色川大吉 「明治の文化」

明治の文化 (岩波現代文庫)

明治の文化 (岩波現代文庫)


これは、本当に面白い。
すばらしい名著だと思う。

この本を読むと、自由民権運動が、いかに活気のあったものだったか、
明治の初期というのが、いかに底辺からの庶民の自発的な自由な空気に満ちており、その芽が残念ながら巧みな薩長藩閥政府の抑圧と策謀によって摘み取られていってしまったかがわかる。

漢詩文と自由民権運動の結びつきの解明もとても興味深く、いかに自由民権運動の志士たちが雲井龍雄漢詩を愛好していたかも、この本であらためて認識させられた。

「もしも自由民権運動が、少なくとももう十数年、挫折することなくも持ちこたえられていたとしたら、おそらく日本の知識階級の成立のしかたや体質は、非常に違ったものになっていたであろう。
少なくとも深沢権八のような地方知識人が文化活動を中断し、民衆や都市知識人と断絶して、国民文化形成の主役として登場できなくなるような事情は薄れていたであろう。
そして、透谷や藤村、漱石や尚江らの悲劇的な孤立も、だいぶ緩和されていたにちがいない。
もちろん、これは想像上のはなしである。
じっさいには民権運動は早期に流産し、草の根からの文化の創造の大勢は大きく阻まれた。」
(222頁)

本当に、そのとおりと思う。

また、五日市憲法草案の中心人物だった深沢名生は、

「民権なる者は果たして欧米の新輸入物にして我が国に於いては古来一片の種子だも無きか」(原文カタカナ)

と疑問を出し、そうではないとして、

我が国の民権の種子として、佐倉宗吾、大塩平八郎吉田松陰雲井龍雄、の書物を大事にしていたらしい。
(52頁)

日本の歴史を、下からの活力が乏しいとか、上からの近代化だとか、単純に言うことができないのは、この本の自由民権運動の具体的なさまざまな事例を見れば、一目瞭然だと思う。

むしろ、本当の近代化、本当の自由、本当の下からの自発的・内発的な契機をつかもうとするならば、外在的に日本を欧米モデルから斬って捨てるのではなく、この本の作業のように、内在的な日本の自由民権運動などの契機や歴史を、ちゃんと発掘することこそが大事だろう。
未だに、それは十分受け継がれ発展させられてない課題であると思う。

この本は、丸山真男の方法論への重大な異議でもあるし(8章の4節)、あとがきにもあるように司馬遼太郎的な明治へのものの見方への異議でもあろう。

私には、この本を、史学の分野で発展させるような力量はないけれど、それでも、この本に見られるような視角は大事にして、雲井龍雄漢詩自由民権運動の歴史を語り継ぐ作業は、自分なりに細々ながらしたいものだと改めて思った。