詩 「幾度も輪廻を繰り返してきたのであれば」
幾度も輪廻を繰り返してきたのであれば、
私も幾度か戦場に屍をさらしてきたのだろう。
別にそれが私ではなくても、
さまざま人が、今まで、さまざまな戦場で屍をさらしてきた。
その人には、親もいれば、配偶者もいて、子どももいた。
兄弟もいれば、友人もいて、憎んだ人もいれば、愛した人もいたのだろう。
すべての記憶は忘却の中に過ぎ去って、
また同じことを繰り返すのだとしたら、
なんとむなしいことだろう。
カデシュの戦いや、ペロポネソス戦役や、
鉅鹿の戦いや、源平合戦や、
南北戦争や、一次大戦や、二次大戦や、その他無数の戦場で、
死んだのは、私だったかもしれない。
私の親兄弟だったのかもしれない。
親しい人だったのかもしれない。
すべては忘れてしまったし、忘れ去られてしまった。
ふと風や雨や雪の日に、
遠い古傷が疼く気がするならば、
もう同じことの繰り返しはやめておこう。
さんざん繰り返された涙は海よりも多く、
さらしてきた骨は山よりもうず高い。
同じことの繰り返しにはもはや疲れたので、
せめても書物から学び、
繰り返しを避けるにしくはない。