ジェラール・シャンドリって誰?  → ジェラール・ショドリー

たまたま、『光輪』誌の復刻版を読んでいたら、読者からのおたよりの中に、


「一生を終えて後に残るものは、 われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである。」
(ジェラール・シャンドリ)


という言葉があった。


いたく感動して、この「ジェラール・シャンドリ」って誰だろう?と思い、ネット検索してみたら、どんなに調べてもわからない。


推測されるスペルでアルファベットでも随分検索したが、また不明。


多くの人が謎に思っているらしく、質問のサイトなどにもその質問が載っていた。


三浦綾子の『続・氷点』の中に、ジェラール・シャンドリの言葉として引用されているらしい。


さらにさかのぼると、フェデリコ・バルバロ著の『三分の黙想』(ドン・ボスコ社)という本に出ていて、そこから三浦さんは引用されたらしい。


だが、わかるのはそこまで。


そこで、これは私の勘なのだけれど、バルバロ神父の誤字か、あるいは出版に際しての誤植ではないかと思い、シャンドリのスペルを若干変えていくつか検索し、"Gerard Shanley"つまりシャンリーという苗字で検索してみたら、ヒットするのがあった。


これによると、たしかに、ジェラール・シャンリーという、カトリックの聖職者の方がいるようである。


しかし、バルバロ神父のその本が出版された1980年代はかなり若かったのではないかと思う。
が、平神父として、もう聖職者として働いていたようである。


今のところ、かなりこの人物の可能性が高いと思う。




(追記)



と、ここまで書いたのを見て、知人が調べてくれて、重大なことが分かった。



私の友人が、“n”が誤植ではないかと検討をつけて、”u”にして調べてくれて、

Gérard Chaudry

という人物が、ちゃんと検索でひっかかった。

かつ、

“Ce n'est pas ce que nous avons amassé qui reste après cette vie, mais ce que nous avons donné.”

と、つまり、「一生を終えて後に残るものは、 われわれが集めたものではなく、われわれが与えたものである。」という言葉がたしかにネット上にある。

この人物に間違いない。

つまり、ジェラール・シャンドリではなく、ジェラール・ショドリーだった、ということ。

おそらく、uとnの読み間違えか、誤植だったのだろう。

これで、長らく謎だったことがひとつ解明された。


とはいえ、まだこの、ジェラール・ショドリーという人物がどういう人かはよくわからない。

しかし、スペルはわかったし、おそらくフランス人ということはわかったので、だいぶ調べるきっかけがつかめたようである。




(追記)


その後、ジェラール・ショドリー(シャンドリ)について、近所の修道院に問い合わせたところ、フランス人の神父さんに聞いてくれたそうだが、知らないしわからない、とのことだった。
ジェラール・ショドリー、謎の人物だ…。