ヒトラー 最後の十二日間

ヒトラー~最期の12日間~スタンダード・エディション [DVD]

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ヒトラー ~最期の12日間~ スペシャル・エディション [DVD]

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もうだいぶ前に見た。

この映画を見た時に思った。

この狂気を、なんと言えばいいのだろう。

ヒトラーゲッペルスたちの、とりつかれたような死への歩みや、狂気。

もうだめだとわかっていても、ヒトラーの命令に逆らえず、最後まで半ばやけっぱちで最後の戦いに巻き込まれている人たち。

自分の頭で考えず、不条理な独裁者を支持してきたつけが、最後にドイツの軍人や国民たちに降りかかってきたということなのだろうか。

主人公のユンゲさんの、本人が最後インタビューで言っていたことが、とても印象的だった。
戦後もしばらくは自分はユダヤ人虐殺とか知らなかったし、非はなかったと思っていた。
しかし、ある日白バラのゾフィー・ショルの人生を知って、自分と同い年だったことを知って、
「若かったことは言い訳にはならない、きちんと目を開いていれば見えたはずだったのだから」と思った。
そう、最後に言っていた言葉が、心にのこった。

目を開かずにつぶっていたつけを、当時のドイツの人はいやというほど払ったのかもしれない。
しかし、それでも、本当に目を開くには、戦後長い時間のかかった人も多かったし、いまだに開けていない人もいるのかもしれない。

ナチスの圧倒的な狂気を見ていると、なんだかあまりにもひどすぎて、ついつい自分とは関係がないと思ってしまうけれど、本当にそうだろうかと疑ってみることが大事なのかもしれない。
日本の戦時中の狂気も、けっこうすごかった気がする。
幸い、国民のインフラの破壊を命令し続けて、国民の死をまったく気にしないヒトラーに比べれば、まだしも昭和天皇鈴木貫太郎は正気だったかもしれない。
しかし、日本の軍部やその支持者の狂気は、ドイツと大同小異の部分も多かったろう。
あの時代、日本は、ドイツに比べると、多少ましな気もするけれど、大同小異だったというべきかもしれない。

それに、そうした、いのちの尊さを忘れた狂気や、命令に対して自分の頭で考えずに従い、間違っていると思っていても大勢に従ってしまう、あるいは、そもそも価値観が麻痺して狂った空気に完全に染まってしまう、そんな傾向は、あの戦争から六十年たった今も、決して無縁ではない、いや、最近とてもよく見られる傾向のような気がする。
現に、アフガンやイラクグアンタナモでは、大同小異の事態が起こっていた。
そして、そのことに疑問を持たない人々もいっぱいいたし、いる。

私たちは、今、きちんと目を開いているのだろうか。
見えるはずのことが、案外、見えていないのかもしれない。
若かったこと、知らなかったことは、後世から見たら、言い訳にならないかもしれない。

この映画は、単に過去のことで自分と関係ないこととしてしまうにはもったいない、歴史を通して、人間がともすれば陥るとてつもない狂気と退廃を描いた、警告なのかもしれない。