八幡愚童訓乙本 不浄事

 

不浄事。

 

右、御詫宣に、吾れ神道と現れて、深く不浄を差別するゆえは吾れ不浄の者と、旡道の者を見ば、吾心倦みて相をみざるなり。我人五辛肉食せず、女の汗穢各三日七日、死穢は三十三日、生穢は二七日なりとぞありし。香椎の宮には、聖母の月水の御時、いらせたまい所とて、別の御殿を作り、御さはりの屋と名付けたり。神明なを我御身を忌れたまう。いわんや凡夫の不浄つつしまざらんや。東大寺の大菩薩の御殿の後にして、大宮司田丸、女祢宜を嬈乱しけるを、人はいかでか知るべき、御詫宣によりて、十五年流罪せられにけり。御許山の舎利会に、一人の俗女房をすかして、人の見ぬ谷の底にて犯しけるほどに、二人共にいだき合いて、離れずして命失せにけり。その体とり合いたる様、近来までありといえり。寛治五年二月に、兵庫頭知定、二十余日になる産婦と同宿して、神楽に参勤す。たちまちに鼻血をびただしく出でたり。同八月のころ、知定が女子十歳ばかりなるが、違例して、我は八幡の御使いなり、汝産婦に懐抱して、御神楽え参りしかば、鼻血をたらして告げ示しき。それより御勘気ありしかども、汝が歌を愛したまうところなり。はや御神楽に奉仕すべし。また肉は更に不可服、大菩薩にくませたまふものなりとありき。中ごろ一人の女房参籠してありけるを、ある児常に逢いて嬈乱しけり。女房宝前に通夜したりけるに、びんづら結いたる若君、白杖を以て打ち驚かして、「しめ結いて苔の莚を敷きしより二人はここに人のふさぬぞ」と見えたりける。

かように不浄を忌みたまうを、御詫宣に汚穢不浄を嫌わず、謟曲不実を嫌うとあれば、婬欲死穢はくるしからぬ事なりとて、はばからぬ類多き事、神慮もっとも恐るべし。謟曲不実を嫌うなりと告げたまうをば、すべてあらためず、汗穢不浄を苦しくあるまじと申す様、前後相違の詞なり。内心は清浄正直なれども、外相に行触の穢れ、利益の為に大慈悲に住して、いささか不浄にあらんこそ、今の霊詫の本意なるに、我意に住して浄穢を分たぬ者、ただ畜生にことならず。近来京より仲蓮房という僧当宮に参りけるほどに、鳥羽の小家の前に、若女人打ち泣きて立たり。事の有榛、悲しみの色外にあまりて見えければ、立ち寄りて何事を歎きたまうにやといいければ、我母にてある者、今朝死にたるを、この身女人なり。また独人なれば送るべきに力非ず、小分の財宝もなければ、他人にあつらうべき様もなし。為す方なさの余りに、立ち出でたるばかりなりといいければ、げにも心の中糸惜しくて、たへ送りてまいらせんてと、内へ入りかい負いて捨けり。この女人の喜ぶ事なのめならず。さるほどえ仲蓮房思う様、慈悲の心をもて、不慮の汗穢に触つるこそ神鑑恐れあれ。さればとて今月の社参をかくべきも旡念なり。いかがすべきと案じけるが、とにかくしておずおず参りて、内廊はなお憚りありと思いて、外廊に通夜したりけるほどに、夢に宝殿の内より、黒衣の僧出させたまいて、瑞離のもとへ召しよせて、この女人余りに歎きてありつるに、かえすがえす神妙にとりて捨たり。我もかしこにありつるなりと示したまいけり。誠にもかようの不浄は、何とて御忌みあるべきぞ。一子の慈悲を垂ると霊詫にもあるなれば、人を憐むこれ清浄の心にて、汚穢の恐れあるべからず。およそ大菩薩の本地をいわば、妙覚果満にして、内証の月高く晴れ、垂跡をいわば、第二の宗廟として、慈悲雲遍く覆うがゆえに、細々の賞もなく、小々の過も遁るに有似り、譬えば老子経いわく、大方は隅なく、大音は希声、大白若辱、大直は屈するがごとく、大成は欠くるがごとく、大盈は沖するがごとし。小利を去らざれば、則ち大利を得ず。小忠を去らざれば、則ち大忠に至らず。ゆえに小利は大利の残なり、小忠は大忠の賎なりというが如し。現当の大利益を施したまわんと思しめすがゆえに、大事の前には小事旡きをや。なれども末社の眷属の小神は、その罰ことに厳重なり。ここを以て松童の明神の御詫宣に、大神は梢いかり、小神はしばしばいかるとあるぞかし。誉田の山陵をほらんとせし時は、御廟光たりしかば、盗人恐れてうせぬ。去る正月三日、また堀り奉るに、大地震動し、雷電陵の内より鳴り出て、近隣の郷々村々まで鳴りまわり、車軸の如く大雨くだりなんどせしかば、鋤鍬をすてて、前後にまどひて盗賊去ぬ。西大寺の社頭の神木をきりし下部等皆々重病をうけ、大略くるひ死にぞ死にける。奉行の僧も病悩身を責めければ、種々のおこたり申しける。御詫宣に広大慈悲の体なれば、吾は兎も角も思わねども、眷属の小神どもが怒るなり、旡力とぞ示したまいける。文暦年中に、神輿宿院までくだらせたまいたりしかば、武士ども多く守護し奉る。その下部一人酒に酔いて、若宮の御前の橘を、木に付ながらあうのきてくひ切りたりしかども、とがむる人も無かりしに、とどめき走りき。東の鳥居の下にて、倒れて軈て死にけり。その時は不思議多かりし中に、流星天より飛び下り、御輿の中へ入りたりき。大なる御鉾は、自然に北の門に立ちたりき。やさしき事のありしは、公卿天上人多く京より参り、高坊の堂上に着坐有しに、土御門前内府すこし遅参して、門の辺に立ずみて、君父庭にあり。則臣子堂にをらずといへる本文は、御存知有にやと有しかば、堂上の人々皆いそぎをり給しこそ、時に取て才学いみじかりし事なれ。また弘安の神輿入洛の時、あしく奉行したりし武士は、その夜の中ににわかに死え失て、放ち禦ぎ奉し者は、不慮に所帯を失て、有に旡甲斐成にけり。正き神敵は配所に趣きつかずして死失す。かの住所今に荒野にて、その跡に人なし。建治年中に四月三日の日使に当りし者、山門に身を入て難渋しけるが、終にまけて日使つとめたりしかども、神事違例の科難遁かりしかば、ほどなく一家悉く病死て、その跡荒畠となり。財宝は他人の物とぞ成にける。また安居頭役の料とて、納をきたりける銭貸を盗人入て取けるが、身すくみて銭をとらへてはたらかず、主人社頭より下向して、見付てとらへたりけり、又淀の住人のありしが、大徳人なりしが、安居の頭に当りければ、親疎のとぶらいその数多かりしを、皆も入らず。まして我物は一塵の煩無りければ、神事おろそかに勤めたる科にて、物狂に成て、貧窮第一になるとぞ申ける。それ不浄というは、婬欲肉食触穢のみにあらず。心の不信なるをいうなり。かようの冥罰も、眷属の小神の御所行にて、厳重の事あるにや。たとい疋手を運び財宝の施を備うとも矯慢名聞の為ならんには、さらに御納受あるべからず。御詫宣に、吾銅焔を飯とし食すとも意けがらわしき人の物をば受けず。銅焔を座とすとも心穢れたる人の所に到らず。おのが愚意に任せて旡道悪事を好む者を、不浄穢心という也。諸悪を造らず、修善常に行じて、自浄身意、神吾教う文なりと告げたまえへば、七仏道戒の心に相違せず。断悪修善し神盧にかない清浄の人と成るべし。外相よりは内心による事、まぢかき現証あり。

鳥羽より二人の男月詣をしけるが、ある時つれて参社したりしに、橘の三なりの枝一人が前に落たりければ、喜びて懐中す。今一人の男羨しともいうばかりなし。下向通にていうよう、日来同道してこそ参りつれ。利生を蒙らんに差別あるべからず。その橘せめて一を我に与えよというに、かつて以てかなうべからずと、堅く惜しければ、力なくしてここなる所へ入りたまえとて、具して行きて種々の酒を盛り、心をとりすまして、その橘実にはくれずとも、ただくるるとおおせられよと頻にいいければ、安きことなり、皆参すという。この男祝い籠りたりとて、酒三度のみて懐中する様にもてなしけり。橘もちたる男は、日来にかわらず、橘も取らざりしかども、たまわりたる様に振る舞し男は、不慮に大徳つきて、身に余る程の富貴になりけり。これすなわち物にはよらず、心による信ならずや。

また淀の住人あり。世間合期せざりけるを、測らざるに安居頭にさされたりければ、身にはかなうまじき事なれども神の御計らいにこそ有らめとて、すべていたまず、夫妻共に精進して、参宮の祈り講じけるほどに、宝殿の内より大なる百足はひかかりければ、これ福の種なりと仰て、袖につつみて宿所にかへり、深く崇め祝けり。誠の神恩にて有けるにや。所々より大名ども来て、問丸となりける程に、多徳つきて、安居勤仕するのみなあらず。当時まで淀第一の徳人なり。これは心も誠あり、物をも賎くせねば、内外相応の利生なり。また八幡の御巻数なりとて持て行たりけるを、布施なんど与ん事をや、うるさく思ひけん。去事旡とてをい返しけるを、隣の家主これを見て、よび入りて、その巻数我に与えよといいければ、安きことなりとて置きければ、種々にもてなし祝けり。その夜、この家主夢に見る様、百鬼夜行とをぼしくて、異類い形の輩、我家の中へ入んとしけるが、やら八幡の御巻数の有けるよとて、各々馬よりおりて礼拝をいたして、立ち帰りて、御巻数ををいかへしたりける隣の宿所に入ぬと見て、ひへ汗たりて驚きぬ。その朝より彼家内に、上下一人も残らず、悪き病を受て死に失にけり。巻数と申すは、その人の為にとて、祈したる経等の数を書てやるなれば、今請取たる人の為には、一分も廻向せざりし祈也といえども、信心に引れて、本の願主には祈とならず、今の家主が災難を禦ぎしも、不信を不浄といひ、信心を清浄とするにあらずや。

八幡愚童訓乙本 正直事

正直事。

 

右、大菩薩、已に八正道より権迹をたれたまえば、群類の謟曲を除かんと思しめすゆえに、御詫宣に、神吾れ正道を崇め行わんと思うは、国家安寧のゆえなりとある。誠にも非法を旨とし、正道を捨つる時は、その国必滅亡する事なれば、邪をすて正に帰よとなり。生死の稠林には、直木は出やすく、曲る木は出る事なし。現当の為に正直を専らにすべきものなり。武内の大明神の、昔大臣として応神天皇に仕えたまう時、舎弟の甘美内宿祢、旡実の讒奏を以て、已に武内誅せられんとせし時、両方かたく相論ありしかば、銅の湯に各手を入れて、損ぜざるを旡実とすべしと勅宣ありしに、武内の御手は水にりたるが如し。甘美内の手はししむら皆落ちにけり。されば武内は旡実の罪を受くるをば、因位を思しめし出でて、なこそ憐み給ふらめ。和気清丸は、勅使として道鏡が事大菩薩に申されし時、ありのままに御返事を申したりとて、両足をきられしも、御殿の内より五色の蛇出てねぶり、元のごとくなりしも、正直をあはれみたまうゆえなり。

その時の御歌にいわく、「ありきつつ 来つつ見れども いさぎよき 人の心を 我忘めや」とありしこそ、旡類世のためしなれ。

 巡拝記いわく、応神天皇の御宇九年夏四月に、武内宿祢を筑紫に下して、百姓を見せしむる時に、武内の弟甘美内宿祢、兄の職をこころざして、天皇に讒言していわく、武内宿祢王位を望む心あり、新羅・高麗・百済をかたらい、都をせめんとす。天皇これを聞こしめして、則軍兵を差進して、武内を討たしめんとす。この事鎮西にきこえて、武内歎きていわく、吾もとより二心なく、君に仕うるを以て事とす。何ぞ旡罪うたるべきや。ここにかの国に真根子というものあり。年たけてかおだち武内に似たり。かの翁来たりて武内に申さく、今大臣とがなきにうたれたまわんとす。君の清き心を明らめんと思う。しかるに人皆君の姿にたがわずといえり。我代って剣に当りて死せんと思うなり。早くちかふて都に登りて、開き申したまえという。武内大いに悦びたまいて、南海をめぐり紀の湊に至る。軍兵鎮西に至りて、真根子を見て武内と思うて、頭を取りて上る。その後武内参じて、天皇にすごさぬ由を申すに、天皇甘美内を召して、武内に対せしむ。二人御前にて堅く論じ争うに、是非定めがたし。天皇勅して、銅の湯を沸して、神祇に祈りて、手を中に入れよ、とがなからん者は、その手損ずる事旡からん。ここに甘美内の手を入れしに、肉皆落ちて骨ばかりに成り、武内の手は水に差し入れたるが如く損ぜず。武内大臣太刀を取りて、甘美内を打て顛して害せんとす。帝こいゆるさせたまいぬ。

