ヘリックの短い詩をひとつ翻訳してみた。
原文のGodをちょっと日本風に神仏と意訳してみた。
DEVOTION MAKES THE DEITY.
Who forms a godhead out of gold or stone
Makes not a god, but he that prays to one.
「神々しさは熱心な信仰から生れる」
黄金や石から神々しい神仏の像をつくった人。
そのつくった人が、神仏を生み出すのではない。
それに対して祈る人が、神仏を生み出すのである。
なかなか考えさせられる。
時折、阿弥陀仏などいない、観音菩薩などいない、妄想だ、と言う人がいる。
仏教徒でもそんなことを言う人がいる。
ただ、私がたびたび見てきて思うのは、お寺の御本尊の阿弥陀様や観音様に、あるいは家の仏壇の御本尊に、手を合わせる人の姿の敬虔さというのは、本当に尊いものがある。
そんなものは妄想だ、ただの偶像や木材だ、と思う人には、実際にそのようなものしか映らないのだろう。
しかし、そこに真理の働きを感じ、敬虔に手を合わせる人の心には、たしかに仏や菩薩が働き、生きているのだと思う。
人生の万事も、そのようなものではないだろうか。