だいぶ前だけれど、松下竜一『疾風の人 ある草莽伝』(河出書房)を読んだ。
(以下はその時の感想)
とても感慨深かった。
この本は、増田宋太郎について書かれている。
福沢諭吉の親戚であり、福沢諭吉の暗殺計画を立てたこともある人物。
西南戦争で、中津出身ながら、最後まで西郷たちと運命を共にした。
それぐらいは前から知っていた。
名前だけは、小さい頃に見たドラマ「田原坂」や、西南戦争関連の本で聞きかじったり、あるいは福沢諭吉関連の本で知っていたけれど、具体的にその人生を詳しくはぜんぜん知らなかった。
よくぞこの本を著者は書いたものだと思った。
丹念な取材と、すごい筆の冴え方。
さすがと思った。
増田は、現代人にはひょっとしたら感情移入しにくい人物なのかもしれない。
彼が命を賭けた尊王攘夷や国学というのは、現代人からは理解しがたい部分も多いし、福沢諭吉の利巧で「賢い」生き方と比べて、増田宋太郎の生き方はあまりにも「愚か」かもしれない。
増田が後から命をかけて取り組んだ自由民権や、西郷に賭けた第二維新というのも、今日の目から見たらいささか具体的な内容や理論がよくわからないものだと指摘するのはたやすいことだろう。
にもかかわらず、この本を読むと、なんとも哀切な、惜しくてならないような気がしてくる。
それは、どんなにその理念は、時代によって置き去りにされたり、その不備をつかれるものであったとしても、増田宋太郎の愚直なまでの生き方と情熱と理想の高さが、人としてやはり何かしらとても大切なもののような、愛惜されるような、何か稀有な尊さを持つものだからだろうと思う。
単純に言えば「無償の」何か、日本という国やそこに住む人々への献身や愛なのだと思う。
「何かをなしたい」と思いながら、いたずらに焦る日々。
福沢諭吉などが中央で華々しく成功しているのに比べて、病気の家族を抱えて郷里を離れるわけにもいかず、地方でくすぶる日々。
そうした日々の中で、そうであるにもかかわらず、焦りながらも何かをなそうと努め、中津に地方新聞をつくったり、民権運動に努力し、最後は何かに憑かれるように西南戦争に呼応して決起していった増田の姿は、私はとても共感するし、極論するならば、福沢諭吉と並ぶあの時代の中津が生んだ最も偉大な魂だったと思える。
人間は、結局、業縁によって、業縁のままに生きるしかない。
福沢諭吉のように生きれる人もいれば、増田宋太郎のようにしか生きれない人もいるのだろう。
世俗の成功や評価は、それはぜんぜん違うとしても、本当は精一杯命を燃焼して生きたという点では、決してひけをとらず、甲乙をつけるのがおかしなことのようにも思えてくる。
何かをなそうとしてなかなかなせなかった増田が、西南戦争にめぐりあったのは、たしかに28歳という短い生涯に終わることにはなって、西南戦争に参加しなければもっと長生きできたのかもしれないけれど、増田にとっては晴れがましい舞台だったかもしれないし、栄光の場だったのかもしれない。
まあ、私の人生にはそういう機会はめぐってこないかもしれないけれど、傍からは愚行に見えても、男という生き物は、西南戦争があれば利害得失を無視して馳せ参じて官軍と思う存分闘って死にたいという欲求がある人にはあるのだと思う。
増田は、そうした千載一遇の機会に、維新の時にはあえなかったとしても、西南戦争であえたのだから、まだ幸せかもしれない。
たしかにそこに、増田宋太郎という人がかつていて、こういう稀有な情熱を持って生きたということを、膨大な資料と丹念な筆致でよみがえらせたこの本は、やっぱり稀に見る名著だと思う。
ああ、私も、いつかこんな本を、花山院隊や雲井龍雄についてでも書くことができたらなあ。