谷川健一 「最後の攘夷党」

最後の攘夷党

最後の攘夷党

とても面白かった。

いわゆる「明治四年反政府事件」を描いた作品。
大楽源太郎河上彦斎や久留米の応変隊の面々が登場し、未遂に終わったものの、一触即発だったかなり大規模で全国的に組織が広がっていた、この反政府事件を、とても面白くスリリングに描いてあった。

もうだいぶ前の作品だそうだが、当時直木賞候補になったらしい。
受賞させてあげればよかったのに。
良い作品だけに、惜しいものだ。

しっかし、大楽源太郎河上彦斎って、私としてはものすごく興味をそそられる。
司馬遼太郎の作品などでは、せいぜい脇役として扱われるか、酷評されるのが落ちのファナティックな人々なのだろうけれど、見ようによっては報われない純粋なパトスの人たちだったのかもしれない。
勝海舟が、大楽源太郎について、「良さそうな人だったよ」と言っていたらしい。
この小説でも、どちらかというと、大楽はひたすら不穏な、なんだかちょっと嫌なやつっぽい志士に描かれているのだけれど、勝海舟の言葉などを勘案すれば、もうちょっと別の描き方もあったかもしれない。

とはいえ、いまやほとんど顧みられない大楽源太郎を中心に、ここまで丹念な小説を書くのは、すごい力量と気概と言えよう。

また、この時代の久留米藩の苦悩と揺れも、想像を越えたものがあったのだなあと、あらためて感慨ひとしお。
福岡藩小倉藩も大変だったけれど、久留米藩も、まかり間違えば明治四年の事件で長州や肥後や佐賀から総攻撃をくらって藩が焦土と化す一歩手前まで追い詰められていたようだ。
しっかし、有馬の最後の殿様は、福岡藩に負けず劣らず馬鹿殿というか、己が保身のために部下たちに詰め腹を切らせるあたりに、なんともやり切れなさを感じる。
それに比べれば、佐賀などは本当に名君だったのかもしれない。

薩長会津などのメジャーどころだけじゃなくて、福岡や久留米や米沢など、ちょっとマイナーな藩も、丹念に追っていくと、ものすごく興味深いいろんな物語や葛藤が、幕末や明治初年にはいっぱいあったのだろう。
この頃は、そういうのに妙に心ひかれる。

あと、明治四年の事件の首謀者たちが入れられた東京の牢屋は、その前年に雲井龍雄とその仲間たちが入れられた牢屋だったそうだ。
この小説でもその様子がちょっと最後の方で描かれるけど、横になって身体を伸ばすこともできない、とてつもなく窮屈な、人間性への侮辱のような牢獄だったらしい。
山木卯蔵(川島澄之助)ら久留米の応変隊関係者もかわいそうだったろうけれど、その前年の、この小説には直接描かれていない雲井龍雄とその仲間たちの苦労も、考えると忍びないものを感じる。

なんというか、歴史の陰には、いろんな人たちの、いまや忘れられてしまった、いろんな情念や、苦心や、苦難や受難があったのだろうと思う。

なぜか、雲井龍雄の事件や明治四年の事件は、そのちょっと前の幕末維新や、そのちょっと後の西南戦争等の不平士族の反乱に比べて、知名度も言及される度合いもとても少ない気がするが、その規模や、情念や、投げかけているものなど、決してその前や後のものにひけをとらない、興味深い出来事だったと思う。
おそらくは、ほぼ未遂に終わっていることが、その理由なのだろうけれど、かなり大勢が処刑されたり刑罰を受けていることを考えれば、事件の大きさや影響はかなりのものがあったように思われる。

こういう、いわばマイナーな事件にスポットを当てて、忘れられている思想や情念を丹念によみがえらせて、呼び戻している、谷川健一はとてつもなく渋いなあと思う。
あんまり渋すぎて、いまいち作家としては成功しなかった、ということだろうか。
でも、司馬遼太郎みたいなのより、私はこっちの方が好きだけどなあ。

私もいつか、月性や大楽源太郎や黙霖あたりをもっと調べて、できたら何かの文章にしたいものだ。
河上彦斎や小河一敏あたりも。