首相 束の間の休息のあとには、また頑張って欲しい

首相、震災後初めて終日公邸
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011041700011




菅首相に対し、保身や私利私欲ばかりと安易に批判する人々がいる。

想像力があれば、六十代半ばで激務に耐えながら、はかりしれないプレッシャーを背負いがんばっている人に、そうは言えないのではなかろうか。
職責を投げ出してやめた方がよほどラクだろう。

通常でも総理の仕事は激務。
ましてや今は、はかりしれない激務とプレッシャーと思う。

いまは責務を考えて気力で続けているのだろう。
正直、近年の他の歴代首相のほとんどであれば、このプレッシャーに体調不良になるか嫌になって投げ出すかでとっくに首相辞任になっていたと思われる。

きちんと見ると震災後の菅首相はかなり良い仕事をしている。

しかし、首相の労をねぎらうどころか、悪罵ばかりなげつけるのが昨今の日本の風潮のようである。

聖徳太子の十七条憲法の言葉は、誰でも知っているはずである。

「一に曰わく、和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父に順わず、また隣里に違う。 
しかれども、上和ぎ下睦びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。
何事か成らざらん。」

(現代風に大意意訳)

「協調や助け合いを大切にし、不和やむやみな反逆がないようにすることを大事にしなさい。
人間にはそれぞれグループや党派心があるけれども、完璧な人というのはほとんどいない。
弱点や欠点ばかり見ていれば、リーダーに従わず、お互いに相争うことになる。
しかし、社会の各層のリーダーが穏健で、それに従う人々がよく協調し、きちんと情報公開や議論や対話をしあうことができれば、直面する課題への適切な解決策や筋道がかならず見つかる。
そうであれば、どのようなことでも、必ず実現できる。」

本来の日本の精神とは、このようなものだったはずである。
過去の歴史においても、いくたびも日本は大きな試練や危機に見舞われてきたが、そのたびに上下心をひとつにして一丸となって困難を乗り越えてきた。

しかしこの精神は、もはや今の日本にはほとんどなくなっているのかもしれない。

今の日本、本当に「和を以て貴しとなし」ているのだろうか?
逆に「忤(さから)うこと」を以てと貴しと勘違いしてやいまいかと思う。
無暗な付和雷同は百害あって一利なしだが、無暗な不和や短命政権ばかりも百害あって一利なしだろう。
なんでもダメだダメだと言うことほどラクなことはないし、責任を負わずに済むこともないが、そのような姿勢ほど非建設的なものはない。

菅首相や政府に対し、きちんとした根拠にもとづかないネガティブ・キャンパーンや悪罵が蔓延している。
足りないところや頼りにないところがあると思うならば、建設的にアイディアや策を自分たちが出して協力し支えればいいことだ。
また、疑問があれば、礼節をもってきちんと疑問点を問うていけばいいことと思う。
しかるに、昨今の日本の風潮は何だろうか。

「ともにこれ凡夫」
助け合いの精神こそ、今は大事ではなかろうか。


聖徳太子は、仏教を規範とすべきことを説いたが、
仏教においては「四正勤」という四つの努力を説く。

1、すでに生じた悪は除く。
2、いまだ生じてない悪は生じないようにする。
3、いまだ生じていない善は生ずるようにする。
4、すでに生じた善は増すようにする。

試みに今の日本にこの四正勤をあてはめるならば、

原発事故への対策が1。
首相交代による政局混乱を防ぐことが2。
復興構想を国民の英知を結集して紡ぐことが3。
すでに行われている良い施策や政策をきちんと評価し、支持し、応援することが4。
そう言えると思う。

また、仏教には、不両舌戒ということが説かれる。
両舌とは、人の間を裂き、分裂させ、仲違いさせる言葉のことである。
それを厳重に戒めている。

さらに、その反対の「不両舌」が大事にされている。
離反した人々を和合させ、和合した人々を一層親密にさせ、協調を愛し、協調を好み、協調を喜び、協調を促す言葉を語る。
温和で品位ある言葉を語る。
そうしたことが、「不両舌」であると経典には説かれる。

今の日本は、和を貴しとせず、不両舌を怠り、両舌や悪口雑言ばかりが蔓延している。
これで本当にいいのだろうか?

よく日本精神の復興や、古き良き伝統の再興とか言う人がいるが、具体的に何を日本の中の良きものとして大事にするのか、その取捨選択が大事だろう。
単純に言えば、十七条憲法の精神の復興こそ、最も大事で、最も必要なことのように私は思う。

首相の労をねぎらうこともできず、支えることもできず、ただ無責任な悪罵を投げつけることほど、十七条憲法に具現されているような日本の最良の精神から程遠いものはあるまい。

危機に際して、自分たちの首相を支えることができない政治家や国民とは、いったい何だろうか。
首相をダメと言う時に、自分たちを顧客か傍観者と勘違いしていまいか。

民主主義の制度下においては、政治に対して、他人事や傍観者、あるいはサービスを受ける顧客とのみ思うことは甚だ誤っている。
民主主義とは、多かれ少なかれ、すべての国民に「当事者」の意識と構えを要求するものである。
当事者が嫌ならば、民主主義をやめればいい。
民主主義ならば当事者のはずだ。

当事者ならば、チームのトップを立てて、支え、応援し、その労をねぎらうのは当然ではないか。

総選挙を行うと、選挙費用は七百五十億円ほどかかると言われている。
首相退陣を主張する人々に聞きたいが、七百五十億円を復興費用に使うのと、政局混乱と選挙に長い時間とエネルギーをそそぐことで使うのと、どっちが本当に今の日本にとって良いと思うのだろう?

菅総理には、心から激務おつかれさまですと言いたいし、束の間の休養をしっかりとったら、また日本の指導者としてこの危機を乗り越えるためにがんばって欲しいと思う。


参照

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与野党は、安易に首相に「辞めろ」と言う前に「政治がいまやるべきこと」に総力で当たる政治の体制を整えることが先決だろう。被災地は、きょうも辛苦の日が続いている。
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西日本新聞社説「首相退陣論 安易に辞めろと言う前に」
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/237358