以前、ETV特集で「戦争は罪悪である ある仏教者の名誉回復 竹中彰元」という番組を見た。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/1012.html
(以下はその時の感想)
竹中彰元は浄土真宗(大谷派)の僧侶で、日中戦争当時、「戦争は罪悪である」と説き、官憲から弾圧を受け、大谷派の本山からも布教使の資格を剥奪されたそうだ。
最近、大谷派の本山が、当時の措置の誤りを認め、竹中彰元の復権顕彰を行ったそうである。
仏教の不殺生戒の原点に立ち、時代の空気に敢然と立ち向かい、「戦争は罪悪である」とはっきり主張した竹中彰元こそは、後鳥羽上皇の弾圧にも節を屈しなかった法然上人や親鸞聖人の魂を受け継ぐ人物だったと思う。
それと比べて、暁烏敏などは、本当にどうしようもないと思う。
しっかし、ネットで散見する限りでも、今日の東西本願寺等々の僧俗にも、どちらかというと暁烏敏に近いような人が多い気がする。
嘆かわしいことだ。
なかなか、法然上人や親鸞聖人の魂は正確には伝わらないということだろうか。
戦時下の浄土真宗は、東西本願寺とも、暁烏敏のように戦争の太鼓持ちをした人物の方が残念ながら多数を占めたが、中には竹中彰元のようにあの重苦しい空気の圧力に抗して、敢然と自分の意見を表明した人も少数ながらいる。
歌手の植木等の父親の植木徹誠も、大谷派の僧侶だったが、反戦を主張して四年間ほど投獄されていたそうである。
また、浄土宗においては、林霊法が治安維持法で検挙され、長く苦しい獄中生活を送ったそうである。
林霊法は、戦後になって、竹中彰元のお寺に訪れているそうである(竹中彰元自身はすでに亡くなっていたようだが)。
おそらく、問題は、戦争に賛成か反対かということだけではないのだと思う。
日ごろから、どれだけきちんと御法義を正しく理解し受けとめているか、命をかけて念仏しているか、そういうことの積み重ねが、日中戦争のような非常事態になるとおのずと各自の対応に現れてくるということであり、単に表層の戦争に賛成か反対かということのみを批判してもどうにもならないのだと思う。
おそらく、暁烏敏などは、根底から造悪無碍の異安心にもともと陥っていたゆえに、戦時下でも外道の振る舞いしかできなかったのであり、植木徹誠や竹中彰元や林霊法は、日ごろから御法義に生きていたのが、非常事態におのずとそれなりの行動になって現れたということなのだと思う。
戦時中は、大谷派の法主が伊勢神宮に自らも参拝し、門徒にも武運長久の祈願を神社等でするように達しを出していたそうで、竹中彰元が加持祈祷を禁じた宗風に背くとそのことを批判していたそうだけれど、法主以下、大半の僧侶はもはや宗祖親鸞聖人の教えはまったく無視して、ぜんぜん浄土真宗でも何でもない宗教に陥っていたということなのだろう。
いろいろと、浄土真宗や仏教の過去や未来について考えさせられる番組だった。
竹中彰元についての本も、そのうちもっといろいろ読んでみたいと思った。
浄土真宗・念仏は、出世間の道。
世間の顔色ばかりうかがって生きる付和雷同の生き方から超越して、本当に自立した道を歩む生き方が、念仏者の道。
法然上人や親鸞聖人が命がけで身をもって示した、そうした生き方を継承せずに、単に時代の空気に染まったり圧力に屈して付和雷同に生きるものは、念仏者でも何でもないということは、すべての念仏者が肝に銘じるべきことだろう。
竹中彰元は、まぎれもなく出世間の道を生きた人物だった。
そのことは、忘れてはならぬと思った。