現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第十五節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第十五節


般舟讃 第十五節



幾重にも重なる宝石でできた楼閣は、人がつくったものではありません、
(浄土への往生を願います)


宝石を散りばめた幔幕や、宝石でできた樹木も、同様に人がつくったものではありません、
(はかりしれない喜びよ)


池の四方の岸には、みな水が満ち溢れていて、
(浄土への往生を願います)


そよ風がそれらに少し触れると、天の音楽が奏でられます、
(はかりしれない喜びよ)


天の音楽が奏でる仏法の教えの響きは、心にそそがれて、身体中の毛孔からも入ります、
(浄土への往生を願います)


そして、それを聞くと、ガンジス河の砂の数ほど数多くの、高度な集中状態の瞑想の方法を悟ります、
(はかりしれない喜びよ)

すべての池から流れ出る小川には花がいっぱいで、
(浄土への往生を願います)


ある花は開き、ある花はつぼみを閉じていて、その中に無数の人がいます、
(はかりしれない喜びよ)


ある人は花の上に坐り、ある人は花の上に立ってお互いに呼びかけ合って、
(浄土への往生を願います)


お互いに競いあってお香や花々を手に持ってお互いを供養し合っています、
(はかりしれない喜びよ)


ある人は語り、ある人は笑って、身も心も楽しんでいます、
(浄土への往生を願います)


そして、地上の世界の御同行のことを思いだしては、
(はかりしれない喜びよ)


それぞれに誓願を起して、この遠い浄土から地上の御同行に不思議な力を加えてあげて、
(浄土への往生を願います)


心を専ら西方浄土にとどめて退転せずに必ず浄土に来るべきだということを、
(はかりしれない喜びよ)


ひとたび浄土に至ったならば、煩悩の汚れを離れた清らかな喜びを享受し、
(浄土への往生を願います)


清らかな喜びは涅槃の原因となるということを、
(はかりしれない喜びよ)


明らかに伝えて現して、お互いに思い合い、
(浄土への往生を願います)


それぞれ自分の蓮の台(うてな)の半分を新しく往生してくる人に与えます、
(はかりしれない喜びよ)


同じく仏法を学ぶ仲間同士で連れ合って、宇宙の中を遊びます、
(浄土への往生を願います)


宇宙は、阿弥陀如来の国土です、
(はかりしれない喜びよ)


ひとりひとりの仏の国に、ガンジス河の砂の数ほどの仏法を聴く集まりがあります、
(浄土への往生を願います)


浄土の聖なる人々は、身を分けて、それらの集まりで仏法を聴き、供養を修めます、
(はかりしれない喜びよ)


そして、さまざまな仏の慈しみの光に照らされる機会を得ます、
(浄土への往生を願います)


み仏から頭をなでてもらい、将来仏になると予言されて、煩悩から完全に離れます、
(はかりしれない喜びよ)


思うがままに、別の世界にとどまりたいと思えばそこにとどまり、
(浄土への往生を願います)


浄土に還りたいと思えば、すぐに浄土に還ることができます、
(はかりしれない喜びよ)


別の世界にとどまることも、浄土に還ることも、皆利益を得て、
(浄土への往生を願います)


浄土と別の世界は、二つではないものとなります、
(はかりしれない喜びよ)


すべては皆、涅槃の平等の教えです、
(浄土への往生を願います)


さまざまな仏の智慧もまた同様です、
(はかりしれない喜びよ)


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)



阿弥陀如来への讃歌」



いたるところ、すべて皆、如来の家です、
(はかりしれない喜びよ)


浄土の菩薩たちは、あまねく十方をめぐって諸仏に仕えて、将来は仏になると告げられ、浄土に還り、
(浄土への往生を願います)


はかりしれない陀羅尼を悟り会得します、
(はかりしれない喜びよ)


さまざまなガンジス河の砂の数ほど多い菩薩たちとともに、
(浄土への往生を願います)


宇宙いっぱいに満ち満ちて、やって来て、阿弥陀如来を供養します、
(はかりしれない喜びよ)


ある者が衣や花を空中に案じると、それが変化して天蓋となり、
(浄土への往生を願います)


ある者が音楽を演奏すると、それが変化して雲となります、
(はかりしれない喜びよ)


変化して現れた宝石で飾られた柱や幔幕は何億もはかりしれない数です、
(浄土への往生を願います)


一回の食事の間の短い時間に浄土に至り、
(はかりしれない喜びよ)


浄土のさまざまな聖なる方々ははるかにお互いを見て、
(浄土への往生を願います)


これは別の世界における御同行の方々と知り、
(はかりしれない喜びよ)


それぞれ立ち上がって花を手にもって迎えて供養し、
(浄土への往生を願います)


手を引いて、すぐに阿弥陀如来を囲む集まりの中に入っていきます、
(はかりしれない喜びよ)


別の世界の菩薩は同じように阿弥陀如来を礼拝して、
(浄土への往生を願います)


花を手にもって阿弥陀如来を囲んで百回も千回もめぐります、
(はかりしれない喜びよ)


ある者は、お香や花々を空中に散じて天の音楽を演奏し、
(浄土への往生を願います)


もしくは、神通力を現して、空中に満ち溢れます、
(はかりしれない喜びよ)


光と光がお互いに照らしあって、阿弥陀如来を供養し、
(浄土への往生を願います)


皆、口をそろえて、極楽を讃えます、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来が、その時々に応じて、御身体の姿を動かされると、
(浄土への往生を願います)


御身体の光があまねく十方のあらゆる方角の国々を照らします、
(はかりしれない喜びよ)


放たれるはかりしれない光明は、数限りない色です、
(浄土への往生を願います)


光はへめぐって再び戻って来て、阿弥陀如来の周りに集まっているつどいを照らします、
(はかりしれない喜びよ)


そして、照らし終わって、光が人々の頭の上から入ってきて、
(浄土への往生を願います)


集まっている人々は皆、それが将来仏になることを予言してくれていると知ります、
(はかりしれない喜びよ)


光がまだ収束しないうちに、阿弥陀如来は微笑まれて、
(浄土への往生を願います)


あまねく集まっている人々に告げて、一心に聴くようにさせます、
(はかりしれない喜びよ)


「私はいま、あなたに将来悟りを開くということを告げます、
(浄土への往生を願います)


それほど長くかからないうちに、皆ここに来て仏になるでしょう」と、
(はかりしれない喜びよ)


もともと浄土に住んでいるものも、また別の世界から浄土に往生してきたものも、
(浄土への往生を願います)


めったに出遇うことのできない、比べようもないことを得たことをよろこびます、
(はかりしれない喜びよ)