現代語私訳『福翁百余話』第五章 「独立するための根気」

現代語私訳『福翁百余話』第五章 「独立するための根気」


独立という人間にとって最も大事なことを達成して人生を終え、そしてこの独立の大切さを子や孫に伝え、あるいは世の中に教えて導こうとするためには、ほんの少しも怠惰であるようなことがあってはなりません。


「これは小さなことだ」とか、「これぐらいのことはどうでもいい」、あるいは「百のうち、二つ三つは少々すまない気持ちがするところはないわけではないけれど、そのぐらいのことはいずれ取り返しがきくだろう」などと言って、自分の言葉や行動を自分で大目に見過ごして、自分の筋や志を曲げてしまうようなことは、独立することを目指しているとしても、独立するための持続力や根気がないものだと言えます。


昔、ある九州の中の藩の武士に、茶の湯を好む人がいました。
人生の楽しみはただ茶道ひとつで、一年三百六十五日、いまだかつて一日もお茶を点てない日はありませんでした。
ある時、この茶人の武士が、藩の参勤交代の用事で江戸に行く時、お茶の道具のすべてを荷物の中におさめて、江戸までの東海道の道中の宿に到着するたびに、一日の旅の疲れもものともせず、急いで水を用意して火を起して宿屋の座敷でお茶の席を開き、相手がいない時は自分ひとりで楽しみ、その様子は日ごろの日常のとおりで、毎日夕方には必ずそのようにしており変更することはありませんでした。
一緒に道中をともにする武士たちはその様子を見て面倒に思ったのでしょう。
「茶道の趣味は結構だけれど、この忙しい道中にあまりにお気楽ではないか、せめて道中だけはやめて、江戸に着いてからゆっくりと楽しまれてはどうか。」と忠告しました。
それに対して、この茶人の武士は、少しも動じることなく落ち着いて、「心配してくださりかたじけなく存じますが、旅の道中の一日もまた人間の人生の中の一日ございます。」とだけ答えたそうです。
つまり、この九州のある藩の武士は、茶道への志が深く、生涯その志を貫いて生きるための持続力や根気を強く持っていたと言えます。


また、事柄は異なりますが、私自身にも似たようなことがありました。
本当のことを言えば、根気があまりなかったために、失敗したことです。
今を去ることおよそ十五年ほど前、慶応義塾の仲間である小浦準三郎氏から、中国の広東省の端谿でとれる石でつくった見事な硯をもらいました。
とても大事に愛用して、いつも傍らに置いて、家の中の他の人が使うことも許さず、それだけでなく、この硯を洗う時は必ず自分自身の手によって洗っており、他の人に任せたことはなく、十五年の間も一日とてそうしないことはなく、私の書斎における最高の宝物でした。
ところが、去年の、あれは何月だったでしょうか、月を忘れてしまうほどショックなことに、ある日、何かを執筆中で、考え事に集中しており、ふと硯が汚れているのを見て気になって、他のことを考えながらお手伝いさんを呼んで、「この硯を急いで洗ってきてくれ」と言いながら、さらに言葉を添えて、「大事な硯なんだよ、丁寧に扱って間違いがないようにしてくれ」と、口先で言うだけで、実際はそのお手伝いさんが誰だったか顔もきちんと見ず、考え事に夢中になりながら硯を渡しました。
少し時間が経つと、その御手伝いさんが走って来て、私の机の横にひれ伏して、「ただ今台所で洗っておりましたら、間違ってすり鉢にぶつけて壊してしまいました」と言いました。
私は夢中になっていた作業からはじめて正気に戻ったようなもので、なんということだと驚きましたが、そのお手伝いさんの女性を叱っても何の利益もなく、「とんだことになってしまったなぁ」と言うぐらいで、それっきりにしました。
しかし、本当のことを言えば、十五年の長い間、ただの一度も他の人の手に触れさせることがないほどの最愛の品を、どういうわけか他の作業に夢中になっている間にうっかり人に渡したわけで、はじめて渡したその第一回目に見事に間違って壊れてしまったわけです。
結局のところ、お手伝いさんの罪ではなく、持ち主である私の怠慢です。
根気や持続力が弱くて、一瞬の時を軽んじて見過ごしてしまったことが原因です。
長年愛用して本当に大切と思うならば、なぜいつものように自分自身で硯を洗わなかったのか。
日ごろからその硯が大切だとわかっていながら、ふとした拍子にそのことを忘れてしまった自分こそが愚か者であることでしょう。
その時は、何かの文章を執筆しようとして、そのテーマや書き方をどうするかの考え事に没頭していたのが原因だとも言えるかもしれませんが、このような事態は考え事に没頭していたということではなく、むしろ日ごろの正しい判断力や注意力を失っていたと言うべきものです。
このように自問自答すれば、しまいには持ち主に弁解の言葉がなくなり、困り果てて顔を赤くする以外なくなります。


以上の話は、単に硯についての話であり、それぐらいの物が得られるか失われるかどうかなどは、本当は喜んだり憂いたりする必要はないことなのですが、人間のあらゆる物事は、この硯の出来事と似たようなものが多いものでしょう。
西洋文明を学ぶ人が、少年の時から教育を受け続け、努力して学業を成し遂げ、これから実際の人間の社会の物事にぶつかっていこうというその時は、自分自身をとても重んじ大事にしており、家庭生活でも社会生活でもただ独立して生きていくというモットーだけを持っており、その言葉や行動もとても意気軒昂としており、また気高いものです。
しかし、この独立をモットーとしている男児が、どんどん身を立てて官職に就くようなことになると、官職には固有の習慣や私情がからんだ出来事があります。
また、ビジネスの世界を追求するようになると、実業界にもまた数限りない困った風潮や習慣があります。
右に進む道に障害物があるのを発見すれば、左に進む道にもまた自由な動きを妨げるものがあり、思い通りに生きていくことができないようになります。
そうしている間に、だんだんと三十前後の年齢にもなると、他人の勧めに従って結婚する必要も出てきます。
家族の生計でも、家の外での人付き合いでも、とかく不足するのはお金です。
家計も交際費も思い通りにならず、そのうちだんだんと世間の風を受けて風化していき、濁った水の流れに流されて、本来持っていた独立心は完全に消え去ったわけではないとしても、これぐらいのことは必ずしも自分の独立を左右するものではない、これも自分を曲げて我慢しよう、あれも目をつぶって行おう、といったように、自分で自分を無理に曲げたり、自分を欺いたり、ひどい場合は「一尺を曲げて八尺を真っ直ぐできれば良い」(尺を枉げて尋を直くす)などと口実を設けて、自分の筋や志を曲げるものが多いことこそ嘆かわしいことです。


西洋に留学していた人が、長年勉強した後に日本に戻ってきて、その時の様子はいかにも威勢が良くて、この男性こそ本当に独立ということの意味を理解した人だろうと思うと、意外にもいつの間にか日本の風に吹かれて、身も心も軟弱な他愛もないそこらにいるような男性に変化してしまうという事例は、長年私がよく実際に経験してきたことです。


ですので、男子が志を立てたら、最初にその方向性を定めることももちろん大切なことですが、方向性を決定した上に、あくまで変えることなく、徹頭徹尾その決めたことを貫くという根気が、さらに大切なことです。
上に述べた九州のある藩の武士の茶の湯は、根気がずっと続いている事例であり、私・福沢諭吉の硯は根気が途中で挫折して失敗してしまった事例です。
事柄は小さいとはいえ、この事例をよく噛みしめて味わえば、おのずからそこに味わいがあることでしょう。