マイケル・ムーア 「華氏911」

映画館でむかし見ました。

あのテロや戦争は何だったのか、あらためて胸が痛みました。

印象的だったのは、あのテロの遺族の大きな悲しみを体験した人たちが、アフガンなどの戦争被害者と連帯しようとする動きを始めて、その様子が映画でも取り上げられていたことです。

人間というものは、悲しみに出会わなければ傲慢さを改めることのできない、悲しい存在なのかもしれません。
しかし、もし悲しみに出会ったならば、そこから他の人々の痛みや悲しみにを思いを馳せることにそれをつなげていけば、そこからさらなる悲しみや苦しみを防ぐことにつながる、大きな希望や連帯を生じさせることができるのかもしれません。

この映画のラストで、アメリカの国会議員たちが、誰一人として自分の息子を戦場には送ろうとしない、冷淡なエゴイズムを見せているのには、本当に腹が立つのを通り越して、悲しいような呆れるような落胆の気持ちになりました。

もし、それらの政治家たちも、自国の戦場に行く若者たち、およびアフガンやイラクで殺されていく人々を、自分の家族のように思っていれば、きっとぜんぜん違った選択や政策をしていたのかもしれません。

人間のエゴや、アメリカの軍産複合体や、何が絶望であり何が希望なのか、悲しみを忘れては希望も生じないのではないか、などなど、いろんなことを考えさせる映画でした。

もう一度、9.11とその後の世界を振り返る時に、単なる時事映画にとどまらない、いろんな鍵を与えてくれるドキュメンタリーだったように思います。