増支部経典 第八 善友等品

支部経典 第八 善友等品


一、比丘衆よ、我はよく未生の善法を生じ、あるいは已生の不善法を捨つるものはこの外に一法をも見ず、それはすなわち友の善きことなり。
比丘衆よ、友善ければ未生の善法は生じ、また已生の不善法を捨つ。
二、比丘衆よ、我はよく未生の不善法を生じ、また已生の善法を捨つるものはこの外に一法をも見ず、比丘衆よ、それはすなわち不善法を修して善法を修せざることなり。
比丘衆よ、不善法を修して善法を修せざるより、正に未生の不善法を生じ、また已生の善法を捨つ。
三、比丘衆よ、我はよく未生の善法を生じ、あるいは已生の不善法を捨つるものはこの外に一法をも見ず、それはすなわち善法を修して不善法を修せざることなり。
比丘衆よ、善法を修して不善法を修せざるより、正に未生の善法は生じ、また已生の不善法を捨つ。
四、比丘衆よ、我はよく未生の覚支を生ぜず、また已生の覚支を修して円満せざらしむものはこの外に一法をも見ず、比丘衆よ、それはすなわち非理作意なり。
比丘衆よ、非理作意するより、正に未生の覚支を生ぜず、また已生の覚支を修して円満せず。
五、比丘衆よ、我はよく未生の覚支を生じ、また已生の覚支を修して円満せしむるはこの外に一法をも見ず、比丘衆よ、それはすなわち如理作意なり。
比丘衆よ、如理作意するより、正に未生の覚支は生じ、また已生の覚支は修して円満す。
六、比丘衆よ、この失は少量なり、いわゆる親属を失うなり、比丘衆よ、これは失中の最も劇しきものなり、いわゆる慧を失うことなり。
七、比丘衆よ、この得は少量なり、いわゆる親属の得なり、比丘衆よ、これは得中の最上なり、いわゆる慧の得なり、ゆえに、比丘衆よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし、我等は慧の得によって栄ゆべしと、比丘衆よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし。
八、比丘衆よ、この失は少量なり、いわゆる財産の失なり、比丘衆よ、これは失中の最も劇しきものなり、いわゆる慧の失なり。
九、比丘衆よ、この得は少量なり、いわゆる財産の得なり、比丘衆よ、これは得中の最上なり、いわゆる慧の得なり、ゆえに、比丘衆よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし、我等は慧の得によって栄ゆべしと、比丘衆よ、汝等はまさにかくの如く学ぶべし。
十、比丘衆よ、この失は少量なり、いわゆる称誉の失なり、比丘衆よ、これは失中の最も劇しきものなり、いわゆる慧の失なり。