現代語私訳『福翁百話』 第二十四章 「夫婦はお互いに敬意を」

現代語私訳『福翁百話』 第二十四章 「夫婦はお互いに敬意を」


夫婦が一緒の家で暮していて、お互いに親しみや愛情を持つことは当然のことです。
さらにもうひとつ、なかなか他人がアドヴァイスしても届かないことではあるのですが、親しみや愛情だけでなく、夫婦はお互いに敬意を持つべきだとアドヴァイスしたいと思います。


そもそも、人に対して敬意を持つということにおいて、さまざまなことがある中でも、伝えるべき事柄を伝えずに隠すことほど、敬意を欠いていることはありません。


結婚して夫婦となってすでにひとつの家庭を共にし、一心同体、共に家庭を維持していく責任を持ちながら、相手に対して何か秘密があり隠すことがあっては、相手の方からすれば不愉快な気持ちになるはずです。


よくよくこの世間を観察してみると、女性が家の中のことをして男性が外で働いている場合、一家の主人があちこちに走り回って働いて大変な苦労をして一家の生計を安泰にしているのに、家の中の主婦はそのお金がどこから来たのかも知らず、どのようにして稼ぐことができたのかも知らない場合があります。
そして、自分の家の家計は現実にどれぐらい豊かで、あるいはどれぐらい不足しているかを知らず、去年と今年で家の財産がどれぐらい増えたか減ったかの変化を知らない場合があります。


また、そのような家庭の主婦が、場合によっては引っ越して新しい家で裕福になる場合もありますし、逆に以前に比べて家計が苦しくなることもありますし、あるいは一家そろって遠いところに引っ越し、すぐに他の職業に変わってまた元々住んでいた土地に戻ってくるなど、変化が随分と激しい場合もありますが、それらの場合であっても、主婦は夫の話を一通り聞くだけで深い意味や内容を知らず、ただ夫が持ってくるお金によって目の前の家計をやりくりするだけで、すべて夢の中のように歳月を過ごし、名前こそ家の主婦であても、その現実は一時的に滞在しているお客様とあまり変わらず、主ではなく客と同じような場合もあります。


幸運にもその女性がのん気で気楽な性格の場合は、お客のような境遇にもあまり疑問を持たずのんびりと過ごしてくれて、ただ家計のやりくりが十分ではなくてお金を損するだけで済みます。
しかし、そうではなくて、神経過敏で心配性の女性の場合は、毎日夫の挙動を見ていて不審なことがあり、だからといって疑問に思うことを質問しても全然要領を得ないので、ひとりで考え込み、おいしい食事も心ここにあらずで食べればおいしくもなく、快適な服装も心に疑問や心配がある中で着れば少しも快適でなく、鬱々としてついに精神的な病気になってしまうことなど、いつの時代もこの世間ではけっこう多くの事例があるものです。


このような場合は、たとえ、夫が生きている間は無事に何ごともなく済んだとしても、夫が死んだ後こそ気の毒なことです。
生前に夫があちこちで行ったことはすべてその妻が全然知らないことで、書類や帳簿を見てもそもそも理解することができないので、この状況に際して親類や友人たちが相談して書類に目を通し、その夫が生きている間は大事に秘密にして一切他人にも話さず、最も親しい妻にすら伝えていなかった秘密が、今や公然のこととなってすべての関係者に知られ、あるいはさらに世間の人々にさえ伝わり、無関係な遠方の人々がその話を聞いてお茶の間の話題にすることもあります。
不行き届きこの上ないと言うべき事態です。
結局、その一家の主人であった男性が、自分と対等のパートナーであるはずの妻に対して敬意を欠いて、軽んじて、夫婦で共に担うべき家の事を教えず伝えていなかったことによる罪です。


そうは言っても、また違う観点から言えば、家の外の社会における仕事については、家庭の中にいる女性は実際に直接関係する事柄ではなく、またその女性にも人によって賢い場合とそうでない場合とがありますので、私は必ずしも夫婦はあらゆる事柄を共にしなさいと説くわけではありません。


ただ、自分が関わっている事柄の、おおまかななりゆきぐらいは丁寧に相手に語って聞かせて、時々はその現在の状況を相手に伝えて知らせておくことが大切だと主張するだけです。


どんなに、あまり仕事に詳しくなく、さほど賢いというわけではない女性であっても、丁寧に説明すれば、夫が関わっている仕事のことや自分の家が置かれている状況のおおまかな内容を理解しない女性はいないはずです。
世の男性は深く注意すべき事柄です。