(2009年5月記す)
むかし、たぶん「その時歴史が動いた」か何かでテレビで見て、暗澹たる気持ちになったのだけれど、
戦国時代の一向一揆への弾圧をもの語る、越前小丸山城跡から出土したという瓦には、こんな文字が書かれていたという。
「五月二十四日、いき(一揆)おこり、其(その)まま前田又左衛門尉
(またざえもんのじょう)殿、いき千人は(ば)かり、いけとりさせられ候なり。御せいはい(成敗)は、はつつけ(磔)、かま(釜)に煎(い)られ、あふ(焙)られ候や。かくのごとく候。・・」
千人を、磔や釜茹でか。。
なんちゅうか、前田利家や織田信長って、大河ドラマにもなって、庶民も夢中になったりしているけれど、たぶん、大半の日本の庶民の先祖は、信長やその部下の利家らに虫けらのように酷い殺され方をした側の人間がほとんどなんだろうと思う。
自分の先祖が、虫けらのように殺された側だとはまったく想像力も働かず、信長を賛美したりする人々を見ていると、なんというか、なんだかなあという気はするが、しかたないのかもしれない。
なんというか、日本の中世や近世の歴史書や軍記物や、はたまた近現代の通俗時代小説って、ちっとも庶民の息吹や呻きが伝わってこないものが多いような気がする。
日本の抱える歴史的な問題だろうか。
たまに、こういう文字瓦みたいなのが見つかって、庶民のうめきの一端が垣間見えるけれど、それもほんの一端だしなぁ。
そのうち、もうずっと何百年も経っていったら、先の大戦でいかに庶民が呻吟し血の涙を流したかということは忘れられて、戦後も米軍基地周辺でのいろんな悲惨な事件は忘れられて、アメリカさん万歳ということでアメリカに協力した自民党政府は賢い政府でした、みたいな歴史書になっていくんだろうか。
文字瓦みたいなものに耳を澄ましたり、そういうのを残していくってことが、本当の歴史の魂なんじゃないかと思うけれど、そういうのは存外日本では少ないし、うけもしないのかもなあ。