神社について思ったこと

宗像大社辺津宮の奥に行くと、木々が鬱蒼と生い茂る道がある。
その緑の木立の中をずっと抜けていくと、ずっと奥に高宮祭場という場所がある。
そこは、太古の昔、宗像の神様が降り立ったと言われる場所。


建物は何もなくて、ただ木々が周囲を囲んで伸びている中に、簡単な石の祭祀場みたいなのがあるのと、神籬があるだけ。


言葉ではうまく言えないが、本当に神さびているというのか、神聖な場所である。


おととし、ある外国から来られた尊い方を御案内した時も、とても昔から人々によって大切にされてきた場所の感じがしますね、とおっしゃっていた。


もう一箇所、福岡には伊野皇大神宮というところがあって、そこの社殿の奥の方の、心の御柱のすぐ近くまで行ける場所があって、そこもなんとも畏れの感情が起るというか、とても神聖な場所っぽいところ。


あと、もう十年以上前だが、沖ノ島に行ったことがあるのだけれど、あそこの岩の祭祀場のあたりもそんな雰囲気があった。


神々というのは、目には見えないけれど、こういう場所にいくと、いらっしゃるんだろうなぁという気はする。


「お天道様に恥ずかしくないように生きる」


というのが、古来から日本人のモットーだった。
こういう神聖な場所で、ときどきは神の心に触れて、我が身を省みて、恥ずかしくないように生きることが、折々に大切なことなのかもしれない。


今年は伊勢神宮遷宮の年だそうで、お金があったら私もひさびさにおかげ参りに行きたいなぁと思う。
今年は無理でも、また近いうちに行きたいものだ。


ちなみに、初期仏教の考え方だと、神々が一番喜ぶのは、功徳を回向されることだそうである。
人が善い心で生きたり、善い行いをして得た功徳(つまり心の善いエネルギー)を神々に振り向ける(回向する)と、神々にとってはそれが食事やエネルギー源みたいなもので、喜んでくれると考えるそうである。


少しは、日ごろから何かしら、もらうよりは与えることを、少しでも心に善いエネルギーが発生するように生きて、たまに神社にお参りに行く時は、それらを振り向けることができるような生き方を心がけたいものだと思う。