Nスペ 無縁社会 〜“無縁死” 3万2千人の衝撃〜

以前、Nスペで「無縁死」の特集があった。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/100131.html

(以下はその番組を見た時の感想)


おととしの一年間だけで、三万二千人が行旅死亡人として、つまり誰も遺骨を引き受けず、無縁のままで亡くなったという。

単独死、無縁死が、いつの間にか、社会でこんなに増えているのだと、見ていてはじめて知った。

番組にとりあげられていた人は、ごく普通にまじめに働き、しかし近所づきあいもなく、仕事をやめたら仕事の人間関係もなく、孤独死していったようだった。

また、まだ生きている人でも、生前からNPOと契約し、自分が死んだあとの処理や葬儀・埋葬を頼む人が増えているらしい。
その一人の方がとりあげられていて、三菱の百年史に写真が載ったほど、大手の銀行で深夜二時三時まで働き、名刺の束が二束もファイルにあるほど仕事の時はいろんな人との付き合いもあったけれど、仕事ばかりで熟年離婚し、仕事をやめたら誰との付き合いもなく、孤独とのことだった。

また、生涯未婚の人も増えているらしく、そのうちの一人の方がとりあげられていて、看護士の仕事と親の介護で忙しく結婚する暇もなく七十代まで生きてきたそうで、まじめな良さそうな人だった。

ごくまじめに普通に暮らしていても、なかなか結婚もできず、人との縁もなく、無縁死を迎えるしかない人が増えてきているのかもしれない。
寂しい社会だなぁと思う。

最後にとりあげられていた、やはり無縁死を遂げた方は、しかし、もっと昔に、閉じこもっていた時に、近所の人が声をかけてあげたことで立ち直り、それから自分なりにまじめに生きていた様子がとりあげれていた。
生前のその人を知っているその近所の人が、いてくれてよかったと話していた。

人間、誰かにいてくれてよかったと思ってもらえたら、きっと意味のある人生だったと思うし、自分も満足できるのではないかと思う。
その人の場合は、たまたまそうした近所の人がその時にいたわけだけれど、他の人の場合にもそうした存在がいれば、それが生きていく力になるのかもしれない。

私も、今は幸いいろんな縁があるが、将来の業縁次第では、無縁死を遂げることにならないとも限らない。
あまり心配しても仕方ないし、死に様はどうでもいいのが仏教者というものなのだろうけれど、なるべくならば、無縁死よりは縁のある人々の中で死にたいものだ。

もちろん、それは業縁次第で、本人にはどうにもならない場合もあろうけれど、ある程度は、生前その人がどれだけ周囲の人を慈しみ、縁を大事にしていったかにもよるのだろうか。
だとすると、私はあんまり縁を大事にしていないように反省もさせられるので、なるべく縁を大事にし、周囲の人を慈しみ、親や伴侶や親族や友人を大事にして、生きていかんとなぁ。
それに、なるべくならば、先んじて、周囲の他の人にとって、なるべく無縁とならぬように配慮して手をさしのべられる人間になろう。

二十年後、女性の四人に一人、男性の三人に一人は、生涯未婚になるそうである。
もちろん、結婚だけが人生の幸福とは限らないし、いろんな形が人生にあっていいのかもしれないけれど、無縁死の数が増えることはなんらかの工夫が各人、および社会にとって必要ではないかと思う。
豊かな人間関係のある社会になっていけばいいなぁと思うのだが、なかなか現代社会では「時代の力」に抵抗するのは、よほどの智慧と力量がないと難しいのかもしれない。