増源といいし僧の御示現に、もし人心正直ならば、我身入ると心中に告げたまう。ある祠官の随分正直にして、神慮に叶うらんと見えしが、猛悪不実の傍輩に超越せられて、所職を退き、恨み深かりしに、御示現に、かの敵人は、天王寺にて四種の大供養をとげたりし福業を果たすなりとみて、後は歎きのやみぞ晴れにけり。たとい今生にいかに悪とも、前世の福因あらば、今生はさかえ、来世には苦患を受くべし。今世に正直憲法なれども、福報なきは前生の悪業遁れぬゆえなり。今生によき人の思いの如くなくとも当来には必ずいみじかるべし。毘尼母論高、破戒にして施を受くれば、必ず感現報に、腹すなわち破裂けて、袈裟身を離れ、あるいはこの相旡くんば、為めの生報有らんがゆえなりといえるが如く、猛悪不実の人は、現世に神罰をあたりぬれば、来世の為なかなか罪をつぐのいて受くべし。極重罪の輩は、仏神の加護に離れはてて、その罰だにも旡ければ、来世の悪道にあるべしと。よくよく恐れ慎しむべし。前世の福因なくて、今生貧しき者、また過去の福業によりて、よき人の悪しき振舞いすれどもとがなきを見て、悪しき事するは、鵜をまなぶ烏の水に沈むが如し。目蓮尊者の外道にうたれて死し、迦留陀夷の壇越に首をきられし。四果の聖者の癩病をいたみ、三界の独尊の頭風を苦しみたまうこと、酬因感果のことわり、まのあたりのがれ難きがゆえなり。およそ御詫宣に、正直の人の頭をすみかとす、謟曲の人をばうけずとあれば、心正直なるによりて、大菩薩その頭にやどりたまうならば、天魔悪鬼は恐れをなし、七珍万宝はおのずからいたりなん。二世の所願は一心の正直にあり。

八幡愚童訓乙本 受戒御事

受戒御事。

 

 右滅罪生善のはかりごと、正法久住の徳、出家受戒による故、たとひ宝塔を起て、忉利天に至るも、また出家・受戒の功徳に劣り、戒はこれ旡上菩薩の本と。もし大利を求まば、まさに戒を堅持すべしといへり。このゆえに、大菩薩も御許山の石体の坤にあたり、三四町を去りて、御出家ありしかば、御出家の峰と名付けたり。宝亀八年五月十八日御詫宣に、明日辰時に沙門となりて、三帰五戒を受くべし。自今以後、殺生を禁断すべし。ただし国家のため、巨害の輩出来の時は、この限りにあらずと告げたまえるは、大菩薩本地妙覚果満の如来にましませば、事あたらしく御出家受戒の告げあるべからず、神通自在をえたまえど、出家受戒して仏道を修行したまえば、まして凡夫いかでか破戒旡慙にてあるべきと、はげましたまうゆえなり。

 しかれども、なお深重の利益を施したまはんとて、国家の敵はその限りにあらずと、御詞を残したまえり。それ戒を受くるに、その時はたもだしなんと、誓いには得戒する事なしといえども、この御誓願は情見の上にあらねば、疑をなす事なかるべし。御詫宣に、神吾れ国家並びに一切衆生、利益の意ふかきに依りて、蛇心をこるなり。蛇心に変じ起しゆえは、衆生の心をとらかして、戒道に入れ、更に悪道に行しめずして引導せんがためなり。またいわく、末代に及んで、仏法威衰ろへ、邪法さかりにして、父母に孝順する人なく、国王非法ならんその時の人のために、神道と現ずるなりとは、神道としてその罰あらたなるには、悪業を好む人も、不孝の輩も、神罰をはばかるゆえに、不孝非法のためとあるこそ、末代我らが恐るべきことなれ。非法を反さば正法となり、不孝をあらためば孝順となるべし。孝はまた戒なり。戒の名を制止とす。ゆえに神道と現じて、非法不孝を制断せんとの冥慮なり。

御出家の峰を、十四五町去りて、正覚寺と号するは、大菩薩この所にて正覚なりたまえるゆえなり。出家受戒の上に、諸善の功徳を生じて、正覚なるべき由を示したまうものなり。この山には、大菩薩、摩訶陀国の椙の種をとらせたまいて、栽えたまいけるとて、九本の大杉あり。御袈裟を掛けさせたまいたりけるとて、袈裟の跡、杉の木に見たり。あるいは、御沓、御利刀を残され、あるいは御硯をとどめたまいたりとて、今は皆岩と成りたれど、その姿はかわらず、御硯の石の中に穴あり。穴の中水たまる。いかなる旱魃にも、この水ひる事はなかりしに、文永の蒙古襲来の刻、この水かはきたりけり。凶徒退散して、元の如く水満ちたりとぞ申しける。神慮いかなる事ならん。覚束なくぞ覚えける。正像末の三の鉢、正像の鉢は石となりて水もなし。末法の鉢には水の滴りうるをへるとぞ見えたりける。一丈余の大磐石、中比二つに破れて、その中に阿弥陀の三尊おわしけり。これ只事にあらず。大菩薩の御本地のあらわれたまうにこそとて、石体権現の御前に安置し奉れり。かくのごとくの不思議多かりけり。弘法大師いわく、それ発心して、遠渉するには、非足不能趣向仏道、非戒寧到哉心須、顕密の二戒堅固に受持し、加えて眼命を謹み、身命を弁え犯すことなかれ。天台大師いわく、諸趣の昇沈は、依戒の持毀にと釈したまえば、戒をたもたずして、生死の苦域を出る事あるべからずという心をえて、西大寺興正菩薩、我朝に律儀のすたれたる事を歎きて、三聚浄戒を自誓得戒して、七衆の師範となり、比丘の法を興行せられしに、様々同心の輩十余人出で来るといえども、僧食の沙汰に及ばず、身命を三宝に任せて、大悲闡提の利益を専らにしたまうほどに、ある夜少真睡たる夢に、男一人袋に米を入り持ち来て、前々は僧すくなくして、時料はこぶもやすかりしが、今は僧の数まさつて、食運ぶに余りに苦しきなり。ただし僧をいとふ事なかれ、食をばいか程も運ばずべしと申しければ、いづくよりぞと問わるるに、八幡よりなりとて去りたまう。戒法の流布は、神慮に叶い、御納受ありける宇礼志さよとて、被寺の鎮守には、大菩薩を祝ひ奉る。擁護あさからずましますゆえなれば、僧徒多しといえども、一項の田も作らず、一枝の桑もとらねども、飢寒に餓死する者一人もなき事、大菩薩の食物を運ばしたまうゆえなり。また八幡境内へ、律院を興隆せんと願をたてられしによりて、大乗院を点て戒法をひろめ、日夜朝暮に法味を備へ奉がゆえに、ある祠官の夢に、毎日にこの寺に御幸ありとぞ見たりける。

 また御詫宣に、真言灑水をもて、道場をきよむるを、和光の栖とするなりとあるを以て思うに、水はこれ清冷生長の徳あり、清冷のゆえに煩悩の熱毒を除く断悪なり。生長のゆえに菩薩の花菓を開く修善なり。道塲は社壇の地なり。戒はこれ仏法の大地なり。この大地は衆生の心地なり。されば断悪修善の戒水を、真言不思議の加持を以て、我らが心地にそそぎて、不浄きよまらん所に、和光を写したまうべし。それ仏法には戒を最初とし、真言を究極とす。治浄先々、引発後々のいはれによりて、戒を持ちて真言を修め、初後円浄なる心水に、大菩薩かけりたまうべしと信じて、持戒いよいよ堅にして、秘密修行おこたらざるべきをや。されば興正菩薩戒を専らにし、真言を内証としたまいせしかば、信に神慮に叶い、冥見に透りて、五代の帝王御受戒の師範とし、道俗男女五八具の戒を受くる事数万人に及びき。受職灌頂の弟子も多し。当社大法会の時は、上皇御殿を去り、庭上に向いたまいしかば、卿上雲客は首を地に付け、恭敬の気色ふかかりき。和漢の国主師を貴ぶ例有りといえども、加様の事はためし少し。三界の諸天はその足を戴き、四種の輪王ははきものを取るに足らずと、出家受戒の人をほめられたるこそ眼前なれと、見聞の輩随喜の泪を流しけり。上皇礼をいたしたまうこと、大菩薩の宝前にてもありし事は、我神の擁護によりて、戒徳いみじき様を示し給ふにあらずや。在世の面目のみにあらず。菩薩の号を古墳の苔の上におくられ、遠忌の仏事には院宮を始まいらせ、竜蹄御剣をたまい、種種の珍宝を送られ、門徒日々に繁昌して、本寺に数百人居住し、散在の五衆は六十余州に満ちみちて、幾千万という事を知らず。我朝の戒行、前代もかようの事なし。ただこれ大菩薩の御方便なるによりて、濁世なりといえども、持戒の僧尼おおきこと、仏法の恵命をつぎ、国家の福田たり。早禁戒受持して、常爾一心、念除諸益のゆえに、生死の魔軍を摧き、菩薩の彼岸に至るべし。剃髪染衣をのみ持戒というにあらず。接末帰本するは、一心を本とし、一心の性は、仏と異なることなし。この心に住み、即ちこれ仏道を修行すと。この宝に乗して、垂に直に至ると。道場にあれば、外には三業の悪を禁じ、内には三密の観を凝らして、一体三宝を信じ、六和具足を思いて、即事而真の道をあらわすべし。弘法大師いわく、不作悪業当是可仏を然し造るなる、悪業をなすは迷の衆生と釈したまえば、断悪修善これ仏法の大綱、御神の納受しまします所なり。

「鉄丸を食すといへども、 心穢なき人の物を受けず。 銅焰に坐すといへども、 心濁りたる人のところに到らず。」  

「鉄丸を食すといへども、

心穢なき人の物を受けず。

銅焰に坐すといへども、

心濁りたる人のところに到らず。」

 

 

という言葉が、八幡大菩薩の託宣にあったとして、中世でよく軸などに書いて尊重されていたそうである。

なかなか潔くて良い言葉である。

「三社託宣抄」より。

八幡愚童訓 乙本

「八幡愚童訓乙本」

 

(原文カタカナをひらがなにしている。八幡大井と書いてあるのは、「八幡大菩薩」と読む。)

 

八幡愚童訓上並序

 

夫人界に来る事は。六趣の中勝れたり。神国に生るゝ事は。四州の間に越たり。天修鬼畜の苦楽を感じたらましかば。仏法値遇の悦有べからず。震旦印度の依報〔異邦歟〕に住したらましかば。大権垂跡の縁をむすばざらまし。今此秋津島は。三千余社の神明跡を留給へる貴国にして。大小権実の聖教。あまねくひろまる勝地也。所住の土を思へば。瓦礫荊棘をあらためず。自然相応の大日本国なるが故に。坂東の八国は。胎蔵界の八葉。海西の九州は。金剛界の九会。陰陽主掌の両部。理智相対の万荼也。能居の人を云ば。伊弉諾伊弉冉の後胤として。本地法身如来の余□なる故に。五体五輪の塔婆にして。三葉三部の尊形也。善悪の宿因によりて。貴賎の勝劣ことなそと云へども。能所の依正を知いて云るに上下差別なく。自性の薩埵法然の浄刹なれば。以不行を而行し。以不到を而到る。たとへば長者の家の窮子自父なりと知時。豈是客作賎人哉ならん。矇愚闇深く。覚悟月隔れり。叢祠の露の縁を結び。松〓なんの風の末を仰で。現当の願念をかなへ。生死の大事を可し祈。三界救護独尊一味平等の慈悲なれば。羅云尊者の幼稚をあはれみ。善星比丘の邪見なるを度し給事。親子の好厚みいして。余聖の及は旡りき況や。神明は人に同ず。我等は神の末也。曩祖あに末孫を捨給はんや。末孫あに曩祖をたのまざらんや。就中八幡大菩薩。昔は十善の君として。普く黔首を海内に撫で。今は百王の運を助て。玄応を人間に垂る。慈悲の室に入る故に。犠牲を退て香花を備へ。菩提の果を証る故に。仏法を崇て国家を護り玉へり。爰に世既に澆季になり。人亦濁乱なれば。謟曲の者は多して。敬信の輩は少し。

 

大菩薩の御託宣に天正三年二月三日い。末代に及で。人の心不信にして。仏神を信ぜざらん時。必吾教言をもて。世に披露して信を発さしむべし。玉不瑩は光なし。語言言語いに云ざれば人不知。神は自毛のいはず。人に代て是を云。吾教を信ずる毛のは。二世の願たがふ事なし。又云宝亀八年五月十八日。仏法にして説とき玉ふ経教と仰ぎ。神道をもてをいてい告玉をば託宣と称すとあるは。経文悲花経云いに。仏在世の時は。説て法を度脱し衆生を。滅後には語葉は成り教。身は成舎利と。心は成神道と説玉へる。是仏の神と変の。時の機をすくせ玉ふ事。愚童にをしへて信心をもよをさんと云而巳。

 

垂跡御事名号御事

 

遷坐御事御体御事

 

本地御事王位御事

 

氏人御事慈悲御事

 

垂跡御事。

 

