首陽大君について

私はあんまり韓国の歴史については詳しくないので、首陽大君については時代劇の「王と妃」で知って、そのあと事典や一般的な書物でちょっとだけ調べたぐらいの知識しかない。

しかし、「王と妃」の中に出てくる首陽大君は本当に強い印象を与える人物だった。

首陽大君(世祖)は、李王朝の第四代国王の世宗の次男で、のちに第七代国王となった。

世宗が逝去すると、第五代国王には首陽大君の兄である文宗が即位した。
しかし、文宗は病弱で、二年間の間に二十五回倒れたそうで、ついに早死にする。

文宗の息子の端宗が十一歳で第六代国王となるが、幼君では国政が安定せず、絶大な権力を持ち軍隊を掌握している金宗瑞と、腐敗堕落した皇甫仁、首陽大君の弟で人望を集めている安平大君らが、首陽大君と並んでそれぞれに周囲に人間を集め、端宗をないがしろにして権勢を振っていた。

その中で、首陽大君は最も勢力も少なく、しかも金宗瑞と安平大君らが手を組んだために孤立していた。

しかし、首陽大君は、少ない部下を引き連れて、電光石火で癸酉靖難というクーデターを起こし、金宗瑞と皇甫仁を暗殺、安平大君を逮捕ののち毒殺し、絶大な権力を掌握する。

そのあと、いろんな経緯があり、甥の端宗を廃位し、配流したうえ、さらに殺害した。

だが、もともとは首陽大君と端宗はとても仲の良い叔父と甥であり、首陽大君もはじめから王位を簒奪しようと思っていたわけではなかったことがドラマではよく描かれていた。

癸酉靖難も、風前の灯火だった端宗を守るために決死の覚悟で行ったものであり、そのあとも幼い端宗を補佐するために全力を尽くしていた。

しかし、絶大な権力を握る首陽大君への讒言や遠ざけようとする画策は絶えることがなく、自らの身を守るためにそれらを排除しようとすると、そうした側近の命を守ろうとする端宗と対立を深めざるを得なかった。

やむをえぬ流れの中で、端宗を廃位するが、廃位したあとは上王として端宗を敬い大切にし、王となった後も決して端宗を殺すつもりは当初は首陽大君(世祖)は持っていなかった様子がドラマでは描かれる。

しかし、上王となった端宗を復位させようとする成三問ら儒学者の謀反と、災いの芽を未然に摘むためになんとかして端宗を殺害しようとする世祖の側近の韓明澮らの動きによって、端宗を殺さざるを得ない状況となっていく。

世祖(首陽大君)は、国王としては法制度の整備を図り「経国大典」を編纂するなど、李王朝の中ではずば抜けた仕事ぶりで、東国通鑑などの歴史の編纂にも力を入れたそうで、暗君や暴君の多い李王朝では出色の君主だった。
しかし、甥を殺害し王位を簒奪したということで、常に道徳的には負い目を持ち、本人も苦しみ続けることとなった。

史実でもあるそうなのだが、ドラマでも、世祖は晩年皮膚病に苦しみ続けたらしい。
なんでも、夢の中に端宗の母親が現れて唾を吐きかけ、その唾のかかったところが皮膚病となり膿みただれたそうである。

ドラマだと、死の間近になると、端宗が夢に現れ、暗い土の中に眠っている端宗を救い出そうとして必死になっている世祖の姿が描かれて、なんとも哀れを誘われた。

首陽大君(世祖)を見ていると、たとえ王位を得ようと、権勢を振おうと、そして名君として大きな治績を残そうとも、道徳的に罪を犯せば、人は全く幸せになれず、随分と不幸なものなのだなあとしみじみ思われる。

もちろん、端宗の方がかわいそうで、端宗ほど哀れな人物は世界の歴史上でも稀だと思うが、首陽大君もまた哀れな人物とドラマを見ていて思わずにはいられなかった。