蘭学事始


とても面白かった。

古典である「蘭学事始」を、思い切ってとても読みやすい現代語訳にアレンジしてある。

杉田玄白前野良沢や平賀源内ら、蘭学創成期の群像の生き生きした息吹や情熱がひしひしと伝わってきて、本当に面白かった。

西洋の「実測究理」の学問や精神に触れたときの、杉田玄白らの驚きと衝撃。
辞書もなく、なんの参考書もない中で、杉田・前野・中川淳庵のたった三人で徒手空拳で解体新書の翻訳に立ち向かい、とてつもない困難と試行錯誤を通じて、少しずつ読むことができ、わかるようになっていった時の喜び。

本当に蘭学事始は、貴重な歴史の証言であり精神の記録と思う。
その本が、現代人もわかりやすく読んで追体験できるのだから、ありがたい一冊だ。

前野良沢が、読めない横文字を目にした時に、

「国が違い、言葉が違うといっても、同じ人間の書いたものではないか。
読めないわけがあるまい。」

と思って発奮して学問に励んだ姿は、私も見習っていろんな国の言語を勉強したいなぁと思った。

アルファベットそのものすら禁制であり、蘭学の勉強も出版も困難で、辞書も参考書もなかったその当時からすれば、今はなんと恵まれているのだろう。
先人の辛苦とその営みへの感謝、忘れないようにしなければと思う。

「とにかく今できることを精一杯成し遂げる。」

という杉田玄白の精神も、本当に素晴らしいと思った。

何事も、自らが実際に触れて心底から納得しなければ、語らず、書かない。
そういう、蘭学者たちの科学的で潔癖な態度も、本当にすばらしいと思う。

ちなみにこの本のあとがきに書いてあるけれど、若き日の福沢諭吉蘭学事始を読んでとても感動して、明治になってから福沢諭吉杉田玄白の子孫の承諾を得て出版して世に広めたらしい。

今の現代日本人は、大なり小なり西洋の学問を学び、その恩恵にあずかっている。
とすれば、我々にとって、福沢諭吉は祖父のようなもので、杉田玄白は遠い草創期の先祖みたいなものだろうか。

本当に、この本自体が「連城の玉」のような気もする。
かけがえのないすばらしい情熱を思い出させてくれる一冊と思う。