東京大空襲の日 四つのこと

今日は東京大空襲の日。

私は、四つのことを忘れないことが大事ではないかと思う。


一つは、アメリカの東京大空襲や諸都市への爆撃、広島・長崎への原爆投下は、明白な国際法違反だったということだ。

日本は曲がりなりにも国際法違反について東京裁判で罪を問われたが、アメリカは無差別な非戦闘員への殺戮だったこれらの国際法違反について、今もってきちんとした謝罪も反省もしていない。

個々のアメリカ人には稀には立派な人もいるだろうが、全体としてアメリカは自らの戦争犯罪に自覚的とは思えない。

日本としては、過去の歴史を忘れず、これらの悲惨な歴史的事実や国際法違反という点について、アメリカに対して、べつに責めたてたり憎んだりするというわけではなく、理解してもらうように発信し伝えていくことは大事ではないかと思う。


二つめは、制空権が完全に奪われ、戦局の挽回がもはや不能になっていたにもかかわらず、和議を進めることもできず、自国民を守れなかった当時の政府や軍部の無能・無責任ぶりである。

そもそも、勝つ見込みがないのに、あのような大戦争を巻き起こした指導者たちの主体的な責任意識の欠如は、べつに個々人に対して憎しみを忘れるなということでは決してなく、組織や個人のあり方の問題として、後世は忘れるべきでない多くの教訓を残していると思う。


三つめは、二つめにあげたような政府や軍部を制御できなかった、当時の国民やマスコミのあり方である。
特にマスコミは、しばしば政府や軍部以上に熱狂を煽り、真実を隠蔽し、国民をミスリードする大罪を犯した。
そのことは忘れず、批判的知性や自由で健全な報道はいかにあるべきかについて、後世はこの教訓を生かす必要があると思う。


四つめは、一〜三の結果として、これほどの悲劇があり、国土が焦土と化したにもかかわらず、再び立ち上がり、戦後復興を成し遂げた、敗戦後を生き抜いた日本人たちの偉大さである。


黙々と再び立ち上がり、見事に廃墟から再び祖国を再建し、かくも経済的に豊かで平和な国家社会を築いてくれた我々の祖父母の世代の恩は、私たちは決して忘れてはならないと思う。

そして、その恩に本当に報いるためにも、良かったことも悪かったことも両方きちんと忘れずに受けとめ、教訓は生かし、恩には報いることが大事と思う。

また、その努力こそ、あの戦争で亡くなった人々への、本当の供養につながることであると思う。

二度とあのような悲劇を繰り返さないために、あの時代から学ぶことはいまもとても多いと思うし、未だに必ずしも十分にその教訓を日本は生かしきれてはいないだろう。

国際法の理念の普及や貫徹、きちんとした政治的統合や政治的力量の発揮や涵養、報道の自由や質の問題、先人の辛苦を忘れず恩に報いること。

これら四つのことを、三月十日や六月二十三日や、八月六、九、十五日など、折に触れて、あらためて考えていきたいと私は思う。