■性描写 日本は野放図と都知事
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201012/2010120300681
だいたい、「過激な性描写」ということをどうやって決めるのだろうか。
実在しないキャラクターの年齢判断をどうやって行うのだろう。
それに、18歳未満への販売規制を行うとしても、その実効性に疑問があるし、そもそもそのような漫画が実際に社会に悪影響を与えているかどうかの証拠があるのか疑問だし、取り締まったところで性犯罪が減るのかも疑問である。
恣意的に漫画の表現への規制が行われる危惧や、表現への自己規制や萎縮が強まるだけではないか。
あるいは書店や出版社の苦労や迷惑が増え、しかも社会への影響の改善が別に特にない、ということになるのではなかろうか。
仮に書店で陳列を規制したとして、そもそも今はネットで簡単に書籍は注文できる。
いちいちネットで相手の年齢を確認するわけにもいかないだろうし、その真偽を確実に確かめるわけにもいかない。
いちいちそれらを確証できるようななんらかの術を設けるとしたら、それこそ管理社会の最たるものにつながっていくだろう。
どれぐらいの性描写から規制の対象になるかはよくわからないけれど、間違いなく山本直樹や田中ユタカや江川達也や榎本ナリコや岡崎京子や安野モヨコなどの作品は、もしこの都条例改正案ができれば規制対象になるのではなかろうか。
しかし、高校生がこれらの作品を読んではいけないという理由が私にはよくわからない。
そのいくつかは私も高校の頃に読んだけれど、べつに悪影響を受けたとは思わないし、かえっていろいろ考えさせられたような気がする。
むしろ、若者が無菌状態できちんと性について考える材料となる漫画の名作から遠ざけられる方が、実際問題としてかえっていろいろ問題を惹起する場合もあるように思われる。
漫画やサブカルチャーは、高校生ぐらいの年齢にとって、愛や性の問題について考える大きな参考や材料になっているのではないかと思う。
性描写のある漫画が実際に未成年や社会にどれぐらいの悪影響があり、本当に犯罪と因果関係があるのか。
また、規制するとして、どの範囲で規制するのか。
さらに、実際にその規制をどうやって行い、その規制に意味はあるのか。
それらのことがよくわからない段階で、いたずらに公権力の干渉領域を拡大することは、何も良い結果は望めない気がする。
東京のことは他県人の私にとっては関係がないので、どうなりと自由にしてもらっても都民の意思ならばそれでもいいけれど、都がそのようなことをすると考えなしの地方に波及する可能性があるので、できれば東京都民には適切な分別と先見の明と自由への愛を失わず、隷属よりも自由人の精神が横溢するような自治を目指して欲しいものだ。
だいたい、青少年の性の健全さを願うならば、漫画の規制よりは性教育に力を入れて、その時間数や方法を工夫する方がそもそもよっぽど有意義じゃなかろうか。
性犯罪に関して一番問題なのは、人間を道具のようにしか思えない感性や心の貧しさである。
そのような心や感性の貧しさがどうして生じるのか、さらにはどうすればそうした感性や心の貧しさを脱却し想像力や思いやりのある豊かな心が育めるか。
そのことをこそきちんと考えるべきであり、サブカルチャーはむしろ感性や心の領域を広げ耕すものであることに留意すべきである。