二二六事件は政治の責任

小沢氏 政権公約見直しを批判
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011021100319


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小沢氏は、旧陸軍の青年将校が反乱を起こした二・二六事件に触れ「事件を忘れてはならない。それが(起きたのは)国民の生活をきちんと守り切れなかった政治家と政治の責任だ」と指摘。「生活苦、貧困が、そのような悲劇をもたらした。だから私は『国民の生活が第一』だというスローガンを掲げた」と強調した。
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菅さんと小沢さんの是非や、マニフェストの修正の是非はとりあえず置いて、

二二六事件を忘れてはならないということ、そして二二六事件の責任が政治にあったという小沢さんの指摘自体は、正しいし大事なことだと思う。

昭和初期、政友会と民政党の二大政党は党利党略に明け暮れ、貧富の差の拡大や国際政治の難問に対してあまり適切な政治ができず、国民からはその腐敗と無能ぶりを落胆されていた。

二二六の青年将校たちが、法律に反してクーデターを目指して殺傷行為を行ったこと自体は批判されてしかるべきとは思うが、彼らとしては日本の前途を憂い、政党政治の機能不全を憤り、貧しく苦しんでいる人々のことを思いやむにやまれぬ気持ちで突っ走った面もあったのだと思う。

もちろん、結果として言えば、二二六のクーデターは失敗に終わり、日本の政党政治の死と統制派の台頭をもたらし、青年将校たちの意図とは裏腹に日本の破局をより早く招く結果になってしまったと言えるかもしれない。

ただ、問題なのは、当時の日本が政党政治によって国難を打破することができず、政治的統合や適切な改革を行うことができなかったということだと思う。
二二六事件は政党政治の死をもたらしたことは事実だが、青年将校たちだけの責任ではなく、それ以前に政党政治の腐敗と機能不全があったからこそ事件は起きたと見るべきだろう。

そうした観点から言えば、二二六事件は軍部軍人だけの責任ではなく、政党政治の責任だったと言えると思うし、小沢さんの指摘のとおりと思う。
事件の教訓を後世に活かすためには、二二六事件をそれ以前の政党政治の機能不全の結果として切実にとらえる視点がたしかに大事だと思う。

党利党略のためにひたすら民政党の足を引っ張ることしか考えず、統帥権干犯問題などを自ら持ち出した政友会。
また、無産政党社会主義と提携できず、結果として日本のファッショ化を阻止できなかった民政党

ひたすら民主党の足をひっぱることしか考えず、あまりきちんとした説明の伴わない政策拒否ばかりの自民党や、本来は第三の道を掲げていたはずなのにいまいち路線が明確でない民主党の姿を見ていると、なんだか政友会の末期や民政党の末期に若干似てきたような気もしなくはない。

また、実際以上に政党政治の腐敗を嘆き、政治への不信と失望ばかりに走った当時のマスコミと国民も、いくばくか今のそれと似通ったところもあるのかもしれない。

昭和初期とこの平成の時代は、もちろん違う要素も多々あるので、単純に似ていると言うことができないのはもちろんだが、上記の要素や、短命政権がころころ変わっているという点は若干似ていると言えるかもしれない。

大事なことは、党派に偏らず、機能する政党政治与野党も国民も責任を持ってしっかり考えていくことだろう。

私自身は、説明責任がきちんと果たされれば、マニフェストの微修正は当然あってしかるべきと思うし、べつに良いのではないかと思う。

マニフェストをそのまま続けようと、あるいは変えようと、大事なことは説明責任であり、機能する政党政治だと思う。

それができれば、今の菅政権であろうと、あるいは小沢派であろうと自民党であろうと、どれが政権の担い手になってもかまわないのだが、権力争いで政党政治を機能不全にすることだけはなんとか避けて欲しいものだと思う。