右大菩薩は。日本国人王第十六代の応神天皇の霊跡也。第十四代仲哀天皇第四の御子。御母儀は第十五代の神功皇后に御座す。大和国軽島の豊明の宮にすませたまふ。国を治給事四十一年。此御宇に竜馬あり。彼馬を放たれし故に。馬城の峰となづく。所は豊前国宇佐にあり。此御馬にめされて。四方八極をあるかせ給けるとき。大盤石の岩かどに。馬の足跡二寸計ふみ入れて今にあり。又百済国より衣縫工五経の博士を奉る。衣服をぬい。始文字を書て。縄を結し政にかへたり。凡四歳にて東宮に立。七十一の御歳宝祚をつぎ。百一十一いと申し二月十五日に双林の涅槃にともない。誉田の御陵山陵いにをさめ奉ると云共。六郷山にては。人聞開い菩薩として八十余年御修行有き。宇佐の郡にては。薦の子をまいり。〓蘿ほゝ子蘿〓いをまいり。田植に交て飲食をまいる事あり。彼所を薦の池と名付け。蘿〓河と名づけて。今の世に伝はれり。加様に御形を変じ玉ひを。奇瑞をしめし給ふといへども。時宜機い不叫宣いが故に。霊威を現し玉はずして。蓮台寺の山の麓。菱潟の池の辺に。鍛治する翁にてぞをはしける。件の御在所を御奄と名付て今にあり。其御相貌甚異形なるに依て。大神ほをかの比義なみよし。五穀を絶て三年の間給仕して。第三十代欽明天皇十二年正月に。御幣を立て奉てい祈請して言さく。年来籠り居て仕へ奉る事は。其形頭はたゞ人にあらざるに依て也。若神ならば我前に顕し玉べしとて懇念をいたす時。翁忽にうせて。三歳計の小児となりて。竹の葉に立給て言はく。我者日本人王十六代誉田天皇也。護国霊験威力神通大自在王菩薩と告玉て。御すがたかくれて。百王鎮護第二の宗廟といはれ玉ふ者也。八幡三所と申は。中は第一大菩薩。応神天皇。又誉田天皇とも申也。右は第二姫大神。左は第三大多羅志女神功皇后。又は気長足姫尊とも申也。是は当宮に昔より崇奉る次第也。姫大神と申は。竜王の御娘女い。応神天皇の妃にて御座す。世間の習。夫の次に妻を本とするに准して。第二とし奉れり。公家には大多羅志女を第二と用玉事は。此日の帝位をたゞす由也。臨幸の御奉幣の御拝にも。中東西とある也。神宝調進にも。大多羅志女を第二とあり。或又姫大神をのぞひて。玉依姫を西の御前と申事あり。玉依姫と申は。神武天皇の母后。鸕鷀草葺不合尊の后也。宇佐の宮に大井垂跡已前より崇め奉るに依て。大井大多羅志女玉依姫と三所に祝奉るをや。宇佐の宮にはしかれとも。当宮社いには他所の例によるべからず。相伝の次第を本とすべきをや。但姫大神を除て。仲哀天皇又は足仲彦天皇と申すを。祝まいらすと云ども不慥。仲哀天皇は中の御前え御同座あり。依之御弉束四具被参内。法衣は大井。俗服は仲哀天皇の御為と申す事あり。但二具ながら。大菩薩の御衣服いなるを実とすべし。神明と顕れ給は。いづれの社も皆厳重の御事なりと云ども。吾神は勅使に宣命の御返事ありなんとしな。在世生いにかばり玉はざりしかば。貴賎上下頂戴の誠をたいし。春禴秋嘗。礼奠心をつくしけり。御許おもと山に正橡末の三の石の鉢あり。広さ六寸。深さ四寸許也。神明と現れ玉し時。此三の御鉢の霊水に。御影をうつさせ給ひしかば。光内裏をかゞやかす。国王是を御覧じて。占しめ給ふに。人王十六代の天皇。馬城まきの峰に神明と現玉ふ瑞相なりとぞ申ける。抑鍛治する翁にてまし々々ける事は。衆生の麁悪は。鉱石の如にして。真金をあらはさず。焼冶鍛冶して。器の用を成すためしをかりて。悪業の垢塵を払ひ去て。大同鏡智の明徳をあらはし。一念の信心をこらして。破邪帰正すれば。除災与楽の巨益にあづかるべき表示也。又鍛治の名は。加持の音にあたる。往来渉入弘法御尺を加と云。接面不散を持と云。行者の心水に仏日の影浮といへる者なれば。信心ある人は立所に和光にてらされ。擁護をかうぶるべき前相なり。三密加持弘法大師の御尺い自心本有。三部諸尊。速疾顕発の義を存て。世間の鍛治と思事なかれ。八頭を具し玉へるも。八正道より八幡大井と現れ。八ふみ入れて今にあり。又百済国より衣縫工五経の博士を奉る。衣服をぬい。始文字を書て。縄を結し政にかへたり。凡四歳にて東宮に立。七十一の御歳宝祚をつぎ。百一十一いと申し二月十五日に双林の涅槃にともない。誉田の御陵山陵いにをさめ奉ると云共。六郷山にては。人聞開い菩薩として八十余年御修行有き。宇佐の郡にては。薦の子をまいり。〓蘿ほゝ子蘿〓いをまいり。田植に交て飲食をまいる事あり。彼所を薦の池と名付け。蘿〓河と名づけて。今の世に伝はれり。加様に御形を変じ玉ひを。奇瑞をしめし給ふといへども。時宜機い不叫宣いが故に。霊威を現し玉はずして。蓮台寺の山の麓。菱潟の池の辺に。鍛治する翁にてぞをはしける。件の御在所を御奄と名付て今にあり。其御相貌甚異形なるに依て。大神ほをかの比義なみよし。五穀を絶て三年の間給仕して。第三十代欽明天皇十二年正月に。御幣を立て奉てい祈請して言さく。年来籠り居て仕へ奉る事は。其形頭はたゞ人にあらざるに依て也。若神ならば我前に顕し玉べしとて懇念をいたす時。翁忽にうせて。三歳計の小児となりて。竹の葉に立給て言はく。我者日本人王十六代誉田天皇也。護国霊験威力神通大自在王菩薩と告玉て。御すがたかくれて。百王鎮護第二の宗廟といはれ玉ふ者也。八幡三所と申は。中は第一大菩薩。応神天皇。又誉田天皇とも申也。右は第二姫大神。左は第三大多羅志女神功皇后。又は気長足姫尊とも申也。是は当宮に昔より崇奉る次第也。姫大神と申は。竜王の御娘女い。応神天皇の妃にて御座す。世間の習。夫の次に妻を本とするに准して。第二とし奉れり。公家には大多羅志女を第二と用玉事は。此日の帝位をたゞす由也。臨幸の御奉幣の御拝にも。中東西とある也。神宝調進にも。大多羅志女を第二とあり。或又姫大神をのぞひて。玉依姫を西の御前と申事あり。玉依姫と申は。神武天皇の母后。鸕鷀草葺不合尊の后也。宇佐の宮に大井垂跡已前より崇め奉るに依て。大井大多羅志女玉依姫と三所に祝奉るをや。宇佐の宮にはしかれとも。当宮社いには他所の例によるべからず。相伝の次第を本とすべきをや。但姫大神を除て。仲哀天皇又は足仲彦天皇と申すを。祝まいらすと云ども不慥。仲哀天皇は中の御前え御同座あり。依之御弉束四具被参内。法衣は大井。俗服は仲哀天皇の御為と申す事あり。但二具ながら。大菩薩の御衣服いなるを実とすべし。神明と顕れ給は。いづれの社も皆厳重の御事なりと云ども。吾神は勅使に宣命の御返事ありなんとしな。在世生いにかばり玉はざりしかば。貴賎上下頂戴の誠をたいし。春禴秋嘗。礼奠心をつくしけり。御許おもと山に正橡末の三の石の鉢あり。広さ六寸。深さ四寸許也。神明と現れ玉し時。此三の御鉢の霊水に。御影をうつさせ給ひしかば。光内裏をかゞやかす。国王是を御覧じて。占しめ給ふに。人王十六代の天皇。馬城まきの峰に神明と現玉ふ瑞相なりとぞ申ける。抑鍛治する翁にてまし々々ける事は。衆生の麁悪は。鉱石の如にして。真金をあらはさず。焼冶鍛冶して。器の用を成すためしをかりて。悪業の垢塵を払ひ去て。大同鏡智の明徳をあらはし。一念の信心をこらして。破邪帰正すれば。除災与楽の巨益にあづかるべき表示也。又鍛治の名は。加持の音にあたる。往来渉入弘法御尺を加と云。接面不散を持と云。行者の心水に仏日の影浮といへる者なれば。信心ある人は立所に和光にてらされ。擁護をかうぶるべき前相なり。三密加持弘法大師の御尺い自心本有。三部諸尊。速疾顕発の義を存て。世間の鍛治と思事なかれ。八頭を具し玉へるも。八正道より八幡大井と現れ。八

迷の衆生を八不中道に引入て。八葉の花台に安住せしめんと云変現也。以之仏家に入らん人は。神明の助をかり。神道につかふまつらん輩は仏法の力を可憑。現世安穏。後生善処の所願成就せしめんと。顕れ御坐す大菩薩の廟壇なり。

 

名号御事。

 

右八幡の御名は。人倫の詞よりも不出して。正く御詫宣に。西拘屋に八幡国と云国あり。其所に我菩薩にてありしに依て。又母堂とうの君の八人の王子を産玉し時。足八ある幡に化して見へ玉へり。其によりて云ぞとあり。次に開成皇子には。得道来不動法性。示八正道垂権跡。皆得解脱苦衆生。故号八幡大菩薩と告玉へり已に八幡は。八正の幡を立て。我見の邪執をなびかし。生死の怨敵をとゝのへ玉ふしるし也。又我無量劫より已来。難度の衆生を教化す。未度の衆生。法末の中にあり。如是の衆生を教化せんが為に。大菩薩と示現す。我はこれ又自在王菩薩也。大明神には非ず即大明神の号を改て。大菩薩と云なりと告玉ふ。故に当宮は。自余の神明に同じからず。故に謂誓定取。无上菩提。窮未来際。利楽有情と云が如く。大悲闡提の善巧方便をさきとして。常於三世。不壊化身。利楽有情。旡時暫息の神慮也。今此八幡大井の御名について。人法喩の三あり。八幡の八は即八正道。八正道は法也。幡即喩也。大井は即人也。此人法喩は。又種三尊の妙体なり。然則法の所に三学あり。三学は八万四千の法門文字。一々の字体。三十諸仏の種子に非ざるはなし。喩ば三摩耶形なり。三摩耶形は平等本誓。除障驚覚の義。剣輪蓮宝実い等の表示に同じ。人は尊形なり。尊形は白性受用反化等流の身体にわたる。三とみれば差別なれども。仏也。井也。法也とえつれば。南無八幡大菩薩と。一音をあげんくるい所に三世の仏身。一代の教法。済生の本誓残事なく具足して。旡量無辺の功徳あり。されば御詫宣に。神吾社の宮人氏人等宋代に及で何物を珍宝とすべき都て宝と思べき物なし。閑に思惟せよ。崑崙山の珍玉も。みがゝざれば珍にあらず。蓬来の良薬も。なめざれば旡益也。只垂跡大神吾を財宝と可思なり。一念も我名号を唱へん者。あへてむなしき事旡也。現世には思に随て無量の財宝を施与し。後世には善所に生して勝妙の楽を可受なりと有ぞかし。元始曠劫の間。大菩薩の御名をきゝ奉らざりし故に。世々に財宝をえず。生々に苦悩にあへり。今社壇にまいり。名号を唱奉る上は。現当の願ひ必ずとげぬべし。

 

近来洛陽に一人の女房ありけり。二三日煩て死けり。中有のやみに迷て。悲の余り。南無八幡大菩薩。縦ひ定業なりとも。願は今一度娑婆にかへし玉へと祈請し奉るに。忽一人の僧出来て。汝大菩薩を称念しまいらする故に。人間にかへりて二十年の命を延べしとあをし時の歓喜幾程ぞや。死て後三ヶ日をへてよみがへりぬ。平生の時常に心にかけまいらせずば。何でか黄泉の旅にて大菩薩を唱奉らん。縦ひいかに名号を唱申とも。名号に旡量の徳用を備ずは。命尽て又娑婆に可帰や。是則名号に功能多く。吾神の感応すみやかなるが所致也。本地の名号も。神慮に叶て其験明也。

 

中昔。高野の蓮華谷に。西方浄土の行者あり。夢に一人の高僧来て日。浄土に往生せんと思ば。木槵子の数珠を以て。八幡の高楼にて百万返を唱べしとありければ。時刻をめぐらさず。参詣して申したりしかば。臨終正念にして瑞相を現じ。無類来迎にあづかれり。当世は此行殊に繁昌して。往生極楽の望をとぐぞと申しける。

 

