慈経 新訳

「慈経」(メッタ・スッタ)をパーリ語から自分で翻訳してみた。
あらためて、本当にすばらしいお経だと思う。




「慈経 新訳」


善くあるために、なすべきことがあります。
静かなところで、よく物事を理解し、物事をよく行うことができる状態で、真っ直ぐで、廉直で、善い言葉を使い、柔軟で、謙虚であるように。


karaṇīyam attha-kusalena
yantaṃ santaṃ padaṃ abhisamecca
sakko ujū ca sūjū ca
suvaco c' assa mudu anatimānī


満ち足りて、自分自身を養いやすく生きて、用事の負担は少ないように、身軽に生き、五感や心は平安に、思慮深く、慎重に、(布施を与えてくれる)家々において貪ることがないように。


santussako ca subharo ca
apakicco ca sallahukavutti
anatindriyo ca nipako ca
appa-gabbho kulesu ananugiddho


他の智慧ある人々が非難するような卑劣な振る舞いは、どんなことがあってもしないように。
楽しく、平和でありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。


na ca khuddaṃ samācare kiñci
yena viññū pare upavadeyyuṃ
sukhino vā khemino hontu
sabbe sattā bhavantu sukhitattā


いのちあるものはいかなるものも、ふるえているものも、安定しているものも、
もれることなく、
長く久しきものも、大いなるものも、
中ほどのものも、短きものも、小さなものも大きなものも、


ye keci pāṇa-bhūt' atthi
tasā vā thāvarā vā anavasesā
dīghā vā ye mahantā vā
majjhimā rassakā aṇuka-thūlā


目に見えるものも、見えざるものも、遠くにいるものも、近くにいるものも、
今生きているものも、これから生れてくるものたちも、
生きとし生けるものが幸せでありますように。


diṭṭhā vā ye vā addhiṭṭhā
ye ca dūre vasanti avidūre
bhūtā vā sambhavesī vā
sabbe sattā bhavantu sukhitattā


他の人に対してあざむくことがないように。
どんな場合も、誰に対しても、敬意をもって振る舞うように。
人に対して怒りから危害を与えたり、嫌な感情を持ったり、
お互いに相手の苦しみを求めたりすることがないように。


na paro paraṃ nikubbetha
na^atimaññetha katthacinaṃ kañci
vyārosanā paṭigha-saññā
na^aññamaññassa dukkham iccheyya


母親が自分の子どもに対して、ひとり子のいのちを守る、
ちょうどそのように、生きとし生けるものに対しても、
はかりしれない心を育ててみてください。


mātā yathā niyaṃ puttaṃ
āyusā ekaputtam anurakkhe
evam pi sabba-bhūtesu
mānasam bhāvaye aparimāṇaṃ


すべての世界の中で慈しみを、はかりしれない心を、
高く、低く、周りに、
さまたげのない、怒りのない、親しみのある心を、育ててみてください。


mettañ ca sabba-lokasmiṃ
mānasam bhāvaye aparimāṇaṃ
uddhaṃ adho ca tiriyañ ca
asambādhaṃ averaṃ asapattaṃ


留まる時も、行動する時も、坐る時も、横になる時も、
眠っていない間は、この気づきを持ち続けてみてください。
これはこの世における最も貴い過ごし方だと言われています。


tiṭṭhaṃ caraṃ nisinno vā
sayāno vā yāvat' assa vitaga-middho
etasatiṃ adhiṭṭheyya
brahmam etaṃ vihāraṃ idha-m-āhu


自分の見解に執着せず、道徳を守り、智慧の眼を開き、
欲愛の縛りから離れ去って、
決して再び母のお腹に生れてくることはありません。


diṭṭhiñ ca anupagamma
sīlavā dassanena sampanno
kāmesu vineyya gedhaṃ
na hi jātu gabbhaseyyaṃ punaretī ti.