『撃墜王リヒトホーフェン』を読んで

撃墜王 リヒトホーフェン (文庫版航空戦史シリーズ (54))

撃墜王 リヒトホーフェン (文庫版航空戦史シリーズ (54))



今日、ウラノフ編『撃墜王リヒトホーフェン』(朝日ソノラマ)を読み終わった。


第一次大戦でドイツの空軍のエースとして活躍し、八十機(一節には八十二機)の敵機を撃墜し、鮮やかな紅色の戦闘機に載っていたため「レッド・バロン」と呼ばれた伝説的な人物・リヒトホーフェンについての本である。


てっきり、誰か他の人がリヒトホーフェンについて書いた本だとばかり思ってさほど期待せずに取り寄せて読み始めたら、なんと、リヒトホーフェン自身の手記だった。


第一次大戦の激戦のさなか、リヒトホーフェン自身が折々に感じたことや考えたことを綴った手記や家族の手紙が収録してある。
簡潔で、ユーモアのセンスがあって、しばしば手に汗にぎる躍動感がある。


たとえば、


「私は地上の景色を注意深く眺めた。人間は豆粒ぐらいで家は玩具のように小さく、すべてがきれいな箱庭の風景だった。教会の尖塔が際立つケルンの町並みが遠くに見える。どこを飛んでいようと、そんなことはどうでもよい。空を飛ぶということは素晴らしいことだ。誰も私に干渉できない!」
(45頁)


といった感じだ。


本当に、とても興味深く、面白かった。


「私は常に変化を求める男です。これは一つの新しい変化であり、私にとり、得るところがあると思います。」

「戦闘には指揮者は部下を信頼し、勝利には味方の団結が必要なことは当然である。」


「戦いに勝つのは、ただ戦いあるのみだ。」


「敵機の撃墜は、単に小手先の技ではなく、人の気力、特に撃ちてしやまんの闘志にある」


といった言葉には、リヒトホーフェンの精神がひしひしと感じられる。


手記には、リヒトホーフェンの上官や同僚たちの生き生きとしたエピソードも綴られていて、とても面白かった。


リヒトホーフェンが尊敬していた上官のボルケは、いつもただ短く、


「強い信念をもて」


とだけ言ったそうである。
しびれるエピソードだ。


しかし、多くの親友たちも、上官のボルケも、次々に戦死していったことが言及されているのには、なんとも胸が打たれた。


リヒトホーフェン自身も、わずか二十五歳で戦死を遂げる。


この本には、リヒトホーフェンの二人の弟による生前の兄の様子や思い出を綴った文章も収録されてあり、それも胸打たれるものがあった。


また、リヒトホーフェンを撃墜したのが誰なのかは諸説あるそうだが、そのうちの一人とされるロイ・ブラウン英空軍大尉の手記も収録されていた。
リヒトホーフェンの遺体を見た時、その穏やかな死に顔を見ていて、ブラウンは深い悔恨を覚え、勝利の喜びなど何もなくなり、戦争への怒りと呪いを思ったということを記述していた。
そのことにも、胸を打たれた。


この本には、なんと、戦前にこの本の原文がドイツで出版された時に付されたゲーリングの前書きも収録されている。
ゲーリング第一次大戦では空軍パイロットとして活躍し、二十二機を撃墜し、リヒトホーゲンが戦死した後は航空戦闘隊の隊長になったそうである。
なんだか、とても空疎な、いかにもナチスが書きそうな大言壮語ばかりの文章で読んでいるだけ嫌気がさした。
結局、リヒトホーフェンのような本当の勇気や繊細な心を、何もゲーリングはわかっていなかったのだと思う。


リヒトホーフェンのいとこは、のちにナチスの空軍元帥になり、ゲルニカ爆撃を指揮したそうだ。


だが、仮にリヒトホーフェンが戦死せずに長生きしていたとしても、ゲーリングやいとこのように、ナチスにはいかなかったのではないかという気がする。
これはもう完全に推測の域を出ないけれど、リヒトホーフェンの手記を読んでいてもひしひしと感じる、とてもフェアで騎士道精神に富んだ、そして若者らしい真摯で繊細な心は、ナチスのような下品さとは相容れないと思える。
リヒトホーフェンは、敵のために墓碑を建てたそうだ。
そうした精神が、ナチには微塵もない。


リヒトホーフェンは1918年四月に戦死し、リヒトホーフェンの葬儀は、イギリス軍によってきちんと行われ、「勇敢にして、好敵手たりしフォン・リヒトホーフェン大尉に捧ぐ」と書かれた花輪が供えられたらしい。
ただ、1925年にドイツに改葬されるまで、フランスにつくられた墓地は荒れ果てたものだったらしい。
リヒトホーフェンの遺体の入った棺が、死後七年経ってドイツに鉄道で運ばれて戻ってきた時、沿道の家々は半旗を掲げ、多くの人が花を供え、盛大な葬儀が営まれたそうだ。
弟の手記によると、ドイツ人の諸団体も、ユダヤ人の諸団体も、みんな一致して協力してリヒトホーフェンの棺を迎え、葬儀を営んだそうである。


結果としてドイツは一次大戦で負けたけれど、リヒトホーフェンや、あるいはエムデン号のミューラーや、東部アフリカ戦線で活躍したレットウらのドイツの軍人たちの事績が、はるか後世の人の心を奮起させたり、感動させるのは、どういうことなのだろう。
たぶん人間はどのような立場であろうと、任務に忠実に、勇気を持って、正々堂々振る舞えば、後世の人の胸を打つということなのだろう。


リヒトホーフェンは近年「レッド・バロン」という映画にとりあげられて、それで興味を持つ人がまた増えたようだけれど、この本もまた、リヒトホーフェンに興味を持つ人にはぜひ読んで欲しい、貴重な一冊と思う。