又。或貴人。濁世の衆生。如法如説の修行はかないがたし。弥陀起世の大願業力に乗して。名号を唱て往生を期せんとすんば。異体の弥陀経に。一心不乱専称名号と説き。善導和尚は。七日七夜心無間と尺し玉へり。称讃浄土経には。念をかけて不乱と云り。凡夫愚暗の身。妄念をこりやすし。散乱の称名は。決定往生の業ならずば。我等争か出離の望をとげんやと。歎て祈請せらんけるに。御示現に。不論不浄。不論心乱。但念弥陀。即得往生とありしかば。散乱の念仏にても。往生すべしとうれしけれとも。経尺にあはずして。他人可返唇を故に。不信の事も出来すべしと恐ある処に。華厳経に。若人散乱心念弥陀名。臨終住正念。往生安楽国とある文をみてこそ。御示現にあいかはらざりけりと。弥信心催して。其疑は晴にけり。

 

巡拝記云。散乱の念仏は。まさしき往生の行業にてはあらねども。常に練習するが故に。臨終正念に成て。往生する事を得と云り。善悪ともに平生馴たる事の臨終に顕るゝ也。御示現の心少しも華厳経の文に不違。故阿弥陀経の一心不乱と説は。当時の行をあかす也。御示現に不論散乱と有は。終の落つきを思食也。余の浄土を捨て。西方浄土を欣を一心と名づけ。余行をやめて一向に念仏を唱を不乱と云也。口には名号を唱て。心を仏にかくるを一心不乱と云。余念妄念旡らんこと。未代の人難有故にと云へり。

 

又八幡社僧親尊法印と申は。仁治二年の比。天王寺にて善恵房説法を聴聞するに。念仏の三心は行者のをこすには非ずといはれけり。日来行者のをこすと心得たりつるに。此事如何すべきとて。当社に参て祈請するに。法印を玉籬の本へ召寄て。御示現に曰。

 

極楽へゆかんと思ふ心にて南無阿弥陀仏といふぞ三心。

 

とこそ告玉ひしか。所詮本地垂跡付て。名号を唱へて。世間出世の所望を満足すべき者也。巡拝記云。三心は行者のをこすと判じ玉へり。もとより所請の本意は。至誠心即三心なりとことはり御座す。仏宗の行者此示現を可信。本地と垂跡と相離れずと云ども。望方に親跡あり。往生を期するには。本地の名号は親く。現世の事を申すには。垂跡の名号したしき者をや。

 

遷坐御事。

 

古天安二年玄冬の比。水尾天皇勅ありて。豊前国宇佐の宮の使にさすべき修練加行の僧を求らる。爾時大僧都真雅。大安寺の伝灯大法師行教をもて奏聞す。聖主随喜して。件の大法師を祈の勅使として彼宮に奉らる。天安二年十一月七日水尾天皇即位。称清和天皇。同三年三月五日。宣旨に依て。行教大法師宇佐宮に発向す。然るあいだ。太政大臣弥勒寺にして一切経を書写せしむ。伝灯大法師安宗を大別当とす。行教大法師。貞観元年四月十五日より。宇佐の宮の宝前にて。一良九旬。昼夜不断に経典を理趣分金剛般若。読誦し。真言を尊勝陁羅尼光明真言。念持して法楽に備へて。其功已に満けるに。七月十五日夜半。神殿の中より告玉ばく。吾深く汝が修善を感応す。あへて不可忘。都近く移坐して。国家を鎮護せんと被仰ければ。行教奇特の思をなし。旡二の信を到して。十五日より昼夜六時祈請し奉る。同二十日社壇を出て。船津に付き纜をとく時。金色の鳩檣の上に居る。其影弥陀の三尊にて。和尚の杉にうつり玉へり。鳩は。御詫宣に。舎衛国に四闍牙と云所あり。其れに諸仏菩薩集て法を説き玉ふ。彼所に紫鳥と云鳥あり。日に三節まはりて鳴。音は説法音楽の如し。其鳥に我は化せるを。凡夫の眼には鳩と見る也とあれば。鳩の来翔ふだに不思議なるべきに。其影正く阿観勢の形像にて。杉の上にうつり留り玉へる時。和尚感涙きんじがたく。渇仰肝に徹りける。此杉にやどり玉へる三尊は。当社の正殿のうしろの壁に。赤綱を引てかけ奉るとも申す。又御璽の筥に納め奉るとも申す。両説いまださだかならず。和尚は上洛して。八月廿三日い山崎離宮の辺に付き。何の所を撰定て宝体を安置し可れ奉。仰願くは大井必異瑞を示玉へと被申しに。御示現に曰。此山の頂に我移り坐べし。正其所を現ずる者也と有しかば。驚覚して。夜中に山の頂を尋るに。山城国巽方男山石清水鳩嶺の上に。金色の光ありて。三道相分たり。見に弥身毛よだつ。頭を地につけて。即再三拝し奉て。払暁に山の上をみれば。大なる樒の木あり。其枝条より光を放つ。山の頂に三ヶ日夜候して。法味を以かざり奉り。兼以て事の趣を奏聞す。いまだ奏闍をへざるさきに。天皇勅し玉ばく。夢あり。其相如何となれば。男山より紫雲立ちて。王城及び国中にをゝへり。更に悪事にあらじ。天下に必大慶あるべし。皇后並諸人の夢又々相同じ。かかる所に。行教中入るゝ旨。一々にもて叡信を催し。天気特に快然たり。九月十九日に。勅使を被下た。実検点定して参上す。木工寮権允橘の良基に宣旨を被下て。六宇の三宇は外殿。三宇は内殿。宝殿を造立し。三所の御体を安置奉る。明徳曇なく。威霊世に普し。水神を招て放生河をほらしめ。山神をめして馬塲をつかる。同十一月十八日に。左大臣より和尚を被召て御対面あり。本宮の例に准して。祭祠祈祷の勤を可致と仰含られけり。同七年四月十七日に。種々の御宝。礼代の御幣をさゝぐもたして奉る。勅使木工権允従五位下和気彝範也。さてもいかなれば。行教和尚にしも伴ひ玉ひて。帝郡にちかづき玉ふらんと。覚束旡く覚るに。御示現に。自と聖と共に。往古の諸仏法身の大士なり。和光同塵の利生不過と云事なし。八幡三所護国霊験威力神通大自在王菩薩と現ず。眷属の諸神等。二十五の菩薩。十五童子。終夜昼日に首を王位と共にす。たとへば影と形との如しと告玉者なれば。和尚の内証高の。済度利生の化現なり。今此社壇は天下の不思議あらんとては。鳴動する事必あり。抑宇佐宮より当山にうつり給事は。此地いかなる由緒なるらん。然に華厳経をみるに。海東に山あり。金剛山と名づく。法基菩薩の浄土なりと云り。日本国海東にあたれり。鑑真和尚葛域の金剛山に参入いて。法基菩薩の布薩にあひ玉て。籌をとりて返り玉へり。彼籌は南都唐招提寺大安寺いに今にあり。男山は葛城の第一の宿なり。故に海東金剛山法基菩薩の浄土は此山に当れり。参詣上下の諸人に浄刹を踏しめて。元始の塵垢を除べき方便也。其山の為体。嶺は松葉森々として。一千年の色を帯て。帝運を祈る瑞を顕し。麓には河水澄々として。三五の月の光を浮べて。放生を修する処あり。古老伝て香呂山と云。其形相似たる故也。香呂は焼香の器なり。焼香は精進波羅密の供養にかたどる物なれば。当山に参詣する人は。皆勇猛修行の功を具し。増進仏道の益にあづかるべき。自然相応の勝地なるが故に。六十余州の中にえらび移り玉へり。

 

巡拝記に曰。称徳天皇清丸を勅使に立て給しに大菩薩御返事。

 

西海立白波の上にしてなにすごすらんかりの此世をと。清丸に告ての玉はく。行穢不浄を不嫌。謟曲不実の者を嫌と云々。此天皇の御時。道鏡法師を国王になさんとて。清丸勅使に立給ふ。大神示して曰く。我国には昔より民を王位になす事なし。道鏡いかりて。御使の悪く申たりと訴へ申ければ。天皇清丸が足をきり性名をかへて。別の黒丸と名付て。穴船に入て海に放つ。其悲語にたらず。但憑所は。一心に大菩薩を祈念し奉る計也。然此船宇佐の宮近き浜の端えよりたり。何より来けん猪一つ来て。船にそうて立たりければ。清丸何となく此猪に乗ぬ。しかるに宇佐宮の南楼の内へ入にけり。清丸無二心我身罪旡き事を歎申に。大菩薩哀とや思食けん。御殿の内より五色の小蛇這出て。清丸が切れたる足を舐に。如元足出来にけり。其より後御殿の内より御音を出。勅使なんどに御返事申させ玉ふ事止りけり。又和気清丸に告示給しは。汝男山に神宮寺を建立すべし。我百十年を過て後。彼所に移り栖べし。清丸命其まで不可有ざれば。兼て可造置と仰ありしかば。一つの伽藍を造蛍して。足立寺と名付たり。本尊は弥勒仏也。今にあり。されば遷坐あるべき事は。神慮遥に其期ありけり。

 

御体御事。

 

右垂跡の実体に於ては。神慮幽玄にして。凡夫不浄の眼にて見奉る事なければ。伝書に不及。御詫宣に。若は枕若は蝿払体の物を体とはせよ。形を不定なしそと仰ありき。されば所々の御体。面々に不同なり。式御枕。式御脇息等也最初に現れ玉し御許山みもとやま馬城峰には。三の石にて現れ玉へり。高一丈四五尺。広一丈計也。寒雪の比をとも。暖にましましけりと申せども。今は霊威に恐てちかづきまいらする人もなし。只遥に拝見するばかりなり。王城を守護し玉はんとて。東にむき玉ふ。石のかゝり所の有様尋常の事ならず。不思議とも云計なし。此石体に。はじめは。昔於在い霊鷲山。説妙法華経。為度衆生故示現大明神と。文字顕れたりと申せども。当時は見分る方もなし。然に其処にまいれば身の毛竪て信心のみぞまさりける。昔御殿を作り覆ひ進らせんとしけるを。我石体と顕るゝ事は。雨露に不侵。末代までも不朽して。吹風にあたり。滴水をも飲もの。皆結縁の始と成べき為なり。其峰往三世。利益諸衆生。現世成悉地。後生成菩提卜御詫宣ありしかば。御殿を作る事今になし。

 

筑前国大分宮には。皇后の御裳の腰にはさませ給し白き石を御体とす。大隅国八幡宮には大石二つにわれて。傍に八幡の二字現れたる。御殿を作り覆て。石体権現と申也。当社の御事は。異説まします。不及子細。但貞観に安置せられし御体は。璽の御筥卜。御剣と。三所に各々あがめられ給歟。神慮其憚あり。これを不及註に。

 

