面白く読んだ。
凡百の人間論や人生論よりは、よっぽど面白いだろう。


たぶん、マーク・トウェインは、このように考えた方が人間はラクだし、あんまり自由や自己責任ということで悩み過ぎなくてもいいのではないか、かくも滑稽なのが人間なのだ、と言いたかったのではないかと私は思う。


マーク・トウェインの晩年はけっこう苦労が多かったそうで、そのためにペシミスティックになったという解釈があるようだが、そうではなく、人間がどうしようもないものだからこそあるがままに肯定し、そして笑い飛ばそうとしたという風に、私には思える。