現代語私訳『福翁百話』 第五十八章 「人との付き合いもまたそのつど少しずつ行うべきです」

現代語私訳『福翁百話』 第五十八章 「人との付き合いもまたそのつど少しずつ行うべきです」


人とのコミュニケーションの仕方は本当にさまざまな方法がありますが、簡単に要約するならば、文章でやりとりすること、直接面会すること、かしこまらずにリラックスして会話すること、スポーツやゲーム、一緒に食事すること、そしてプレゼントを贈り合うこと、といったもののどれかに当てはまります。


さて、実際にコミュニケーションを行うに当たって、それではどのようにすればいいかといいますと、第五十七章で述べた「智恵の小出し」と同じく、一度にまとめて大いにコミュニケーションをとろうとするよりも、こまやかに注意を払って日ごろからコミュニケーションを怠らないことこそ最も大切なことです。


遠くに離れている友人が、一年も二年も音信不通と思っていたら、突然何かふと思いついたのか、あるいは何か必要なことができてきたのか、突然手紙を送って長々と多くの言葉を書いてきたとしても、このことが原因で友情が急に発生するわけではありません。


それよりも、日ごろからたいした必要なことがない時から、折に触れ短い文章でもお互いにコミュニケーションをとっておく習慣をつくっておけば、予期しない緊急の事態に直面しても、ほんの短い言葉でお互いに通じ合うことができるという利益があります。


ごくたまに宴会を開いて古くからの知り合いや親戚の接待に大きなお金を使うよりも、花見や鳥のさえずりや御月見などでお茶やお菓子を共にして四季の風物を気軽に一緒に楽しむなど、手軽に集まって頻繁にお互いに顔を見ていることこそ、たまの宴会よりもむしろ楽しいことでしょう。


文明の進んだ西洋の社会では、「ティー・パーティー」(tea party)と呼んで、簡単にお茶やお菓子を用意してお客を招き、男性も女性もともに楽しく会話し、楽しいひとときをともに過ごすという習慣があります。
自発的にコミュニケーションを手軽で気軽なものとし、人と集まることを容易にしようとする考えやねらいがあって始められたことなのでしょう。


また、人にプレゼントを贈ることは、その物の値段に関係なく、ただ心ばかりの贈り物ということを表現するだけのことです。
ですので、たとえば昔の恩人の恩に報いるか、あるいは今現在お世話になっている大先輩や先輩などに挨拶する時にも、一度に度を超えた贈り物をしたとしても、それで恩返しの計算がすべて済んだということにもならないでしょう。
もし本当に自分の心に感じているところがあれば、いつもその恩を忘れずに、しばしば相手方の邪魔にならないように訪問して、何らかの贈り物をする時にも心をこめて贈るならば、その物自体は少なかったり軽いものであっても、友情や気持は贈り物から溢れることもあることでしょう。


以上述べたコミュニケーションの方法は、簡単なようで決して簡単なものではありません。
心身が活発で、いろんなことに配慮が行き届き、どこまでも根気のある人であって、はじめて可能なことです。


天下を担う大人物は小さなことを顧みない、などと主張して一人で早合点し、用事がない人に文章などで連絡をとらないことはもちろん、必要な手紙にさえ返事をしない人までけっこう多くいます。
本人にとって不利益であるだけでなく、社会全体の雰囲気までぎこちなく殺風景なものにしている良くない習慣と言えます。