又託宣に。我体は有也。空也。只正道を以為体とあり。正道は辺邪を離たる中道の名也。一色一香。旡非中道理を御体卜仰べし。空地とあるは。無自性の故に。畢竟空のいはれも御体也。有也とあるは。慈恩書添なり。我法非有。空識非旡と談ずるも御体なるべし。然則中道をもいみじと不可思。有空を貴ぶ事もあるべからず。一とも執すべからず。三とも取べからず。去れば天台に分別して。令易解故に。明空仮中を得心為言を。空即仮中也。約して如明す空を。一空是一切空也。黙して如を明す相を。一仮一切仮也。就是にれは論中を。一中一切中也。非一二三。而一二三也。不縦不横を名て為実相といへる如く。大菩薩も勅使清丸が為に現玉し時は。満月の如して光明かゞやきて。眼をむかへたてまつる事なかりしが。後には御長一丈許の僧形と現て。暫まし々々しども。遂に三の紫雲に別れて。三所の御殿に入玉ふ。一にして三也と其心をえつべし。三所は是空仮中の三諦なり。三諦は法報応の三身也。三身は仏金蓮の三部也。三部は身口意の三密也。三密は即仏も衆生も平等也。平等にして等覚十地の見聞を離たり。有ともとらず。空とも執ぬが御体なれば。本不生にして三諦宛然たり。空与不空而具一切の法。故に名大空と。大空に安住し玉へる廟神にてましましげれば。大空の徳に同く有情非情を含養生長しましませり。含養の故に。有情抜苦与楽一二世に及ぼし。生長の故には。非情風雨順時に五穀豊也。是則大菩薩の体用にまします。若は実体につき。若は本地にをいて。利生をほどこす。安置の御体は。賞罰もましまさぬ者の様に思事なかるべし。阿字第一命。遍於情非情といへる阿字は。則仏心なり。此仏心情非情に遍せん上は。今の剣璽に遍せざらんや。仏心若変ずとならば。身等し於語に。語等し於心にて。意に身語必具足すべし。身語意平等ならば。剣璽是即事而真也。この外に何体をか尋べき。剣璽は非情なれとも。仏心を遍するが故に。三密備るに非ずや自然道理の実儀に約すれば。本来性相。各各。自建立。各々守自性にて。法爾天然として。非情皆三密を具足せり。観見法界の故に。非情草木悉皆成仏すと云にはなるべしい異なるべし。尺尊の涅槃には。婆羅林枯て白鶴の如し。法華経漢土に渡りし時は。古松老杉梢をうなだれ礼拝し。神妙椋むくの木は中より破て聖徳太子をかくし。紅梅殿の梅は。安楽寺に飛いたる。耆婆が死せしには。諸薬泪を流し。訶梨勒は哭き。神農皇帝毒薬をなめしかば。百草各本性をなのりき。楚裏王の婬欲の火堪兼て。鉄の柱に抱つき身をひやし給しかば。金精を妊て鉄を産玉ふ。就中沈子が信の鏡は他人に嫁し。時鵲と成飛去り。奏始皇が三尺の鏡は。五蔵六腑を写し浮て。王死しかば同共にうせにき。豊城の剣は光をさす。抜丸は主不知して鞘を抜にき。是皆心有に非や。何況神体と崇奉る剣璽の霊験。あにほどこさざらんや。凡夫は鹿相を見て。非情に心旡とすれども。識之似塵識。色之似心色とも云。六塵説法とも云ひ。意即是花。旡々無別ともあるは非情等のものを云ひ物を思が故に。絵像木像の三密の用を顕す事又多し。優円王の尺迦の像は。宝階のもとまで出給て仏を迎へ。鴆摩羅炎を夜るはをひ尽は負れて。亀慈国にゆきたまふ。南印度の石の尺迦は。六斉の日光を放て。根本中堂の七仏薬師は。手斧毎にうなづき。金毘羅大将の御脚脛今温也。山王院の自作の御影は。室内よりをどり出。法勝寺の愛染王は。師子冠より血をはき。高大夫鞭にてさすに。両界の尊像立て本座につく。無動寺の本尊は。行者を背て北にむき南にむき。中より破てついに御詞を出て。咒咀人を教。証空内供の黄不動は。御涙を流して。行者にかはるとの玉ひき。随類変化の方には非して。即体に身口意の功能有事如是。如来舎利及仏像正等なりとは。是故に説玉ふ。神明も又相同く崇奉る御体は。本地と実体とに少の差別あるべからず。内侍所の御鏡は。焼亡の中より出させ給て。南庭の木の上にかゝり玉ひ。熱田の宮の御剣は。火焔の外に飛去り玉ふ事あり。当社の御剣も霊威掲焉にして。賞罸厳重にましませば。切前を隣敵にあてゝ降伏し。王城には白地にもむけ奉る事なし。是則漢の高祖の剣をむけし方の諸侯制せらるゝに相同じ。御璽の箱の中を拝見しまいらせん事は。肉眼不浄の故也。俗体法体とあらばれて。一機一縁にみえ給事も。剣璽の変現に非ずや。保延六年正月廿三日の亥剋に。廟壇炎上のありし時。当番の御殿司覚豪。宿坊に打まどろみてありけるとき。俄に御幸成べきに可参と。仕丁来て申卜思て。打驚胸さはぎしけれども。放生会の外御行なる事なし。只今さる事不可有と思て。又まどろみ入けるに。何なる事ぞ。とくとく可参と。重て告をかうぶりければ。様有事なりとあはてゝ参上するほどに。廻廊の下より火焔燃出ければ。やがて内殿へまいり。三所の剣璽を取出し奉りける程に。東の鳥居の下の辺にて。余りに仰天し。御璽の箱をすべらかし奉りて。蓋すこしあきたりけるにや。光明かゞやき玉へりと計見まいらせて両眼忽に闇く成。前後を不弁成ければ。暫心地を静め。衣の袖を打覆まいらせて。護国寺に入れ進せにけり。加様の次にだにはづれさまの拝見不叶。まして実体を争か拝奉らん。覚豪は御体を出し奉る勧賞を蒙て。法橋に叙す。当山の住侶綱位に昇る初なり。執行法橋俊成は。御体を伺まいらせて。眼くらく成にけり。但し秘密神咒念誦成就しぬれば。十方の浄刹にいたり。聖衆を拝見する徳あるが故に。行教和尚は神体に近づき。御物語を承る。第一の別当安宗は。御腰より下を拝見す。伝教法師は親く紫衣を玉はり。七条袈裟袷一両云々。弘法大師東大寺の南大門にて御対面ありて。相互に御影をうつし給けり。高雄山に安置し玉ひしを。東大寺の鎮守に祝進せんとて。南都より望申されしかども不叶して今にあり。是不思議の重宝なりとて。鳥羽勝光明院の実蔵に納置れたり。近来或上人。効験の真言師。究竟の絵かきなりしによつて。内裏より此御影を写し奉らしめ給しに。其功終て後ほどなく入滅せられぬ。件の便宜を以て。私の為に書とめられけるも。上人死去の後。俄に失火出来てやけにけり。此事奉行せられし公卿は。不慮の難にあはれけり。

 

近来。河内の国より常に参詣せし憎あり。御体を拝見せんと祈請しければ。御示現に。我を見んと思はゞ。桜町の許へ参るべし。我彼に通なりと有しかば。其名をだにも不聞ずして。在所を争か可知と歎し程に。神の御方便にや。桜町中納言成範と云人ありとて人告にけり。彼へ行て伺に。成範は浄衣打きて。紺紙金泥を以て。一字三礼法華経をかゝれけり。法花実相の義。我体は正道なりとある御詫宣に同じく。正道の頭を栖とすと告給故に。成範の正直の頭は。神の所居。法華の実相中道は。是御体なりけりとぞ覚へける。誠を至の祈請すれば。感応の故に。加様に人法にあらばれ告玉とも。於実体者深かくし玉へば。剣璽是真実の御体なりと仰ぎ敬事し。定神慮に可叶。情保延焼失のとき。木像の御体は焼て友と成り。

 

内殿に安置の剣璽は。火の中を去て今に威力をほどこし玉事を思に。尺尊応化の金客を荼毘して舎利となし。不滅の智身は霊山に常にいますが如くに相同じ。されば其時諸道の勘文を被召しに。明法の博士小野有隣ちかが申状には。祖廟の爾信者剣と鏡となり。今既に奉出烟炎之中より。寧非霊験之令然哉。是に知。国家鎮論之誓長く存し。天下泰平之運旡疑徴とぞ申ける。

 

本地御事。

 

古当社の三所の中は阿弥陀。左右は観音勢至なり。中を尺迦と申時は。東西は普賢文珠と伝へ来れり。尺迦弥陀の両説は。ともに御詫宣に出たり。先尺迦とは。御詫宣に。我日本国をたもたんが為に大明神と示現す。本体は是尺迦如来の変身自在王草とある上に。昔於霊鷲山。説妙法華経。為度衆生故。示現大菩薩とあれば。尺迦の御変身無疑。宇佐の宮には尺迦と申て異議なし。是について法華経をみるに。我涅槃後。於生死中。現大明神。広度衆生とあれば。霊詫は往昔の事をつぐ。経文は未来の事をしるし御座ば。旁不可有疑。然に愛宕山月輪寺に住せる真統縁い上人。常に願を発して。法華経の文に。常在霊鷲山。及余諸住所といへり。日本国あに余所の中にいらざらんや。生身の尺迦如来を拝見せんと祈請して。法華経を一字毎に三礼をいたし。花一前を奉て多年をふるに。第八巻の内題に至て。夢に石清水の宮へまいるべし。生身の仏のまします也と告を蒙り。上人いそぎ参詣せらるゝ処に。宝殿の扉を開く当番の御殿司。客僧簾の前にありければ。驚てをはんとする時。社務道清。使を走かして。神殿の内に定て客僧あるべし。是を追出すべからず。今夜大菩薩の御示現を蒙る故なりと有しかば。上の所望已に満足して。生身の尺迦は当社大菩薩の御事なりと。掌を合せて泣々拝し玉ける。何ぞ只中天竺の王舎城如来在世の古を恋奉ん。早此宮に参て丹誠をいたさば。豈に離て伽邪城を。別に求め常寂光を非すや舜光の外に別に有ら娑婆の理り。尺迦如来。久遠成道。皆在衆生。一念心中のいはれも。立所に顕ぬべし。次に弥陀とは。御詫宣に。我本国は西方にあり。極楽浄土是也。有縁の衆生を神民として。極楽に往生せしめんと也と告給上へ。行教和尚の訣にうつり玉へるも。弥陀の三尊なれば。阿弥陀如来の。大菩薩の本地にて御座ます条も無疑。空也上人夢に。極楽世界に参り玉へるに。花池宝閣。菩薩。聖衆のあり様。図絵の万荼羅に少もたがはざりしに。教主ばかり蓮台のみありて御身なし。上人問て曰。教主いづれの所に御座すぞや。聖衆答て曰く。女にましぬ。又問ふ。如〔まゝ〕々とは何れの所ぞや。答曰く。日本国石清水男山也。爰に上人夢覚て。頭を傾け手を合。当社に参詣して。念仏三昧をえ玉へりしかば。弥陀は大菩薩の御本地なる事疑なし。自心の信不に依て浄穢の差別を分く。遠く十万億土をへずして極楽にいたり。久しく十二大劫をすごさずして弥陀にあひ奉らんは。只八播の社壇に参るにあるべし。西方は汝身これ也。為に有が十万億の煩悩。為纒を衆善。荘厳して得見んことを妙体明心。故名極楽界と。安養兜天本来胸中と有故に。弥陀も浄土も不遠。況実の生身如来のましまさん当社にまいりて信心あらば。必仏を見奉らん事難とせんや。悲哉。我等不信の故に。神慮にそむき仏陀を隔つることを。抑尺迦弥陀の両説不同。いかゞわきまふべき。法華の本跡二門を以て。二仏同体。吾神の本地と心うべし。昔宇佐の宮にして釈迦と詫宣し玉へる。是法華迹門の始。正覚の如来也。今石清水にて弥陀と示現し玉へる。即法華本門の無量寿仏なるべし。夫法華は尺迦の内証の法門。出世の本懐。弥陀は蓮花を本誓とし。妙法華経は観自在王の密号とも云り。釈迦の本懐。弥陀の本誓。ともに蓮華なれば。二仏同体。人法不二にして。法華の始終我神の本地なるべし。法華といへど。紙墨の経巻のみにあらず。自心八分の肉団法華也。阿字不生は微妙の体也。即是衆生の内心。法は本来清浄にして。如蓮華の故に。顕に妙法蓮華経。常住妙法心。蓮台三十七。尊住心城(まゝ)。此意をうる時。九識即五仏也。第六識は弥陀也。前五識は尺迦也。因果にわたるに。東南の阿閦宝生は因位なり。弥陀尺迦は果満なれば。証位の上に差別なし。故に尺釈弥陀は同体異名なるべし。尺迦弥陀の分別をなすべからず。抑示霊鏡をして朝野を照らし。神剣を以て敵国にふるうとあるを以て。朝野を平等にうかぶるは。霊鏡の理り。敵国を摧破にむかふは。神剣の智。理智を一体に安置する。吾神の御体にて。独古法身の形也と告給へば。理智不二。本地法身顕れたり。其上高良の社には。大菩薩を大日如来と申。此本地よりして。機に随ひ願にまかせて。尺迦弥陀と現れ玉ものなれば。二仏の差異を不論。三所の本地と仰べし。因位縁起云。香椎の御詫宣云。吾は発真言を。往生西方之薩埵。本地は真言之祖師也。五智金剛杵並独鈷法身之形を現ぜり。此御詫宣に依て大日如来也。今云発して真言を。西方に往生すと云る。当竜樹菩薩玉ふか。又高良大明神告志賀明神に曰く。汝が祖師大権現は。朝中三千余所の権者実者之祖父也。即大日普賢妙吉祥毘慮遮那之化身也。

 

王位御事。

 

