城山三郎 「よみがえる力は、どこに」 を読んで

よみがえる力は、どこに

よみがえる力は、どこに


たまたま手にとって読み始めたのだけれど、とても良い本だった。


城山三郎さんの本は、昔、「落日燃ゆ」と「粗にして野だが卑ではない」を読んだぐらいしかないのだけれど、断片的に読んだいろんな記事や、何よりもテレビにたまに出てこられた時のそのまなざしと御顔の立派さで、なんとなく心に残っていた。


それで、ふと見かけたこの本を読んだのだけれど、とても良い本だった。


この本は大きく、城山さんの講演と、未発表の奥さんとの思い出を綴ったエッセイと、吉村昭さんとの対談の三部から構成されている。


講演も素晴らしいもので、組織を強い人間の力で乗り越えていくためにはどうすればいいか、そのようなかつてのいろんな個性的な人々のエピソードが語られ、年齢はただの番号に過ぎず、自分も若い一兵卒と思ってがんばることや、いかに相手を喜ばせるか、損得抜きでそうできるか、ということを、生きた実例として石田礼助本田宗一郎のエピソードから語っていて、とても面白かった。


また、浅利慶太の「自分の時計を持て」と「世の中は不平等なものだと覚悟しろ」という言葉と話は、なるほどな〜っと考えさせられた。


また、「大木の下には草が生えない」というフランスのことわざも、善いことばだなあと感銘深かった。


人生の鐘を激しく叩く、人生の軟着陸なんて考えない、という城山さんのメッセージは、なんだかとても発奮させられるものがあった。


「担雪埋井」という禅語が紹介されていて、これも考えさせられた。
たしかに、人の営みというものは、そうかもしれないが、そうせざるを得ないものなのだろう。


軍隊時代の思い出話から、軍隊がいかに腐敗し堕落し暴力に満ちて、無意味なリンチや制裁に満ちていたかという話も、そうだったんだろうなぁと、そうしたリアルな経験というのは、本当に貴重なものだなぁと思わされた。
その経験から、城山さんも吉村さんも、権威や権力や組織に本質的な不信や距離をとりたい気持ちをずっと持ってきたらしい。
一方で、戦時中に徴兵忌避や徴兵逃れをして、そのうえ戦後になってからそのことを美化して語った人々への不信を語っていたけれど、そこらへんの機微や筋の通し方が、城山さんたちは、しっかりしているなぁとあらためて思われた。


終戦直後は、一千万人餓死者が出ると予測され、リアルにその予測が感じられていたことなど、今となってはなかなか想像しづらい、貴重な体験談かもしれない。


また、他の人の言葉として引用されていた、一人の人間の中には兵士・判事・芸術家・探検家の四つの側面が必ずあって、どれも育てることが大事、というのは、なるほどーっと思った。


「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」


という閑吟集のことばも、そういえば部分的にちらっと聞いたことはあるけれど、城山さんが引用していて、あらためてとても胸に響いた。


いろんな知恵や良いことばがいっぱい詰まった一冊だった。


また、奥さんとの思い出や、深い愛情にも胸を打たれた。


そして何より、城山さんの一生を貫いたのは、戦時中の学徒兵の経験や敗戦の体験からの痛切な問い、


「国家とは何か?歴史とは何か?社会とは何か?人間とは何か?信じるとは何か?私はいったい何者か?死んでいった者たちの代わりにできることはあるか?
いくら時間がかかってもいい、ひとつひとつの問いに答えていくことで、ばらばらになた私自身を作り直そうと思ったのです。」
(64頁)


という問いがあってこそだったし、その問いがずっと一貫し、根底にあったのだろう。
それゆえに、あれほど強い、しっかりした、気骨のある言葉を紡ぎ続けることができたのだと思う。


「観念に支配されない強靭な見方」


という言葉も、文中でとても胸に響いたけれど、これはまさに、このような痛切な問いがあってこそ、はじめてできることなのかもしれない。


俺もこういう自分なりの深い問いを持って生きよう、そして、できれば、これぐらいしっかり生きたいものだと思わされる一冊だった。