野口悠紀雄 「戦後日本経済史」

戦後日本経済史 (新潮選書)

戦後日本経済史 (新潮選書)


とても面白かった。

日本の戦後経済が、実は1940年前後にできあがった戦時体制「40年体制」によって規定されており、この40年体制がオイルショックの頃まではうまく機能したが、バブル経済を引き起こす要因となり、バブル崩壊によって日本経済に多大な犠牲をもたらしたうえに、90年代の情報技術の変化に対応できず、今に至る日本の停滞をもたらしている、ということを本書は鮮やかにわかりやすく描いている。

間接金融中心の40年体制が、重工業育成には大きな力を発揮したものの、その後いかに時代に適応できず、また企業風土を腐らせたか。
さらに、40年体制こそが、実物資産を株で保有できずに土地に求めるしかないように人々をしむけ、バブルとその崩壊をもたらす原因となったか、
この本を読むと、よくわかる。

特に憤懣やるかたないのは、90年代後半に、長銀日債銀の破綻の際につぎこまれた公的資金と、その他の銀行の不良債権処分損を無税償却とする措置によって、49兆円もの税金が銀行の放漫経営の尻拭いにそそぎこまれたということ、
つまり、一人当たり38万円もなんの関係もない国民がバブルのつけを支払わされているという事実である。
この本を読むまで、明瞭に私はそのことがわかっていなかったので、家族全員で百万円以上もの金がバブルの尻拭いに国から奪われていたのかと知って、あらためてあの頃の日本の政府と金融の無能と勝手ぶりに暗澹たる気持ちがした。

著者が言うように、大事なことはそれらの事実を忘れないことなのだろう。

今もって、日本の国民の間には、40年体制がうまく機能していた時代へのノスタルジーが根強くある。
しかし、著者が言うように、我々はもはや40年体制が機能不全を起こしているし、そのために多大な負担と犠牲を今までにすでに払ってきたことを忘れずに理解して、40年体制からの脱却を意識面でも制度面でも求めるしかないことを明瞭に理解するしかないのだろう。

40年体制のような中央集権体制はもはや、分散型情報システムの時代には適応できない。

これからは、ますます、分散型情報システムに対応した分散型経済システム、つまり、

「市場を中心とする新しい経済体制の確立」
「新しい技術体系への適応力」

を目指すしかない。
こうした対応こそ、90年代以降の情報技術の革命と金融の変化(米英の銀行が投資銀行へと変貌したこと)に対応するために、今後不可欠となることなのだろう。

しかるに、今もって40年体制へのノスタルジーの強い世論や、あるいは政策当局者も、この変化への意志は不十分と思う。

意識面・制度面での改革を進めるためにも、我々が辿ってきた道を正確に知ることが必要であり、そのためにも本書はなるべく多くの人が読むべき本と思える。
同著者の「1940年体制」と併せて読むとさらに理解しやすいかもしれない。