現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第十四節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第十四節




念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


この身体が朽ちて命終わる時を、み仏の前で迎えることを思いなさい、
(はかりしれない喜びよ)


浄土における喜びに思いをめぐらすならば、
(浄土への往生を願います)


往生を遂げる人はどのような人もすべて平等であることを疑うべきではありません、
(はかりしれない喜びよ)


ダイヤモンドのような涅槃の荘厳の場所は、
(浄土への往生を願います)


明々(あかあか)とお互いに照らしあっていて千個の太陽を超える明るさです、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の御本願の働きによって荘厳された場所は、
(浄土への往生を願います)


一つの大きな宝石でできた蓮華、蓮華の王のような場所です、
(はかりしれない喜びよ)


蓮華の花びらはお互いに重なり合って、八万四千もの数です、
(はかりしれない喜びよ)


ひとつの花びらに、摩尼宝珠が百千億も連なっています、
(はかりしれない喜びよ)


ひとつひとつの摩尼宝珠は千もの色の光を放っています、
(浄土への往生を願います)


光は宇宙を照らし、天蓋に変化し、
(はかりしれない喜びよ)


台座の上には八万ものダイヤモンドが敷かれています、
(浄土への往生を願います)


真珠を連ねた網が蓮華を覆ってかぶさっています、
(はかりしれない喜びよ)


四本の宝石でできた幔幕がゆるやかにかかっています、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来は純粋な金色の功徳の御身体を示しておられます、
(はかりしれない喜びよ)


この蓮華の台(うてな)の上にお坐りになられてからは動かずに、
(浄土への往生を願います)


はるか未来のはてまで徹底して生きとし生けるものを救い続けておられます、
(はかりしれない喜びよ)


あまねく生きとし生けるものに勧めます、常に阿弥陀如来のこの御姿を想い、
(はかりしれない喜びよ)


行住坐臥に、心で見つめなさい、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の御身体は円満であり、どこにも背を向けることはありません、
(浄土への往生を願います)


十方のどの方角から来る人にも、すべて阿弥陀如来はお顔を向けて向き合ってくださっています、
(はかりしれない喜びよ)


皆ともに願い、阿弥陀如来に心を傾けて、念じ続けなさい、
(浄土への往生を願います)


そうすれば、縁のある人の心の眼の前にすぐに阿弥陀如来は現れることでしょう、
(はかりしれない喜びよ)


浄土の稀なる素晴らしい光景を見ることができるのは、
(浄土への往生を願います)


すべては、阿弥陀如来の御働きがこの身に加えられたからです、
(はかりしれない喜びよ)


観音菩薩勢至菩薩が蓮華の台(うてな)を両隣に並べて坐っておられます、
(浄土への往生を願います)


ひとつひとつの荘厳は、阿弥陀如来と同様です、
(はかりしれない喜びよ)


宝石でできた四本の柱とそこにかかる幔幕もよく似ています、
(浄土への往生を願います)


宝石を連ねた網も、異なるところがありません、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩のお坐りになられている三つの蓮華の台は、他のさまざまな人々の座席をはるかに超越しています、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩は皆と向き合って坐っておられて、最も尊い存在です、
(はかりしれない喜びよ)


本国である浄土、あるいは他のさまざまな世界にいる菩薩たちは、
(浄土への往生を願います)


あらゆる時において、この三つの台(うてな)を囲みめぐって讃歎しています、
(はかりしれない喜びよ)


この海のように、あるいはガンジス河の砂の数ほど果てしない数の集まりに、
(浄土への往生を願います)


生きとし生けるものの中で浄土に往生する者も入ります、
(はかりしれない喜びよ)


このことは、口先の言葉によってそこに往生を遂げるということではありません、
(浄土への往生を願います)


必ず、このことを専ら実際に行い、身を惜しまずに努めたからこそ遂げられます、
(はかりしれない喜びよ)