善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十九節

善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第三十九節




また、質問します。釈尊は人々に教えを説いてお悟りを示されました。いかなる理由があって、一つの種類の教えに対して信や不信ということがあって、お互いに批判したり罵りあったりするのでしょうか。


答えます。
凡夫の機根や性質には二種類があります。
一つ目は、善い性質の人。二つ目は、悪い性質の人です。
善い性質の人とは、
一、 聞いてすぐに悪を捨てて善いことを実践する善い人。
二、 間違っていることを捨てて正しいことを実践する善い人。
三、 虚しいことを捨てて実のあることを実践する善い人。
四、 否定されることを捨てて肯定されることを実践する善い人。
五、 偽りのことを捨てて真実のことを実践する善い人。
です。
この五種類の人がもし仏に帰依するならば、自らや他の人々のために役立つことができることでしょう。
家庭においては親孝行を実践し、家の外でも他の人々の役に立ち、望むことにおいては信念を持って実行し、職場においては立派な人だと呼ばれ、君主に仕えては忠節を尽くします。
ですので、元来善い性質の人と呼ぶわけです。


悪い性質の人というのは、
一、 真実のことを誹謗して偽りのことを実践する悪い人。
二、 正しいことを誹謗して間違っていることを実践する悪い人。
三、 肯定されることを誹謗して否定されることを実践する悪い人。
四、 実のあることを誹謗して虚しいことを実践する悪い人。
五、 善いことを誹謗して悪を実践する悪い人。
です。
また、この五種類の人が、もし仏に帰依したいと願っても、自らや他の人のためになることを行えません。
家庭においては親不孝で、望むことを行うにあたっては信念がなく、職場においては未熟な人間と呼ばれ、君主に仕えることにおいてはへつらいや虚偽を心に懐きます。このことを不忠と言います。また、このような人たちは、他の賢くて徳のある善い人々の身の上において、正しいことを謗り過ちを暴き立て、他の人の悪い所ばかり見ます。
ですので、元来悪い性質の人だと呼ばれます。
上は諸仏や賢い聖者たちから、神々の世界や人間の世界や六道の中のあらゆる善い存在に至るまで、その中では、こうした悪人たちは謗られ恥ずかしい存在となります。さまざまな智慧ある人は、このことをよく理解すべきです。
いま、ひとつひとつ詳しく善悪の二つの性質の人について列挙しました。道理は明らかです。上の質問に答え終わりました。