(以下は2009年1月に、テレビに大江健三郎さんが出演していて語った言葉を聴いた感想)
大江さんは、だいたい以下のようなことを言っていた。
今と、百年前頃はよく似ている。
ちょうど百年ぐらい前、石川啄木が「時代閉塞の状況」という一文を書いていて、その中で、今は若い者が閉じこもっている、自閉している、と述べている。
今もよく似ているのではなかろうか。
想像力とは、自分以外の人間のことを考えること。
その想像力を、日本の現代社会は置き去りにしてきて、想像力がない人間をとがめない、ぜんぜんとがめだてしない社会のありようだったのではないか。
他人を思いやる心をなくした閉塞の時代、ではないか。
で、こうした時代の中で、ひとつの言葉を、特に若い人には知って欲しい。
それは、パレスチナの問題に長年たずさわった、先年亡くなったサイードの言葉だけれど、
「人間のやっていることなのだから、解決しないはずはない。」
という言葉である。
これは、楽観主義なのだけれど、自然な楽観主義なのではなくて、いわば意志が楽観主義を支えている、意志の力による楽観主義である。
こうした、意志の力による楽観主義を持つことが、これからは一番大切なのではないか。
ちょっと言葉は不正確かもしれないから、だいたい上記のような内容のことを述べていた。
さらに、自分の好きな言葉で、”outgrow” と ”upstanding” という二つの言葉をあげていた。
“outgrow” はオーデンがよく使う言葉だそうで、草などがどんな状況でもよく伸びていく様子をあらわす言葉だそうである。
“upstanding” はイェーツがよく使う言葉だそうで、まっすぐ立つ、自立する、といった意味らしい。
大江さんがそう言ったわけじゃないけれど、敷衍して言い換えるならば、「雑草魂」と「すっくと自分の足で立つ」といったところだろうか。
一言でいえば、「草莽」だろうか。
なるほどーっと思う、いい話だった。
さすがだなぁ。
高校の時に、大江さんの講演を一度だけ直接聴いたことがある。
訥々とした語り口で、その時はいまいちよくわからないところもあったし、私はどちらかというと当時ファナティックな右傾少年だったので、あんまりピタッとよく受けとめられたわけではなかったが、その時に聴いた話も、心のどこかにのこって、その後とても役に立ったような気がする。
「閉じた心ではなくて、開かれた心で生きて欲しい」みたいな話だった。
あと、もっとずっと経ってから、ちょうど「宙返り」を書かれた頃にインタビューで言っていた「魂のことをすること」という言葉も、胸に響くことばだった。
この、「“人間のやっていることなのだから、解決しないはずはない”という意志の力による楽観主義を持って生きよ」というメッセージも、折々思い出して拳拳服膺したいものだ。
そうした楽観主義に基づいて、想像力を広げ深めて、草莽として生きていく人が増えれば、きっと日本は閉塞状況を突破しうるのだろう。