梯久美子 「散るぞ悲しき」

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

いやぁ〜、良い本だった。
名著だった。

栗林中将の生き方とあり方に、本当に感銘を受けた。

遠く及ばぬながら、終生栗林中将を手本にしたいと思った。

それにしても、このような人物が、当時の帝国陸軍にいたということに、あらためて驚く。

率先垂範、いつも部下の将兵と苦労を共にし、極めて具体的、合理的で、無意味な死や玉砕を厳禁し、アメリカの心胆を寒からしめた軍人としての力量もさることながら、

愛妻家で、子どもを愛して、質素な暮らしの中で、常に自ら日曜大工などに精を出し、

自らの足で常に陣地を視察しながら気さくに一般兵卒にも声をかけたり話し合い、部下にこまやかな心配りを見せ、

アメリカにも多くの友人を持ち、ユーモアのセンスもあったというその人柄は、

あのクレージー権威主義者の多い日本陸軍では、なんだかものすごく稀な、とても少ないタイプの軍人だったように思える。

特に驚いたのが、家のお手伝いの女中さんも、家族と同じ食卓で食事するようにしていたということである。
当時、お手伝いさんを雇っていた日本の家庭で、そんな家はいったいいくばくあったのだろう。

ほとんどアナキストを彷彿とさせるほど、この権威主義から程遠い、とてもフラットで人間味ある人格は、生来の者だったのか、あるいは何か理由があったのか。
アメリカに五年間勤務していたこともあったのかもしれないが、この本を読んでも、その人格形成についてはあまり多くは書かれてないので、とても不思議に思えた。

ただ、栗林中将の家系は、松代の真田藩の士族の家柄だったらしい。
あの合理的でしぶとい闘い方は、そういえば、帝国陸軍のものというよりは、真田昌幸真田幸村を彷彿とさせる。

こんなに立派な軍人も、当時いたんだなぁ〜。
狂気と権威主義ばかりだった戦時中の軍からすれば、ほとんど優曇華の花のようにすら思える。

でも、きっと、こういうとてつもない非常事態にならなければ、栗林中将はごくまともな常識人として、特に目立つこともなく終わったのかもしれない。
歴史において、本当に大きな働きをするのは、奇矯な行動や大言壮語する人物ではなく、シンプルに合理的に具体的に考え、家族を愛し周囲の人を愛する栗林のような人物なのだろう。

橋本欣五郎蓑田胸喜のような人物は、今の平成の日本にも随分たくさんいるような気がするが、栗林忠道のような人は、いったいどれだけいるのだろう。
橋本や蓑田のような人物が数多くいるより、いや石原莞爾辻政信のような人物がいるよりも、一の栗林のような人物が社会のあちこちにいることの方が、本当に大事なような気がする。

最後の突撃をする時の、「予は常に諸氏の先頭に在り」という言葉も、胸を打たれる。
いったい、今の日本の政財官界や、軍や教育界も含めて、各界の枢要な地位にいる人で、この言葉の精神を持ち、実践している人は、いったいどれだけいるのだろう。

単に戦史や昭和の歴史ということに留まらず、日本人の尊厳や誇り、本当の生き方や精神、そしてそれらのこれからを考えるためにも、多くの人に読んで欲しい本だと思う。