向井孝 「アナキズムとエスペラント 山鹿泰治の生涯」



とても面白かった。

山鹿泰治は、必ずしもそんなに有名な人物ではないようで、私もこの本を読むまではほとんど知らなかったのだけれど、幸徳秋水大杉栄の頃からの最古参のアナーキストで、戦後も昭和四十五年まで生きておられたそうだ。
エスペラント語を流暢に使うことができ、最初期からのエスペランチストでもあったそうである。

この本を読んでて思ったのは、エスペラント語というのは、本当に自由に世界中に知り合いや仲間をつくる言語なんだなあということだった。
山鹿は、印刷工や電気工として生涯働いていた、ごく一介の庶民だったのだけれど、エスペラント語を通じていつも世界中から情報を得、情報を発信し、欧米や中国やフィリピンやインドに友を持っていて、自在に中国やフィリピンやインドを行き来したようだ。

山鹿を見ていると、アナキズムも、エスペラントも、本当に国際的な連帯や交流というものを可能にするし、ひとつの人格に本当にそれが生きてくるものなのだなあという気がする。

山鹿は、とても気さくな人で、家族を愛し、一介の庶民としてまじめに生きつつ、かつ心はいつも世界大の気魄を持った人だったようだ。
アナキズムというのも、山鹿の場合は、非暴力の、反戦アナキズムだったようである。
山鹿がそうした形容を好むかはよくわからないけれど、近代日本における偉大な「草莽」のひとりだったように思う。

「国土を愛する土民主義と同時に、広く世界人たる実力を養え。
方法論に固執するな。志ある所必ず方法あり。
民衆をして志あらしめよ。」(162頁)

というメッセージは、本当にかっこいいなあと思う。

山鹿は、ちなみに北一輝の家に若い時に一時期居候していたらしく、その時に北の家でお手伝いをしていたミカという女性と恋愛して結婚したらしい。
山鹿のようなアナキストと北が仲が良かったというのも面白いエピソードだと思う。

北一輝が国家改造法案大綱で、エスペラント語を学校教育に採用するように提言しているのは、どうも山鹿の影響のようである。
二二六事件が成功していれば、今頃学校でエスペラント語が教えられていたと想像してみると、なんだか面白いような気もする。

そういえば、スペイン内戦の頃のスペインでは、エスペラント語を学校教育に採用していたらしい。
人民戦線の中には、アナルキスタ・ロートというエスペラント語の外国義勇兵部隊もあったそうだ。

山鹿らも、スペインに日本から義勇兵として参加したいという旨を送ったそうなのだが、スペイン側からなにせ武器が不足しているので、人員よりも金か武器を送ってくれと言われて、仕方なく募金して寄付金を送り続けていたそうである。
日本からも、スペイン内戦に義勇兵として行こうとした人たちがいて、資金を送る人たちがいたんだということはこの本ではじめて知った。

しっかし、幸徳や大杉や北ら、周囲の人びとがことごとく非業の死を遂げていく中で、最後まで生き抜いた山鹿は、それだけでもすごいと思う。
また、戦前のあの時代の中で、これほど自由に生きた人も、あんまりいないような気がした。

とても面白い本だった。

一介の庶民には、その人生において、たいしたことはできないとしても、いかなる思想を持ち、いかなる言葉を話し使っていくのかは、その人の自由なのだと思う。
アナキズムエスペラントは単なる夢想や幻想だと笑う人もいるかもしれないが、外面はともかく内面までもその時代の支配思潮やイデオロギーに支配される必要はなく、いかなる夢を持つかはその人の自由であり、選択であり、日々の意志なのだろう。
時代に流されず、時代を飛び越えた夢や意志を持つことができるところに、人間の自由や偉大さというものはあるのかもしれない。
この本を読んでて、そんな気がした。
草莽というのは、きっと、こういう人のことなのだろう。