ヘミングウェイ 「老人と海」

老人と海 (新潮文庫)

老人と海 (新潮文庫)

この小説は、なんと言えばいいのだろうか。


読みながら、ひどく退屈なような気もしたし、一方で、とても面白かったような気がした。
深い内容な気もしたし、浅いような気もした。


なかなかうまく形容できないが、物語は単純。
ある年老いた漁師が、海で巨大な魚と格闘し、ついに仕留める。
その魚はあまりに大きくて船に引き上げることができないので、横に縛って港まで帰ろうとするが、途中で鮫に何度も襲われ、ついに骨だけになってしまう。


老人が渾身の力を振り絞って闘ったことは無駄だったのか。
また、魚の死も、その魚を食べようとして老人に殺された鮫の死も無駄だったのか。


徒労のような気もする闘いだったが、その一方で、そこには渾身の力をこめた、緊迫した生のドラマがあったことも事実。


思えば、人生というのも、そのようなものかもしれない。
長い忍耐や、必死の格闘。
そして、その成果たるや、束の間のもので、結局最後はすべて無に帰すのが、生れてから死ぬまでのこの人間の人生というものかもしれない。
必死に生きて戦っても、最後は手ぶらで死んでいかないといけない。
老いや生きるためのややこしいさまざまなことや病気や痛みも始終降りかかってくる。
運不運にも左右される。


しかし、にもかかわらず、この老人は、あえて闘った。
全力で生きた。
そのことを、ヘミングウェイは伝えたかったのだろう。


ほとんどの人は老人のこの格闘の意味もわからないし、覚えてもいない。
最後は、観光客が、やたら巨大な魚を、ちょっとだけなんだろうと思いながらも、あまり気にもとめない様子が描かれる。


しかし、老人と友達の少年だけは、涙を流して戻ってきた老人のために飲み物を用意し、疲れ果てて眠っている老人の介抱をする。
きっと、その少年の心の中だけには、老人は英雄として残っていくのだろう。


人間は、精一杯懸命に生きれば、決して多くの人の心にではなくても、ほんのわずかには、自分のことを理解し、心にその姿をとどめてくれる人がいるのかもしれない。
それだけで、その人の人生は十分立派なのだと思う。


生きることは大変だが、冒頭の方で、長く運に見放されていてなかなか漁がうまくいかない老人が、それでも自信に満ち溢れ、決してうなだれたりしない様子は、胸を打つものがある。
人は、どのような状況でも、たしかに自信を持って生きるべきなのだろう。
そして、全力を尽くして、生きて闘うべきなのだろう。


そんなことを考えさせられる作品だった。