鉄眼の一切経 

鉄眼禅師についての以下の文章が、大正十二年から昭和十八年まで、ずっと尋常小学校の国語の教科書に載っていたそうだ。
とても胸を打つ、良い内容の良い文章だと思う。
今も多くの子どもや大人に読んで欲しいものだ。




第二十八課 鉄眼の一切経 (尋常小学国語読本 巻十一)


 一切経は、仏教に関する書籍を集めたる一大叢書にして、此の教に志ある者の無二の宝として貴ぶところなり。しかも其の巻数幾千の多きに上り、これが出版は決して容易の業に非ず。されば古は、支那より渡来せるものの僅かに世に存するのみにて、学者其の得がたきに苦しみたりき。
 今より二百数十年前、山城宇治の黄檗山万福寺に鉄眼という僧ありき。一代の事業として一切経を出版せんことを思ひ立ち、如何なる苦難を忍びても、ちかつて此のくはだてを成就せんと、広く各地をめぐりて資金をつのる事数年、やうやくにして之をととのふる事を得たり。鉄眼大いに喜び、将に出版に着手せんとす。たまたま大阪に出水あり。死傷頗る多く、家を流し産を失ひて、路頭に迷ふ者数を知らず。鉄眼此の状を目撃して悲しみにたへず。つらつら思ふに、「我が一切経の出版を思ひ立ちしは仏教を盛にせんが為、仏教を盛にせんとするは、ひつきやう人を救はんが為なり。喜捨を受けたる此の金、之を一切経の事に費やすも、うゑたる人々の救助に用ふるも、帰する所は一にして二にあらず。一切経を世にひろむるはもとより必要の事なれども、人の死を救ふは更に必要なるに非ずや。」と。すなわち喜捨せる人々に其の志を告げて同意を得、資金を悉く救助の用に当てたりき。
 苦心に苦心を重ねて集めたる出版費は、遂に一銭も残らずなりぬ。然れども鉄眼少しも屈せず、再び募集に着手して努力すること更に数年、効果空しからずして宿志の果たさるるも近きにあらんとす。鉄眼の喜知るべきなり。
然るに、此の度は近畿地方に大飢饉起り、人々の困苦は前の出水の比に非ず。幕府は処々に救小屋を設けて救助に力を用ふれども、人々のくるしみは日々にまさりゆくばかりなり。鉄眼ここにおいて再び意を決し、喜捨せる人々に説きて出版の事業を中止し、其の資金を以て力の及ぶ限り広く人々を救ひ、又もや一銭も留めざるに至れり。
 二度資を集めて二度散じたる鉄眼は、終に奮つて第三回の募集に着手せり。鉄眼の深大なる慈悲心と、あくまで初一念をひるがへさざる熱心とは、強く人々を感動せしめしにや、喜んで寄付するもの意外に多く、此の度は製版・印刷の業着々として進みたり。かくて鉄眼が此の大事業を思ひ立ちしより十七年、即ち天和元年に至りて、一切経六千九百五十六巻の大出版は遂に完成せられたり。これ世に鉄眼版と称せらるるものにして、一切経の広く我が国に行はるるは、実に此の時よりの事なりとす。此の版木は今も万福寺に保存せられ、三棟百五十坪の倉庫に満ち満ちたり。
 福田行誡かつて鉄眼の事業を感歎していはく、「鉄眼は一生に三度一切経を刊行せり。」と。