雲井龍雄 「鴨に、広沢・岡松・林・武市・伴の諸君と飲む、席上、広沢君に贈る」

「鴨に、広沢・岡松・林・武市・伴の諸君と飲む、席上、広沢君に贈る」

藺氏元全趙    藺氏(りんし) 元(もと) 趙を全うす  
荊軻曾許燕    荊軻 曾(かつ)て 燕に許す
輸誠期貫日    誠を輸(いた)して 貫日を期し
決死誓回天    死を決して 回天を誓ふ
皇道與花落    皇道 花と與(とも)に落ち
人心趁水遷    人心 水を趁(お)ふて遷(うつ)る
聴鵑邵子涙    鵑を聴く 邵子の涙
頌橘屈生篇    橘を頌す 屈生の篇
鼎鑊吾甘矣    鼎鑊(ていかく) 吾(われ) 甘んず
鹽梅君勉旃    鹽梅(あんばい) 君 旃(これ)を勉めよ  
欲知丈夫志    丈夫の志を 知らんと欲せば
請読獲麟編    請ふ 読め 獲麟(かくりん)の編


(大意)

中国の戦国時代末期の趙の名臣・藺相如(りんしょうじょ)が、大国・秦に対し一歩も引かぬ気概で国を全うしたように、

そして、荊軻が燕のために、秦の始皇帝をただ一人で暗殺したように、

真心を天に通じさせた時に白い虹が太陽を貫いて世の中が変わるというが、
そのように至誠を尽くして、私は世を改めようとしてきた。

命を賭して世直しを誓ってきた。

日本の道義は花が地に落ちるようにもはや地に落ちてしまい、

人の心も水が流れるように移り変わり安きに流れてしまった。

(私はそれを自然の流れだと、肯んじて、そのままに任せることはできない。)

宋の時代に、邵康節が実際に時代が変化するはるか前に、ホトトギスの鳴く声を聞いて涙を流し、誰よりも早く時代の変化と天下の大乱を予言したように、
(私もまた時代の変化をすでに感じてこそ、涙を流してきたし、)

屈原が楚辞の「橘頌」で、橘がいつも緑で変わらぬ様子を讃え、自分の志もそのように変わらずにありたいと詠ったように、
(私も、時勢の変化を重々承知しながら、変わらぬ志と至誠を尽くしていきたいと思うのだ。)

時代の先駆者として世のため人のためになるならば、たとえ釜茹でになっても、私はぜんぜんかまわない。
私が散ったあとに、のこされた君たちが、いかなる時代にするか、その塩加減は君に任せるから、君こそががんばってくれ。

憂国の志士の心を知ろうと思うならば、
どうか孔子が書いた歴史書「春秋」や藺相如や荊軻らを描いた司馬遷の「史記」をよく読んで欲しい。
そこには大義を貫いた志士たちの心と生き様が描かれている。
(そのように、今の時代を生きる私たちこそが、現代という「春秋」や「史記」に匹敵するひとつの時代の書物に描かれるべき主人公であり、その私たちの生き様や軌跡をこそ、後世にのこる君たちは「春秋」や「史記」を読むように「読んで」くれ。)