「【立派な徳のある人が自覚すべき八つの項目】についての経」 (『八大人覚経 現代語私訳』)

「【立派な徳のある人が自覚すべき八つの項目】についての経」 (『八大人覚経 現代語私訳』)



仏弟子となった人は、どんな時も、昼も夜も、至誠を尽くして、この【立派な徳のある人が自覚すべき八つの項目】を読誦し思い続けるべきです。


第一 世の中・生命は常に変化する無常なものです。国家社会や家土地も危うく脆弱なものです。さまざまな自然界の要素も結局は苦でありそれ自体としては存在しない儚いものです。物質および精神の諸要素(感覚、想念、形成されたもの、記憶)も、それ自体として存在するものではなく、常に生じては滅し、変化し続け、真実ではない空事であり、変わらない中心は存在しません。
心はさまざまな悪や煩悩が起こる源であり、肉体はさまざまな罪や誤りがはびこる場所だと自覚すべきです。
このようにあるがままに観察すれば、少しずつ迷いの輪廻から離れます。


第二 不要な欲望が多すぎることは、苦しみとなります。輪廻の中の人生において疲労を感じるのは、貪欲に起因します。欲求や意欲の範囲を実際に必要な範囲とし、余計な作為を加えずに自然なありかたで過ごせば、身も心も自由だと自覚すべきです。


第三 過剰な欲望を厭い、満足を知る心がなければ、ただ多くのものを求めて罪や悪を増やしてしまう結果となります。
悟りを求めて精進する仏弟子はそうではありません。いつも満足と感謝の対象を念じ思い、質素な暮らしにも安心して満足し、自分の身や心をきちんと守ります。ただ、智慧を磨き瞑想に励むことを己のすべき事柄と自覚しています。


第四 自分の中の怠惰やなまけを自覚して、常に精進努力し、貪瞋痴の煩悩の悪を破り、四魔(煩悩魔、五蘊魔、死魔、天魔)を克服し、変化し続ける物質および精神の諸要素に束縛されているという五蘊の牢獄を出るべきです。


第五 無知・愚かさと、それによる輪廻の繰り返しをよく自覚し観察し、悟りを求めて修行する仏弟子は、いつも広く学問を学び多くの教えを聴くことを心がけ念じるべきです。智慧を磨き育み、人にわかりやすく伝える能力や言語能力を磨いて実践し、あらゆる人々に真理や利益を伴うことを説き明かし良い感化を与え、すべての人にのこらず幸福と利益を与えるようにすべきです。


第六 貧困や孤独の苦しみは、人の心に悲しみや恨みを多く生じさせ、常軌を逸して悪い条件を与えてしまうものです。
悟りを求めて修行する仏弟子は、平等の慈悲をもって等しく親しいものも怨みを抱くものも、敵も味方も、布施(精神的・物質的な助け)の対象として念じ思います。その人のかつての悪い行為を思わず、悪い人も憎まない。そう自覚しなさい。


第七 眼耳鼻舌身の五感の感覚の対象である欲望は、どれもいずれは変化し苦しみにつながっていくという患いをよく自覚し、世俗の社会で生活する在家の人であっても、そのように観察して俗世間の楽しみに耽溺しないようにしなさい。
いつもお釈迦様や仏弟子たちが三衣一鉢の最低限の衣食住で簡素に暮らした姿を心に思い、志としては出家修行が本当の姿であると思いできれば自分もそうしたいと願い、八正道や五戒などの仏の道をきちんと守って清らか潔白に生き、慈・悲・喜・捨の四無量心で生きる梵行の生活を気高く実践し、生きとし生けるものを慈しみながら生きるべきです。


第八 輪廻の中の生死は燃え盛る炎の中のようなもので、苦悩は無量であるということを自覚し、自他ともに本当に救われていく道を求める心を発心し、生きとし生けるものを助け救い、自ら志願して生きとし生けるものに代わって自分の方から苦しみを避けずに困難や試練に飛び込んでいき、生きとし生けるものを助けて幸福や安楽を与えるべきです。


この【立派な徳のある人が自覚すべき八つの項目】は、お釈迦様やその他の如来、悟りを求めて修行した立派な仏弟子たちが自覚した事柄です。
この【立派な徳のある人が自覚すべき八つの項目】に精進努力し、この道を進み、生きとし生けるものを慈しみ、智慧を磨き修得し、仏の本願力の船に乗って悟りの岸に至り、再び、この迷いの生死に還ってきて生きとし生けるものを助け救い、この【立派な徳のある人が自覚すべき八つの項目】を生きとし生けるものに教え導き、生きとし生けるものを輪廻の繰り返しの中の人生の苦しみと迷いと酔いから目を醒まさせて、眼耳鼻舌身の五つの肉体的な感覚による欲望は結局のところは変化する苦しいものだと捨て離れさせ、心の中の幸福や安楽をこそ目指し八正道等の仏道を修行させなさい。


もし仏弟子が、この【立派な徳のある人が自覚すべき八つの項目】を読誦すれば、念念の中に無量の罪を消滅し、悟りに向かって進歩し、速やかに悟りに達し、永く輪廻の連鎖を断ち切って、いつも快活で安楽な人生となります。




原文
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20110530/1306753636




八大人覚経の英訳
ティク・ナット・ハンが英訳しています!
http://www.buddhanet.net/pdf_file/beingssutra.pdf