右。一人慶あるときは。兆民頼ると云り。大菩薩ひとへに金輪の宝祚を守りまいらせて。国家の安寧をいたし玉はんと思召故に。御詫宣に。一切の物の中には。朝廷の御命ぞ甚しき。君に奉仕する事更に他の心旡。御体を守護し奉る事影のごとしと。又云。天の日継は必朝帝氏をつがしめ奉らんとぞ。天朝は日毎に光の弘く永からしめ奉らんとぞ。神吾は実位を月輪の砌にかくして。権化を日域の境にたれたまへるぞ。神の心は更他事なし。只鎮護国家の為なり。帝にて御座べき皇子をば。朱子より諸天神祇ともに守り奉る也。又云。大菩薩は此宮にはましまさず。帝の御身を守護し奉らんとて。京都に坐して。御殿の上をさらしめずして守護し奉る。但節々の祭時。大虚より此宮にかけり行幸する也。又云。祢宜社女が志和佐の穢はしきに依て。神吾宮を去て大虚に雲隠て有しか共。天の御子をとり奉んとて。逆人仲麿等陰謀を発して有しかば。神吾本誓によて帰望て。天朝の御命を守助し奉れり。今も又吾れ御子達を引率して。日々に守護し奉る也と。加様に誓約深く帝闕にましませば。皇王の叡信も余社にこへ玉へり。さても仲哀天皇神功皇后ともに神明と現れ玉ふと云共。御子の応神天皇を。日本第二の宗廟と祝奉り。父母の御位よりも過たり。社官を賞翫せらるゝ余。僧正に同して香染をゆるされ。法務に准して令追陰。紫袍を玉はりて着用し。狩衣の侍を召具して。宮の出御にことならず。王公の貴種にあらぬ不浄行の僧。神威をかる公家の優如にあらぬより外は。争か如此過分の朝奨にあづかるべき。恒例臨時の神事仏事を儲て。和光をかざり法味勧め玉へる事。羅縷にいとまあらず。九牛が一毛をしるさん。欽明天皇は宇佐宮を崇め。清和天皇は当宮を造営して。御体を安置し。威儀の御馬をまいらせ。御唐鞍を調進し。官幣を始め。勅使を立て玉ふ。延喜の聖主は木像の御体を造進し。天慶の明帝は臨時の祭を始め。一条院は三昧堂を建立し。白河院は大塔を造営し。一切経を奉納し。毎年行幸あり。御願文に曰。践祚之初。承保之暦。先以参詣八幡大菩薩宝殿に矣。爾今毎年卜沽洗之候を。整万乗臨幸之儀。宮花綻露之朝。廻して輿輦を以出紫闥を。山鴬囀霞之暮。調歌笛を以侍瑞籬。事為恒規の。例軼先代に矣。遜譲より以来四十余載。時々促し駕於松壖之嵐に。念々輪誠於叢祠之砌に。拝覲之儀。前後相并てに十五度也とありき。後白河法皇は手自護国寺の供花をはじめ。建春門の女院は七社の御正体をあらはし。上東門の女院は三所之神輿を調進し玉ふ。此跡を追て。代々の中宮職其例を学玉ふ事十余け度也。待賢門の女院は小塔を立玉ふ御願文に。蓬来宮の中に。親母の儀不賎。枌楡の社の下に。敬神之誠甚深しとぞある。八条の女院は御自筆の大槃若を奉納し。十六会講をはじめ置たまへり。御願文に。大芥本は握天統を而翫す皇明を。余裔永継く尭日禹月の光を。後には秘して地位を而顕し神徳を。万姓皆預る内証外用之益に。弟子受廿五世之苗胤を。殊憑霊眷を。捧六百軸之花文。欲酬と冥恩にと有。敦実の親王は十節の御供を手自備へ始め玉へり。円融院は始て行幸有て。神宝を調進し。検校定果。別当光誉を以て法橋に叙す。宮寺綱位の始め也。俗別当良常。神主安遠加一階。位元従下五今従上。此例に任て。代々の御門即位の後。先当社に行幸有。後三条院は放生会を一員の儀式にとゝのへて。百官園繞し。四府陣をはる事。日本の諸社の神事の中に超勝の事なり。又円宗寺を立て。帝道の御運を祈請しまし々々しかば。両院の皇胤ととへに後三条院の御子孫ばかりになり給ふ。

 

嵯峨院は天位望思食よらぬ御事にて。明日御出家可有にて有し其夜。八幡より御使参て留め申さると。御夢想有しかば。神慮に任せて延引有ける程に。四条院俄崩御有しかば。不測に践祚有て。一日万機の政をつかさどり。当社に御幸の時。ゝゝゝ石清水木がくれたりし古を。思出ればすむ心哉とありける。御理りとぞ覚へし。御敬神殊に先代に過て。毎年七日の御参籠。五部大秉経供養。一切経会已下の勅顕。さま々々に始をかれて今にたえず。一切経の御願文に。倩思に一生涯之我運を。在八幡宮之冥助に。思斯八幡宮冥助。又在り先院之御願に。以先院之宿業を。為弟子之啓白と。以宗廟之照鑑。為弟子之運命と。千子万孫之継体。是百王之鎮護也。国母藩王之満足。亦三所之加被也云云。五部大乗経の御願文の中には。眇身於宗廟。欽仰之志深し自嚢古。宗廟於眇身に。擁護之徳勝り于往時に。七日参宿勇猛にして。凝し懇府之沖襟を。二百軸之妙文斎持して。為行路之資貯とぞありしか。今上階〔陸歟〕下まで六代の帝王。御子孫にあらずと云事なし。若御出家あらましかば。争か継体守文の君と仰れ玉べき。されば当時の両法皇も。御報賽世に越て。或は如法如説の妙行を。社壇にして二け度まで勤修し玉ひ。或は最勝十講の梵席をのべて。南北の碩徳の法味をかざり奉る。千部の法華供養も有き。自余の細々の御願は不及数に。

 

氏人事。

 

右平等の大悲は。一味なりと云共。結縁の厚薄によりて。神恩にあづかる者なれば。御詫宣に。人の国より吾が国。他人より吾人。神の木と成事は斧にきられざらんがため。神の萱と成事は鎌に苅れざらんが為也。左手の物を以て右の手に不移右の手の物を以て左の手に不移。所謂同じ口に入る物も。咀方あり呑方有。胡箙の矢も。白羽あり黒羽あり。況や同姓同人と云共。他人に准ずる事なし。若吾氏人の中に。一人も有愁歎者ば。吾社を去て虚空に住して。天下に種々の災を可起とあれば。所司神人となれるをば。取分思食由あり。有縁の衆生を神氏とすと告玉ふもたのもし。

 

爰清丸宇佐の勅使に参じたりし時。女祢宜が詫宣を信ぜざりしかば。御宝殿動事一時計にして。忽に御殿の上に紫雲棚びき。中より満月輪の如して出まします。和光宮中に満て。身の毛竪けり。清丸頭を傾て目にあて奉に。明に御形を現じ玉ふ。止事無き僧形の御長一丈計也。清丸。汝詫宣を不信。女祢宜が奉仕する元由を知ずや否。女祢宜は受識灌頂にかなふ者を撰仕ぞ。かの位とは。妙覚朗然の位に相叶ふ弥陀仏の変化の御身也。汝詫宣を可用。吾誓願を発して。三身の神体を現じて。善悪の道をことはる也。今汝が宣命はうけず。此旨を奏聞すべし。汝科に当んか。神吾よく相助べき也とありしかば。女祢宜までもかるしむべからず。可恐云云。後白河院の御幸有しに。御子の一。法皇の御前にて様々の事を申けるを。そら詫宣不敵なりとにくませ給て。御手をにぎり。此を何共申あてたらば。実事の御詫と可仰。若たがふならば。我をかろしめ申也と被仰出たりしかば。かたへの御子供。或は汗を流し。或は色を違へて。大菩薩恥かゝせ給なと一同にぞ申ける。惣〔まゝ〕の一はちともさはがずして。

 

しろがねのつぼをならべて水くめば水ばくまれで富ぞくまるゝ。其時院は御座をすべり。首を傾け玉て。誠の神詫なりけりと。叡信不浅して。御手を開き玉ふに。銀の水入也。御子なんどのそら詫宣は。いまに始めぬ事なれ共。始めはさしもの御詫宣にてもや旡りけんなれども。是を申そんじなば。忽に御子科に当べきを悲思食て。尊神俄に入かはり玉て。掌をさすが如くありしこそ。神徳あきらかに耳目ををどろかしけれ。

 

巡拝記云。其時法皇の曰。汝が音能し。時勢はうたはぬかと問せ玉に。御子如形歌作とて。霊山界の大虚に。宝塔扉を開き。二りの仏を一度に。悦ぜ拝し奉ると云云。法皇の御方より御服を玉はり。女院の御方より紅梅の檀紙十帖給云云。人につく時には。二りと申べし。仏につく時は二つの仏と申すべし。なれば木は二つの仏とうたうを。此御子の折節を知り。一方には法皇の御座。一方には女院の御座を見あげて。尺迦多宝の二仏によそへて。二仏を二人にうたひなして。二りの仏と歌ひたり。其よりして以来。一りの仏と歌う様出来たり。此は紺泥の大般若供養の御時なり。又一人の御子。その身さかりなりと云ども。緑の髪ひとへに白がに成て。人に笑はれければ。若宮にて七日祈請申しに。第七日の夜。白き髪如元に黒也。今更若やぎたりければ。後鳥羽院きこしめし。叡感のあまり。御子の職事を玉はりしかば。宣旨の職事といはれて。其名今に伝はれり。当時まいりつかふまつる巫女も。父母随分に深窓にやしなはんと思へ共。神の御祟り有に依て。多は参て昼夜不退の奉仕をいたす。故に一天の君に召あげられ。仙洞に祗候し。雲客を以て社頭にをくり参せらるゝ事。其身の面目のみにあらず。神恩の顕る所也。今生にかぎらず。来世も又憑あり。神人貞房と申者。病を受て難遁かりければ。僧を請じ。大般若を読せ。験者なんどしけれとも。不叶して死にけり。時の程に琰魔王宮に参る。王曰。定業にてはなし。返すべき也。爰に後にけだかき御音をもて。貞房。大菩薩の時をかへず召て参れとある也。急ぎ帰り参れと有を。かへりみれば。止事なき黒衣の僧。地をさる事三尺計也。御使と聞て。牛頭馬頭阿防羅刹皆膝をつき畏る。炎王の曰。定業ならざる由先立て申をはりぬ。速に進すべしと有りければ。此僧貞房をぐして帰玉ふに。貞房は病疲れて遅し。僧はいといそがぬに早し。僧顧て。急ぎ参れ。時をかへずと仰ありつるにとてはやめ給ふが。をそくして遥なる野原を行に。後にをびたゞしき大音を以て。貞房暫とゞまるべしと云を。顧れば青鬼しもとのさきに幣をささげて来りけり。貞房は炎王の召かへさるゝにこそと。をそろしく如何すべしと思はれて。連給ひつる僧にはをくれまいらせぬ。今は何と可遁心もなし。然に二人の鬼は遥に見えつるが。旡程そばへ来りて云やう。恐るゝ事なかれ。炎王の仰に。此所は罪人集りて穢たる所也。忝も従是大菩薩の御前へ参る神人なるに。祓をすべきなりと承て来る也とて。幣を以て三度なでまわして。鬼は返ぬ。僧の御後に随ひて行程にやう々々八幡山も見へて。大塔を打過南楼に参ぬ。僧は玉の井垣をあけて。中御前に参て膝をつきて。貞房召て参て候と被申ければ。良暫ありて。気高御音をもて。貞房。年は百歳にのべ玉ふ。後生には善所に可生と。慥に可仰付とあり。其後西東の御前にまいりて申なる。御返事是同じ。さて僧の後に随奉て。廊の下を西へまわると思けるに。貞房蘇りけり。妻子をみる喜び。神慮の及所の忝なさに。泣より外の事なし。貞房は九十二にあまり百に至り。正念にして終りしかば。定しく又後生も善所なるらんと云事を。御子神人なんどは。社官の中にはいやしき職也と云共。多生の結縁に依て。其数に加る故に。現当の御助にあづかる。況社務已下の祠官神官。数代を重て神職につらなり。昼夜朝暮のいとなみ。神事社役の身なるにをいてをや。御詫宣に。若人あて。我人を打穢し悪口罵謗せば。我詫宣して呵責を可加。我人は七代の子孫。廿五代の末の子孫姉妹にいたるまで。我領して更に旡他人の妨。諸難の中に我救護するとあるぞ憑しき。一度も氏人のかずに加りなば。生々に大菩薩の御眷属となり。擁護にあづかるべきこと。結縁の深さこそ誠忝者なれ。成清検校は。本師にをくれて。宮寺に安堵しがたかりけるを。花園の左大有仁臣御子の如く養玉て。已に元服あるべきに定けるに。乍去大菩薩の氏人也。神慮いかゞあるべからんとて。七日御祈請ありしに。第六日の夜。八幡より光明さして。成清に覆へりと青侍の夢に見たりし程に。さては大菩薩可召仕者なりとて。法師に成されたりしかども。宮寺の居住不叶して。仁和寺にたえ々々敷て住ける程に。所労の事ありて医師に逢んとするに。内匠頭実康が夢に。八幡よりとて。如法うつくしき見の。葦毛馬に乗て。今日来らん病者をば。能々療治を加ふべし。殊に不便に思食さるゝ者也と有しかば。実康驚て後。不思議の事哉。何成者にてか有んずらんと待得入たる所に。成清行て対面せられける程に。在所を委尋申すに。見苦さのあまり。八幡の社務が弟子とは名のらざりけるを。余に懇切に問ければ。ありのまゝにぞ語りける。実康大に信仰して。神の守り玉ふ人也とて。殊に敬ひもてなしけり。去程に保元元年五月に。鳥羽の法皇御灸治の時。仏神の霊験を語り申て。慰め進すべしと勅定ありけるに。典薬頭重基。まぢかくかゝる不思議ありと申たりける程に。法皇大に驚思食て。法性寺殿に被仰合て。修理の別当になされたりしかども。世間なを合期せざりける程に。社頭にて。

 

榊葉にその木綿かい〔ひ新〕はなけれども。神に心をかけぬ日ぞなきと詠たりしに。叡聞に達して。新古今に入にけり。ついに正宮弥勒寺香椎宝塔院を管領し。当社の検校多年をへて。子孫多繁昌し。当時の祠官たり。凡社官の輩。大略不浄にして。人の信施をむさぶる故に。多蛇道に生ると申伝たるも理也。成真法印八子の御前にて所作するとて。ちと真睡たりけるに。宝殿の下夥しき大池なり。其中に大蛇多頭に。其の検校某の別当なんど銘を載てあり。小蛇は其数を不知と見たりけり。同蛇道生とも余所には行ずして。大菩薩の御膝の下にして。愚痴の業を疾くつくのひて。速に出離解脱の道に入れ可給と有。加様の事を聞伝て。或禅僧の参て。廟壇悉大池也と拝て。帰を云様。八幡はゆゆしき大池計にて。社もなかりけりと申に。同朋の僧。いかに去事は有べきぞ。四面の廻廊。二階の楼門。宮殿鐺をかざり。朱の玉垣神さびて。いみじき社壇にてまします物をと諍ひて。いざゝらば具して参んとて。二人連て参詣したりし時は。本の執情とらけて拝見するに。なじかは池なるべき。奇麗の宝殿也ければ。一翳在目に。千花乱虚。一妄在心。恒沙生滅あり。雲駅月運。船行岸移と云るも。誠なる哉。妄見をこす時は池と見。妄やめば宝殿とみる。社頭はかはる事なけれ共。執心にひかれて。有旡の見はありけりと心得ぬるも。大菩薩の善巧方便に有ずや。昔は社頭に余りに蛇多かりしかば。九条に錫杖を誦せられて。当持は失たりと申。

