小川法相、死刑「職責果たす」とのことだけど

小川法相、死刑「職責果たす」…オウムは考慮
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120114-OYT1T00009.htm




法相の責務としての死刑執行については、賛否両論いろいろあるのだろう。
反対の意見もあれば、法律上決まったことなので私情を離れて執行すべきだという意見もあろうと思う。


ただ、この前、中国の七世紀・唐代の高僧・善導大師の『般舟讃』という本を丹念に読んでいて、ちょっと驚いた箇所があった。


「見聞・方便・処分の殺」


つまり、「他人が殺生するのを見たり聞いたりして喜びを感じたり、人を殺害する計画を思いめぐらしたり、人を殺害することを許可命令すること」も、


はかりしれない地獄の苦しみを受ける、ということが書いてあった。


「処分の殺」、つまり死刑の許可命令も、地獄に落ちる。
そう書いてある。


もちろん、仏教は信じない、地獄などあるわけない、と思う人も、現代には多いだろう。
善導大師の言葉など知らないし、聴く気もないという人も多いかもしれない。


しかし、これはなかなか、私にとっては驚くべきことだった。
法相など、万が一なれる機会があっても、ならない方が良さそうである。


そういえば、死刑執行においては、刑を執行する刑務官はリアルにその様子を体験するのに対し、法相は通常の場合、遠く離れた書類にサインするだけに終わるようである。
わりと最近、はじめて法相が死刑執行に立ちあうということがあったが、今度の小川さんは、きちんと立ちあうのだろうか。


死刑執行の是非は置くとして、もし執行にサインするならば、法相は、自分も必ず死刑執行の現場に立ちあうことと、地獄に落ちる可能性もあることを、よくよく考えた上で判断した方が良いのかもしれない。


もちろん、それでもなお執行すべきという意見ならば、それはそれで大したものだが思うが、もしそうでないならば、どうなのだろう。