リンカーン暗殺事件についての特集番組。
よく調べてあって、面白かった。
リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブースは、幼い頃は豊かで幸せで自由な少年時代を自然の中で送っていたそうである。
若くて端正な顔をしていて、どうしてあんな事件を起こしたのか、多くの人が理解に苦しんだという。
ブースの父はアメリカを代表する舞台俳優であり、兄も俳優で、自分自身も俳優だった。
ブースは、黒人奴隷制は、黒人にキリスト教と文明をもたらす良いもので、廃止をしようとする方が間違っていると考えていたそうだ。
また、南北戦争の間、俳優として自分がブランクが生じ、俳優として怠けていたこともあり、急にはスターには戻れないことを、逆恨みしてリンカーンに憎しみを抱いていたそうである。
いかに恵まれていようと、本人自身の考えがどうしようもなくゆがんでいると、人はとんでもないことをしでかすということなのだろう。
人間の人生を決めるのは、環境や条件ではなくて、結局は本人自身なのだろう。
リンカーンとは逆の意味で、ブースを見ていると、そのことを考えさせられる。
艱難辛苦の中で育ちながら、言葉の力と道徳の力を発揮して、民主主義を通じて世の中を変えたリンカーン。
それに対して、恵まれた条件に育ちながら、リンカーンを暗殺したブース。
建設と破壊と。
人間はどちらにもなりうる存在なのだろう。
どうも、昨今の日本は、民主主義という時間と労力のかかるものを担う根気が失せてきているのではないかという気がする。
ブースほど一足飛びにテロには向かわなくても、手間暇のかかる建設や維持補修よりも、手っ取り早い改革に飛びつく傾向があるようである。
リンカーンよりブースのような心情や風潮が増えてきているとしたら、困ったものと思う。
後者は本当は破壊しかもたらさない。
前者こそが歴史を創る。
そうこう考えると、我々にとって、リンカーンとブースというあまりにも対照的な二人の人物の生き方は、他人事ではなく、大きな示唆に富むものなのかもしれない。
私たち人間は、生き方次第で、どちらにもなりうるのだろう。
本当に後世に光となっていくのは、地道な努力や、道徳や言葉の力であることは、言うまでもない。