 

巡拝記云。河内国より常詣る聖侍りけり。或夜若君一人来て。此僧に被仰様は。汝錫杖を誦すべし。其聖。其後は参度に。先錫杖を誦しけり。何事も心による事なれば。我等は唾跡に値遇し奉て。疑なく生死を出すべく侍り。中比面貌うつくしくして。見る人愛敬せずと云事なかりし見。いかなる罪報にかありけん。十六歳の時。癩病にをかされ。何に療治しけれ共不叶。日を経てぶつちやうして。人倫の交り絶てける程に。宇佐の宮に参て七ヶ日祈請する。験しなかりければ。露の命長へて何にかはすべき。今は千尋の底に身を投て。藻くづの中に交りなん。今夜計の名残をも。誰と共にか惜べき。此暁と思にも。明行空をうらめしとて。

 

世の中のうさには神も旡りけり何に歎きけん心づくしにと。打すさみたる時。宝殿鳴動して。冷たき風吹来。身にしみ渡ると思に。五体身分うけのく様にありければ。暫心地をしづめて。水底に入んまで見終べしとて。一人の僧付たりけるを。潜によびよせて紙燭を乞ければ。此僧急ぎ持て行て見るに。瘡の有る皮の分ひとへ。身の中を分て。二に破て両方に落。我身は若膚の如して。本の姿に成にけり。此を見て。児も僧も余の事なれば。物も更に云れず。先立ものは泪也。厳重不思議の霊験旡類事なりき。今は已に此世に旡き者と思し子の。本の如くに成たるを。父も母も是を見付て。あざみ喜ぶ有様中々無云計。凡癩病は。大乗誹謗の感じたる病なれば。医療も不叶。祈請も及ばぬ物なるに。大菩薩の御方便難測事ども也。近来京より貧き女房の。ひとり女を余悲しく思けるが。あらしつけて玉へと。祈講申さんとて。母も子も連て。這々参宮して。母は終夜法施をまいらせて祈り申けるに。女何心もなぐに寝入たりければ。母驚て云やう。いかにや。遠々とかく参て祈請するは誰が為ぞ。わごぜが為を思ぞかし。同じ心にもなくて。思さまに打とけ。ね入り給ひたるぞや。親の思ふ程には。身の事をも思はぬにやと打口説ければ。娘とりあへず。

 

身のうさを中々何と石清水思ふ心は神ぞしるらんと。打詠じたりければ。日来は歌なんどよむとも不知。又思さまに寝入たりとこそ恨つるに。加様の心にて有けるよと。思ふに付ても為方なく。糸惜し事の有様哀に見へければ。大菩薩も忽御方便をや廻されけん。下向道にて。或殿上人に行逢て。やがてやがて〔三字或衍〕取れて。又旡き物にぞ思はれける。されば一首の詩歌にも。神慮をなぜかしまいらする事なれば。人倫として和漢の道にたづさはるべきをや。寛仁の比。東夷の国賊日本国へ襲来の時。壱岐島の常行法師と云者の母とられ行ぬ。我子に今一度あひみせ給へと。大菩薩に遥に祈念し奉れども。海隔て境遠くして。帰る事更に有可からず。歎の余り身を投んとて。海辺に望所に。海あさかりける程に。渡りゆけば片時に向ひの地に付ぬ。是高麗国也。件の海は深こと底もなく。広きことほとりもなし。風波荒くして。舟船なを容易くかよはざる道也。是併ら大菩薩の御助也と驚て。高麗の王官食を与て日本にをくらる。天喜年中に。卅余歳をへて本国にいたり。愛子を見る事不思議也。偏神恩ならでは。いかでかゝる事は有べきと。悦事無限りき山本冠者流罪の事。一心に大菩薩に歎申ければ。御示現に。

 

山鳩はいづくかとくら石清水八幡の峰の御榊の枝。其後無程免除せられにけり。又成光と云者。黄泉の使にとられんとせし時。二歳の小児に詫して曰。其形は知人に成て。辰巳の日戌亥の時来らんとす。甚慎て不出立して。桃木の札三を作て。天地八陽経の陀羅尼をかきて。枕に立て。其を曠りて金鞁の頌を百遍ばかり頌よと告給ふ。国土を饒益し。求願を満足したまへり。被の行者の得玉し玉をば。大峰の玉置の宿に埋給ふ。弘法大師は。室生山に納め置給ふも。皆其由相同じ。五大虚空蔵の宝部の三摩地に入玉ふも。心はかはらざるべし。御詫宣に。若求名聞行者。求富貴官位を者。求七宝如意を者。求天下国士大臣者。随祈為成就。七難即滅し。七福即生ず。一時に礼拝すれば。千里の内に七難不起と有も。宝球を得玉ふしるし成べし。我等衆生にかくの如くの所望をかなへ給はんとて。大菩薩翁と変じて。千日給事を至し玉し事。つら々々と思ひほどくには。筆も詞も不及者也。

 

近来久我右幕下の大将。相論の御時。座下の人外戚のよしみを以て。超越せらるべきになりければ。所恃者吾君正直之憲政也。所憑者八幡宗地の冥助也。若不達所望者。抛拝趨於宮闕之月。卜幽栖於山林之雲べしと。申状にかきて。除目の日になりしかば。衣冠正く執理ひて当社にまいり竜り。座下の人なり王はゞ。宝前にて御出家あるべしと思定て。聖明莫弃累家の職。承暦以来八代の臣と口ずさみて。容顔美麗。才芸旡双。源氏の正統。仙洞の親地の臣として。朝家のをもき人にてこそ。昨日まではましまししに。只今御出家之企に及ぶ有様。外の悲歎もたへがたし。まして年来奉仕の諸大夫青侍泪を押て並居たり。御所望相違なく。慶賀なりとて。御使京より参たりしかば。敬神色をそへてぞ帰京し玉ひける。師材の卿は。年闌るまで宰相を申されしが。本意遂ざりけるを歎て。当社に参て。枯たる橘の木を見て。

 

千破振神の社の橘ももろきも共に老にける哉と詠たりけるを。大菩薩あはれに思石あまり。橘はさかへ。師材は帰京の後やがて宰相に成玉ふ。此橘は名木にて。井垣しまはしたる也。

 

慈悲御事。

 

右御詫宣に。神吾敷坐する国内の百姓等。甚貧窮也。被等が負所の正税依未納。責懲られて朝夕に歎を見ば。いたく甚憐也。府某等が未納正税の稲を免ずべき也。其代に日別に吾に給る租并地子の稲一十六万余束を大宰府に可納。民の苦は我くるしみなりとの玉へり。又朝家の御為に。不吉祥の発る事を除かんが為に。当国の守に仰て。三寺の衆僧を請定して最勝王経を講読し奉るべし。即吾公錦をもて為に布施する也。貧窮の神人等にも賑給ぬべし。死する恥より生る恥の如きはなし。身の疵よりは名の疵の如きは旡と告給ふ。凡人を助願を満るには。宝珠に過たる物なし。此故に大施太子海中に入て八千由旬に宝をふらし。如意珠をえて施行をなす。彦山にて宝蓮和尚千日籠を始玉ふに。翁一人来て給仕す。千日満ぜし時。青竜出現して。玉を含て和尚に奉る。爰翁の曰。我千日まで給仕する功に。この玉を与へ玉へと云に。和尚をしみ玉ひしかば。翁の曰。実には玉はずとも。只たぶと被仰よと云に。其は安事也と返答ありしに。翁悦て去ぬ。其時衣の袖につゝみたる玉失にけり。和尚定に入て。火界の咒を誦て。翁の逃る前を焼切る。これによつて。翁帰て和尚に申様。我百王守謹の誓ありて。神と現れんと思也。まぐて此玉を与へ給へと被申しかば。和尚心ゆきて。衆生済度の為ならばとて与玉にき。翁と云は今の大菩薩の御事也。釈迦尊は千歳の給仕に依て。妙法を得て三界の慈父となり。大菩薩は千日の給仕に依て。宝珠を得て八幡の霊神と現玉ふ。ついに王城の南。福徳の方に移り。廿日亥時成光をめす。慎て参上する事不可叶候と申ければ。只まいるべし。已に今日巳時に。伊勢国神前と云所に住する生光と云法師を召てけり。今は物は〔は或衍〕ないみそと仰ける時。成光が悦こと更にたとへなし。近来貧しき女房。常に参籠して。宿坊にて年来参れども。坊布施を奉ぬ事。心の外の事也。いか様にもとく有つきて悦を申さんと云ければ。房主うまゝ々将来にやと笑ける。此女房かくいはれて。辱さ限なし。中々云はざりし程は。さても有ぬべし。今は又向て行べき心地もせざりければ。社頭に参て悲さの余りに。  

 憂身をばさて山の端に入ねとやかくてはいかゞ在明の月と打詠て。神に志は深けれ共。立寄べき坊旡く覚へければ。泣々く京へぞ上ける。大菩薩哀に思召けるにや。不慮に幸ひをひきて。ゆゝしく有付て後。我身は輿にのり。供者済々共して。いかめしぐにて坊に入けり。是はいかに所違にてはし候やらんと疑ひ申ければ。輿の内より是は将来女房が参りたる也。日来の坊布施の分とて。美絹十疋かつ々々参らすと云遣したりける時。坊主心の中うれしさ辱さ。ともかくも返事えこそ云ざりけれ。先に女房の将来と云れたりしより。中々辱かりけり。何事も因位による事なれば。大菩薩は旅人を憐み玉ふ也。其故は。高知保。阿蘇。八幡三人は。御兄弟として。日本の諸国を御覧のため。豊後国大野郡緒方の村に来着給て。比那多滝と云所に居住する。□島の武宮と云者がもとに。夜宿せんとし玉ふ。武宮もへ木をもて。八幡をうち奉りをひまいらせければ。八幡の宣く。汝が子孫は色皆くろかるべし。もへ木をもて我を打故にとて出給ひけり。されば旅の物うき様をあはれに思召故に。御許山に修行者十人ばかり集りて。一夏の供花を備へけるに。食すでにつきて。明日退散すべきに成ける夜。一人の僧なげき伏にね入たり。石体の二の御前。武内と召て。此客僧どもに夏食与よと。大宮司に可仰召とみる。朝大宮司がもとよりとて。今夜武内の御使にて。御示現ありつる也。是に驚て種々の食物を奉ると云けり。当宮の住人多他所流浪の輩のみ安堵してあり。名字はしるすに不及。

 

 

八幡愚童訓下

 

放生会事受戒御事

 

正直御事不浄事

 

仏法事後世事

 

放生御事。

 

右大会のをこり。御詫宣に。合戦の間。多殺生をいたす。宜く放生会を修すべしとありしに依て。国々所々。網にかゝり。わなえ取らるゝ生類を免じ。最勝王経を講説して。神事をとり行る。其故は。大隅日向両国の乱逆に。神軍を率して。折平げ玉ひて。彼亡率をたすけ。罪障懺悔の御為也。宇佐宮には。天平宝字五年八月十五日に始て行ひ。当社には貞観五年八月十五日始て行る。元は宮寺の沙汰。延久二年八月十五日より公家の御沙汰として。一員儀式になし。衛苻官悉参向す。最初の上卿は。宇治の大納言隆国也。抑大菩薩縦ひ旡量の殺生を成玉とも。覚位の上には。意巧善故生多功徳にて。内証弥あきらかに。威光更に不可曇と云ども。流水長者十千の魚を生て。現生に十千の珠を得。来世の福因を殖し。様々末代造悪の我等に。放生の福葉を畜はへさせんと思食御方便より出たり。凡此会は。生住異滅の相をあらはし。有為無常のことはりを示て。朝には文官武官冠冕を正し。楽人舞人妙曲を究て。栄花にほこる儀式也。たには盛者必衰のいはれに随ひ。会者定離の習を告て。社僧各錦綺の袈裟を改鹿布の浄衣にやつれ。藁履をはき。白木の杖をつき。葬礼をまなびて。還城楽を奏して。離宮より出玉ふ。楽つきて悲来る有様を。心閑に拝するに。秋の半の月の影。ふけ行夜半に澄昇り。山路の鹿の鳴声。身にしみ渡る松の風。草葉にむすぶ白露の。あだに消行く命ぞと。折にふれたる気色まで。浮世の中も厭ぬべし。されば此会結縁する人は。皆罪を除き楽をうる物也。東大寺の貞敏僧都は。説経師なりける程に。多の請用をうけ。布施をむさぼりしが。死て後人につきて云た。我不浄説法の故に。地獄に落て其苦みたへがたしと云ども。八幡の放生会の導師に。只一度参勤したりしに依て。毎日三度冷き風来て。身を扶くと告たりしに付ても。心有輩は何どもの此神事に。参り進んとはぐみける。せめても悪業を断じ。殺生をやめ玉はんが為に。大菩薩は魚味を留て。精進の御供をまいり。肉食の物をば。百日七日三日。勝劣に随ひて忌玉ふ。日本諸神の中にも。御慈悲すぐれて御坐が故也。唐土には神を祝ては。生にえとて。いきながら人をまつり。禽獣をたむけ。我朝には大権の垂跡にてましませば。生ながら人をまつる事は无と云ども。魚鳥の肉迄も断し玉ふ事なし。爰式部卿の親王敦実。衣冠を正くして。精進魚味の二つの御供を。手自奉り玉ひて。神慮を伺ひ玉ひしに。精進の御供の御飯に。御箸飛て立しより。肉食を留。精進の御供を備奉る。件の御箸は銀なり。重宝の中に納をき奉る。弥勒仏の光明仙人とて。深山え修行し玉し時。兎角やけ死て肉を供養せしより。我肉をくへばこそ。かゝる不便の事はあれとて。其よりしてこそ。長く肉を絶玉いけれ。菩薩の慈悲は。今も昔も不違。たつとかりける御事なり。

