復興相辞任 被災者が失望の声
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110705dde041010008000c.html
同じ内容のことでも、言い方や言い回しひとつでだいぶ印象が異なる。
松本さんも、「智恵を出さないやつは助けない」発言も、
「地元からもどんどんアイデアや創意工夫や知恵を出していただきたい」
と言えば、べつに何も角は立たなかったろう。
言っている内容は全く同じだとしても。
また、村井知事に対しても、メディアや衆人の面前で叱るのではなく、とりあえず会見が終わった後、さりげなく長幼の序などを個人的に伝えれば良かったような気がする。
内容は礼節や長幼の序としてたぶん日本古来のモラルとしてはまっとうなことだとしても、人を叱る時には恥をかかせないような気配りも大事だ。
なので、松本さんも、もうちょっと表現の仕方を工夫すれば良かったのにとは思う。
ただ、意外と多くの人が、辞めなくてもよかったのに、という声を、報道を見ているとあげているようである。
片言隻句をとらえて、すぐに辞任に持ち込むことに、なんとも不毛感を多くの人が感じていることも確かなのだろう。
揚げ足取りばかりでは、どうにも不毛だと。
今回の件は、松本さんが辞めてしまった以上、いまさら何を言っても始まらないことなのだけど、辞任の会見で、松本さんが「粗にして野だが卑ではない」と言ったそうで、その言葉にいろいろ考えさせられた。
この言葉、石田礼助の言葉で、石田を描いた城山三郎の小説のタイトルにもなっている。
石田に対しても、田中角栄が「思いっきりやりなさい」と国会でさりげなく横から励まして、石田が「言われなくてもわかっています」と答えるシーンがたしか小説中にあった。
角栄も懐が広いし、石田さんもかっこいいなあと思った記憶がある。
昔の日本は、巧言令色すくなし仁ということもよくわかっていて、美辞麗句よりも内容を大切にし、「粗にして野だが卑ではない」人を愛し、場合によっては大いに活躍してもらうだけの懐の広さがあったのだろう。
今の日本は、そうしたところは全くなくなり、「粗にして野だが卑ではない」人間は世の容れるところとならず、巧言令色すくなし仁の輩の方が、片言隻句を騒ぎ立て、すぐに辞職や辞任に持ち込み、助け合いよりも足のひっぱりあいを好み、恬然として恥じない時勢なのかもしれない。
できれば、穏やかで言葉によく神経が行き届き、決して揚げ足取りにひっかかることもなく、かつ芯が強くて内容もある人がいてくれればいいのだけど、なかなか人間そうそう、そういう風に巧言令色も仁も兼ね備えた人物は多くはないのかもしれない。
とすれば、剛毅木訥だが仁と巧言令色だが仁なき者と、どちらを選ぶかは、よくよく比較考量が要るところかもしれない。
だが、あんまり時勢そのものが変わることも期待できないので、できれば今の政治家には、巧言令色と仁と、両方を心がけてもらうしかないのだろう。