後世に残す最大の贈り物をつくるための四つのポイント


内村鑑三は、人間が後世に残していける最も大きなものは何かということについて、以下のように述べている。


「それならば最大遺物とはなんであるか。
私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、そうしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。
それは何であるかならば“勇ましい高尚なる生涯”であると思います。
これが本当の遺物ではないかと思う。
他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。」


つまり、“勇ましい高尚な生涯”が最も大いなるこの世に残していくものだという。


では、その“勇ましい高尚な生涯”とは何かというと、続けて内村はこう定義している。


「しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。
すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。
失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。
その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。」


内村はクリスチャンなので、キリスト教的な内容や表現である部分もあるが、私は仏教徒なので、それを若干仏教的な表現にアレンジしてまとめると、


一、この世の中は決して運命や偶然が支配するものではなく、ダンマ(理法、因果の道理)が支配する世の中であるという信念を持って生きる。


二、もしそうした正しい信念を持って、法則にしたがって生きるならば、この世は失望ばかりしなければならないものではなく、大いに希望を持って、その希望を達成することができる世の中であるという信念を持って生きる。


三、この世の中は必ずしも悲しみや嘆きや心の乱れる中で生きねばならないものではなく、そうした心の動揺や混乱を超えて、全き平安や喜びの中を生きていくことができるものであるという信念を持って生きる。


四、以上の信念を持って、実際に実践し、その生き方や人生の軌跡を持って周囲の人々にも模範を示し、感化を与える。


という四点になるのだと思う。


内村が言いたかったことも、だいたいこのようなものだろうし、そう考えると、私はとても共感させられるし、全面的に賛成したい内容だと思う。


とかく、この世において、人は、この世を偶然や悪意や運命の猛威が左右するものだと思いがちで、きちんと法則(内村においては神の義や意志)が支配するものだとは見ないし、そういう信念を持たないようになりがちな気がする。
また、何度か不如意なことや挫折や苦しみを経験すると、希望よりも失望に流されがちである。
また、そのように人生に対してシニカルになったり、あるいは意識・無意識に、溌剌とした喜びを忘れ、多くのことに心を千々に乱し、苦しみ、歎きながら生きがちなのかもしれない。


だが、上記の三つの逆の信念、つまりダンマに確信を持ち、希望と喜びを持って生きることも、人間には可能であるし、この生き方を実践することこそ、内村が言うように、後世への最大の贈り物だと思う。


これは、キリスト教徒も仏教徒もない、どの宗教でも、心ある人ならば、納得がいくし、ぜひとも実践したいと思うことなのではないかと思う。


逆に、口先だけ教義を唱え、儀式を行っていても、上記のことができていなければ、そのような人の宗教は形骸のみであり、真の宗教の生命には到達していないものと言えるのかもしれない。


本当の宗教というのは、こういうものなのだなぁということを、内村鑑三には本当に教えられる。