現代語私訳『福翁百話』 第六十四章 「言論はなお自由でないものもあります」

現代語私訳『福翁百話』 第六十四章 「言論はなお自由でないものもあります」



言論の自由と文明の進歩とが両方必ず伴うという事実は、今の時代の人も身近に経験していることです。
三、四十年前においては、知識人や論客がもし主張したら、すぐに世間を大変驚かし、でたらめや言い過ぎだとして排斥されたであろう議論も、今であれば別にでたらめでも言い過ぎでもなく、いたって普通の議論となり、ただその主義主張のさらなる研究にいそしんでいるという状態です。


嘉永六年(1853年)のペリー来航がきっかけとなった開国から、明治二十八年の今に至るまでの、この四十二年間を大体四等分して、仮に十年を一期とし、一期ごとの世の中の議論の様子を前後比較したならば、ただ自由の方向ひとつへと向かってきたことを観察できることでしょう。
第一期の中においてはくだらない議論とされたことも、第二期になるとやや咎められなくなり、第三期には全く無罪となり、第四期にはすばらしい考えだと歓迎されたことが多いことは、世の中の人が身近に見たことです。
第二期、第三期の中においてはじめて起こり、咎められ、罵られた考えや主張も、段々と罪とはされなくなっていた状況は同様です。
ですので、第四期である今の世において起った議論の中で、場合によっては世の中の耳に逆らうものも多いことでしょうけれども、今後十年、二十年の間には必ず無罪放免を宣告されて、逆に歓迎されるという光栄を受けることも疑いないことです。


ですので、最近の政治やさまざまな人間の出来事における議論が、段々と進歩して段々と自由の高みに入ろうとするものがあれば、なお未だにそうでないものもあるわけで、その中において、人々の身の上の経済上に関する事柄は、ともすれば発言を妨げられている事情があるようですが、これもまた歳月が経つ間には必ず徐々に自由を得るようになるはずだと私は敢えて保証します。


たとえば、今、AさんとBさんという二人の人がいるとします。


Aさんは常に自分の身や家族の経済上の事柄に注意し、節約し努力して両親や妻や子どもを養い、他人に対してもいまだかつて困らせたり迷惑をかけたことがなく、借りたお金は必ず返済し、貸したお金は必ず返済を求め、日ごろから貯蓄して万一の事態に備え、さらに老後の準備や覚悟をして、独立のための計画をしようと日ごろからしている人ですので、その言うことも行うことも自然と精密で厳格なものです。


それに対して、Bさんは、いわゆる小さなことにこだわらない豪快な学生気質で、自分にはこれといった見識もないのにともすれば天下国家を論じて、あちこちに出没しては、財産をなくしてきちんとした家の生計を為さず、お金を得たらすぐに使ってしまい、両親や妻や子に対する責任も理解せず、困ればすぐに人からお金を借りて、借りればそのまま返さず、しばしば多くの人がいる場所でも恥じらいもなく、年末月末の借金取りに追われて家にいることもできないなどと大口を叩いて得々としている様子は、ちょうど自分の身の貧窮を恥じずに逆にそれを誇るもののようです。


さて、このAさんとBさんの二人が、今の社会における対面がどうかと観察すると、豪快な学生気質のBさんこそ肩身が広く、倹約家で努力家のAさんはいつも拝金主義者などと見られて、自然と言動も控えめにせざるを得ない状態です。
これは文明の世界における本当に奇妙な姿と言うべきです。


もしくは、そこまで極端ではなくても、社会の表面にいる紳士たちが、日常の人付き合いの中で自分の財産の力を誇る人は非常に稀なのに対し、自分は貧乏ですと言えば、たとえそれによって特に尊敬を受けないとしても、貧乏であることによってその人の覚悟のなさや心がけの足りなさだと軽蔑する人はいないようです。
これはそもそも、封建社会の時代に、貧しいのは武士の通常のことだなどと言っていた、その風潮の余波が今もなお存在しているものであり、先祖代々決まった石高をもらっていた武士にはお金を増やそうとすることは利益のないことで、しばしばそのようなことによって武士としての気風を損なうこともあるため、貧乏こそかえって武士の美徳だったわけですが、今の時代はそうではありません。
文明社会を生きる人々は、封建社会の主君に養ってもらっている身ではなく、自分で自らを養う者です。
仮にも自分で働いて自分で生きる道を知らない人は、独立の男子ではありません。
しかるに、独立の国家は独立の人によってはじめて維持できるものですので、今後これから日本の国家や経済が伸びて拡大している時代の勢いが段々と急速になるにつれて、それとともに豪快な学生気質の人を許容する余地がなくなり、そんなに多くの年月が経たないうちに、今は世間に咎められているいわゆる拝金主義の言論も、段々と自由となる状態に至ることは、決して間違いのないことです。