現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌) 第三節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌) 第三節




「教えの要を讃歎する章」


仏法が興隆しますように



「3」、


念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


三界と六道における輪廻は苦しみであり、そこに本当の意味で憩うことはできません、
(はかりしれない喜びよ)


はかりしれない過去からずっとこの迷いの輪廻に沈んできました、
(浄土への往生を願います)


いたるところに迷いの輪廻の声ばかりが聞こえます、
(はかりしれない喜びよ)


釈尊の説かれた本当の浄土とは、
(浄土への往生を願います)


清らかに荘厳されたこの上もないものです、
(はかりしれない喜びよ)


如来は娑婆世界を救うためにさまざまな姿をとってこの娑婆に入り来り、
(浄土への往生を願います)


生まれてから涅槃に入るまで八つの姿を示してお悟りの姿を示して生きとし生けるものを救います、
(はかりしれない喜びよ)


場合によっては、人間や神々に声聞や縁覚のための教えを説き、
(浄土への往生を願います)


場合によっては、菩薩の道や悟りに至るための原因を説き、
(はかりしれない喜びよ)


場合によっては、少しずつ、あるいは一足飛びに、空の立場と有の立場とを明らかにし、
(浄土への往生を願います)


自我に実体はなく、あらゆるものごとにも実体がないと、この二つを実体視する煩悩を除いてくださいます、
(はかりしれない喜びよ)


持って生まれた性質が賢く鋭い者は皆この教えの利益を受けます、
(浄土への往生を願います)


持って生まれた性質が愚かで智慧の無い人は悟ることは難しいものです、
(はかりしれない喜びよ)


『瓔珞経』の中では少しずつ悟りに導く教えが説かれました、
(浄土への往生を願います)


はかりしれない長い時間の中で功徳を積み修行を行って退かないことにより悟る教えが説かれました、
(はかりしれない喜びよ)


観無量寿経』と『阿弥陀経』などにおいては、
(浄土への往生を願います)


釈尊は速やかに仏の悟りに至る道の教えを説かれました、
(はかりしれない喜びよ)


一日乃至七日の間、専ら南無阿弥陀仏と称えれば、
(浄土への往生を願います)


迷いの命が断たれて即座に安らぎに生まれ変わります、
(はかりしれない喜びよ)


一度、阿弥陀如来のお悟りの国に入ったならば、
(浄土への往生を願います)


即座にもう二度と後戻りしない境地を得て、生と死の二つを超えた悟りを得ます、
(はかりしれない喜びよ)


はかりしれない長い時間の間に功徳を積み修行を続けるということは本当に難しいものです、
(浄土への往生を願います)


ほんの少しの時間の間にも、煩悩は百回も千回も起って心に混じります、
(はかりしれない喜びよ)


もし、この娑婆世界において悟りを得ることを待つならば、
(浄土への往生を願います)


ガンジス河の砂の数ほど劫というはかりしれない時間を経ても、六道輪廻し続けることでしょう、
(はかりしれない喜びよ)


貪りと瞋恚は輪廻の原因となる業です、
(浄土への往生を願います)


煩悩がどうして生と死の二つを離れた悟りの原因となるでしょうか、そんなことはありえません、
(はかりしれない喜びよ)


この貪りと瞋恚の炎が焼く苦しみをこの身に味わってきたならば、
(浄土への往生を願います)


急いで阿弥陀如来の浄土へと往生することに及ぶものは何もありません、
(はかりしれない喜びよ)