ミヒャエル・エンデ 「モモ」を読んで


本当に素晴らしい本だった。
これほど豊かな、これほど豊饒なイメージとテーマとメッセージと物語の本が、まだこの世界にあったとは。


この本、実は、二十数年前近所の家のおばあさんの蔵書にあって、最初の部分だけ読んだことがあったのを、読み始めて思い出した。


たしかに、この最初の部分だけ、その時読んだ。
二十数年前の記憶なのに、しっかり覚えてたのが不思議だった。


考えてみれば、実際にきちんと読むまで二十数年かかったのか。
もっと早く、子どもの時から若い頃にしっかりこの本を読めていたら、「時間」の不思議さやからくりをもっと鮮やかに自覚して自由に生きてこれたかもしれない。
でも、いま読むことができて、本当によかった。


人の話をじっくり聞くモモの姿勢。


「俺は俺なんだ。世界中の人間の中で、俺という人間はひとりしかいない。だから俺は俺なりに、この世界で大切な存在なんだ。」


「いちどに道路全部のことを考えてはいかん。わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひとはきのことだけ考えるんだ。いつもただつぎのことだけさ。するとたのしくなってくる。それが大事だな。たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめだぁ」


などのセリフ。


時間と生活。生活とは人の心の中にあるもの。人間が時間を節約するほど、生活はやせほそってなくなっていく。


現在がないと他の二人(過去と未来)はいられない。


時間は一種の音楽。いつも響いているので、とりたてて聞きもしない音楽。とても静かな音楽。風が水の上を吹くと起こるさざなみ。


心が時間を感じとらない時は、その時間はないも同じ。


人間は自分の時間をどうするかは自分自身で決めなくてはならない。


役に立つことばかりだと忘れていく「他のあること」があること、つまり楽しいと思うことや、夢中になることや、夢見ることがあること。


などなどのメッセージは、とても深く心に響いた。


カメのカシオペイアが三十分先だけ見通すことができ、ゆっくり歩むというのも、本当は人は三十分先だけ考えれば十分で、かつせかせかと急がずゆっくりと歩むべきなのかもしれないと考えさせられた。

「道は私の中にあります」
「遅いほど早い」
「先のことはわかります。あとのことは考えません」


というカシオペイアのセリフも、なかなか考えさせられる。


ミスター・ホラの「お前の人生の一時間一時間が私のお前へのあいさつだ」というセリフも、深く心に響いた。


星の声と時間の花という、本当に美しいビジョンも、本当に深く心に刻まれた。


これほどの詩、これほどの物語はめったにない気がする。
まさに、現代人にとって魂の書だろう。


思えば、十八ぐらいの時から、私もかなり灰色の男たちに浸食され、やられてきたような気がする。
とはいえ、完全にやられていなかったからこそ、今この本を読むことができたのだろうか。


もうちょっと早く読んでたならと思うこともあったけれど、きっと人にはしかるべき時にしかるべき縁があるのかもしれない。
今読むことができて本当によかった。
また時を置いて、繰り返し読んでみたい。