 

受戒御事。

 

右滅罪生善のはかりごと。正法久住の徳。出家受戒による故。縦起宝塔。至忉利天。亦劣出家。受戒の功徳に。戒是旡上菩薩の本と。若求大利を。当堅持戒をといへり。この故に。大菩薩も御許山の石体の坤にあたり。三四町を去て。御出家有しかば。御出家の峰と名付たり。宝亀八年五月十八日御詫宣に。明日辰時に沙門となりて。三帰五戒を受べし。自今以後。殺生を禁断すべし。但国家の為。巨害の輩出来の時は。此限にあらずと告玉へるは。大菩薩本地妙覚果満の如来にましませば。事あたらしく御出家受戒の告あるべからず。神通自在をえ玉へど。出家受戒して仏道を修行し玉へば。まして凡夫争か破戒旡慙にてあるべきと。はげまし玉ふ故也。然ども猶深重の利益を施し給はんとて。国家の敵は其限に非ずと。御詞を残し玉へり。夫戒を受るに。其時はたもだしなんと。誓には得戒する事なしと云ども。此御誓願は情見の上にあらねば。疑をなす事なかるべし。御詫宣に。神吾国家並一切衆生。利益の意ふかきに依て。蛇心をこる也。蛇心に変じ起し故は。衆生の心をとらかして。戒道に入れ。更に悪道に行しめずして引導せんが為也。又云。末代に及で。仏法威衰ろへ。邪法さかりにして。父母に孝順する人なく。国王非法ならん其時の人の為に。神道と現ずる也とは。神道として其罸あらたなるには。悪業を好む人も。不孝の輩も。神罰をはゞかる故に。不孝非法の為と有こそ。末代我等が可恐事なれ。非法を反ば正法となり。不孝をあらためば孝順となるべし。孝は又戒也。戒の名を制止とす。故に神道と現じて。非法不孝を制断せんとの冥慮也。御出家の峰を。十四五町去て。正覚寺と号するは。大菩薩此所にて正覚なり玉へる故なり。出家受戒の上に。諸善の功徳を生て。正覚なるべき由を示玉ふ者也。此山には。大菩薩摩訶陀国の椙の種をとらせ玉て。栽給ひけるとて。九本の大杉あり。御袈裟を掛させ玉ひたりけるとて。袈裟の跡。杉の木に見たり。或御沓御利刀を残され。或御硯をとどめ玉ひたりとて。今は皆岩と成りたれど。其姿はかはらず。御硯の石の中に穴あり。穴の中水たまる。何なる旱魃にも。此水ひる事はなかりしに。文永の蒙古襲来の刻。此水かはきたりけり。凶徒退散して。如元水満りとぞ申ける。神慮いかなる事ならん。旡覚束ぞ覚へける。正像末の三の鉢。正像の鉢は石となりて水もなし。末法の鉢には水の滴りうるをへるとぞ見へたりける。一丈余の大磐石。中比二つに破て。其中に阿弥陀の三尊をはしけり。是只事にあらず。大菩薩の御本地のあらはれ玉ふにこそとて。石体権現の御前に安置し奉れり。如此の不思諸多かりけり。弘法大師云。夫発心して。遠渉するには。非足不能趣向仏道。非戒寧到哉心須。顕密の二戒堅固に受持し。加謹眼命。弁身命莫犯。天台大師云。諸趣の昇沈は。依戒の持毀にと尺し玉へば。戒をたもたずして。生死の苦域を出る事あるべからずと云心をえて。西大寺興正菩薩。我朝に律儀のすたれたる事を歎て。三聚浄戒を自誓得戒して。七衆の師範となり。比丘の法を興行せられしに。様々同心の輩十余人出来ると云ども。僧食の沙汰に不及。身命を三宝に任て。大悲闡提の利益を専にし玉ふ程に。或夜少真睡たる夢に。男一人袋に米を入持来て。前々は僧すくなくして。時料はこぶもやすかりしが。今は僧の数まさつて。食運に余に苦きなり。但僧をいとふ事なかれ。食をばいか程も運すべしと申ければ。いづくよりぞと問るゝに。八幡よりなりとて去玉ふ。戒法の流布は。神慮に叶ひ。御納受ありける宇礼志さよとて。被寺の鎮守には。大菩薩を祝ひ奉る。擁護あさからずまします故なれば。僧徒多しと云ども。一項〔頃か〕の田も不作。一枝の桑もとらねども。飢寒に餓死する者一人もなき事。大菩薩の食物を運し玉ふ故也。又八幡境内え。律院を興隆せんと願をたてられしによりて。大乗院を点て戒法をひろめ。日夜朝暮に法味を備へ奉が故に。或祠官の夢に。毎日に此寺に御幸有とぞ見たりける。又御詫宣に。真言灑水をもて。道場をきよむるを。和光の栖とする也とあるを以て思に。水は是清冷生長の徳有。清冷の故に煩悩の熱毒を除く断悪なり。生長の故に菩薩の花菓を開く修善也。道塲は社壇の地也。戒は是仏法の大地也。此大地は衆生の心地也。されば断悪終善の戒水を。真言不思議の加持を以て。我等が心地にそゝぎて。不浄きよまらん所に。和光を写し玉ふべし。夫仏法には戒を最初とし。真言を究極とす。治浄先々。引発後々のいはれによりて。戒を持て真言を修め。初後円浄なる心水に。大菩薩かけり玉ふべしと信して。持戒弥堅して。秘密修行をこたらざるべきをや。去ば興正菩薩戒を専にし。真言を内証とし玉せしかば。信に神慮に叶ひ。冥見に透りて。五代の帝王御受戒の師範とし。道俗男女五八具の戒を受る事数万人に及き。受職灌頂の弟子も多し。当社大法会の時は。上皇御殿を去り。庭上に向ひ玉ひしかば。卿上雲客は首を地に付。恭敬の気色ふかゝりき。和漢の国主師を貴ぶ例有と云共。加様の事は多し少し。三界の諸天は其足を戴き。四種の輪王ははきものを取に不足と。出家受戒の人をほめられたるこそ眼前なれと。見聞の輩随喜の泪を流しけり。上皇礼をいたし玉ふ事。大菩薩の宝前にても有し事は。我神の擁護によりて。戒徳いみじき様を示し給ふにあらずや。在世の面目のみにあらず。菩薩の号を古墳の苔の上にをくられ。遠忌の仏事には院宮を始まいらせ。竜蹄御剣を玉ひ。種種の珍宝を被送。門徒日々に繁昌して。本寺に数百人居住し。散在の五衆は六十余州に満々て。幾千万と云事を不知。我朝の戒行。前代も加様の事なし。只是大菩薩の御方便なるに依て。濁世なりと云ども。持戒の僧尼をほき事。仏法の恵命をつぎ。国家の福田たり。早禁戒受持して。常爾一心。念除諸益の故に。生死の魔軍を摧き。菩薩の彼岸に至るべし剃髪染衣をのみ持戒と云にあらず。接末帰本するは。一心を為本。一心の性は。与仏旡異。住此心。即是修行仏道を。乗して此宝。垂に直に至と。道場にあれば。外には三業の悪を禁じ。内には三密の観を凝して。一体三宝を信じ。六和具足を思て。即事而真の道をあらはすべし。弘法大師云。不作悪業当是可仏を然し造るなる。悪業を作は迷の衆生と釈し玉へば。断悪修善是仏法の大綱。五神の納受しまします所也。

 

正直事。

 

右大菩薩。已に八正道より権迹をたれ給へば。郡〔群歟〕類の謟曲を除かんと思食故に。御詫宣に。神吾正道を崇め行はんと思ふは。国家安寧の故也とある。誠にも非法を旨とし。正道を捨る時は。其国必滅亡する事なれば。邪をすて正に帰よとなり。生死の調林には。直木は出やすく。曲る木は出る事なし。現当の為に正直を専にすべきもの也。武内の大明神の。昔大臣として応神天皇に仕へ給ふ時。舎弟の甘美内宿祢旡実の讒奏を以て。已に武内誅せられんとせし時。両方かたく相論有しかば。銅の湯に各手を入て。損ぜざるを旡実とすべしと勅宣ありしに。武内の御手は水に入たるが如し。甘美内の手はしゝむら皆落にけり。されば武内は旡実の罪を受るをば。因位を思食出て。なこそ憐み給ふらめ。和気清丸は。勅使として道鏡が事大菩薩に申されし時。ありのまゝに御返事を申たりとて。両足をきられしも。御殿の内より五色の蛇出てねぶり。如元なりしも。正直をあはれみ給ゆへ也。其時の御歌に曰。

 

ありきつゝ来つゝ見れどもいさぎよき人の心を我忘めやと有しこそ。旡類世のためしなれ。

 

巡拝記云。応神天皇の御宇九年夏四月に。武内宿祢を筑紫に下して。百姓を見せしむる時に。武内の弟甘美内宿祢。兄の職を心ざして。天皇に讒言して云く。武内宿祢王位を望心有。新羅高麗百済をかたらひ。都を責んとす。天皇是を聞食て。則軍兵を差進して。武内を討しめんとす。此事鎮西にきこえて。武内歎て曰く。吾従元二心なく。君に仕るを以て事とす。何ぞ旡罪うたるべきや。爰に彼国に真根子と云者有。年闌て貌ち武内に似り。彼翁来て武内に申さく。今大臣科なきにうたれ給はんとす。君の清き心を明らめんと思ふ。而るに人皆君の姿にたがはずと云へり。我代つて剣に当て死せんと思也。早くちかふて都に登て。開き申玉へと云。武内大に悦び給て。南海をめぐり紀の湊に至る。軍兵鎮西に至りて。真根子を見て武内と思て。頭を取て上る。其後武内参して。天皇にすごさぬ由を申すに。天皇甘美内を召て。武内に対せしむ。二人御前にて堅く論じ争に。是非定がたし。天皇勅して。銅の湯を沸て。神祇に祈て。手を中に入よ。科なからん者は。其手損ずる事旡らん。爰甘美内の手を入しに。肉皆落て骨計に成り。武内の手は水に差入たるが如く損ぜず。武内大臣太刀を取て。甘美内を打て顛して害せんとす。帝乞ひゆるさせ給ひぬ。増源と云し僧の御示現に。若人心正直ならば。我身入と心中に告玉ふ。或祠官の随分正直にして。神慮に叶ふらんと見へしが。猛悪不実の傍輩に超越せられて。所職を退き。恨深かりしに。御示現に。彼敵人は。天王寺にて四種の大供養をとげたりし福業を果す也とみて。後は歎のやみぞ晴にけり。縦今生にいかに悪とも。前世の福因あらば。今生はさかえ。来世には苦患を受べし。今世に正直憲法なれども。福報なきは前生の悪業遁ぬ故也。今生によき人の思の如く无とも当来には必ずいみじかるべし。毘尼母論高。破戒にして受れば施を。必ず感現報に。腹則破裂けて。袈裟離れ身を。或旡くんば此相。為めの有んか生報故也と云へるが如く。猛悪不実の人は。現世に神罸をあたりぬれば。来世の為中々罪をつくのひて浮べし。極重罪の輩は。仏神の加護に離れはてゝ。其罸だにも旡れば。来世の悪道にあるべしと。能々恐れ慎べし。前世の福因なくて。今生貧き者。又過去の福業に依て。よき人の悪き振舞すれども科なきを見て。悪き事するは。鵜をまなぶ烏の水に沈が如し。目蓮尊者の外道にうたれて死し。迦留陀夷の壇越に頸をきられし。四果の聖者の癩病をいたみ。三界の独尊の頭風を苦しみ給事。酬因感果のことはり。親〔まゝ〕りのがれ難きが故也。凡御詫宣に。正直の人の頭をすみかとす。謟曲の人をばうけずとあれば。心正直なるに依て。大菩薩其頭にやどり玉ふならば。天魔悪鬼は恐をなし。七珍万宝は自らいたりなん。二世の所願は一心の正直にあり。

 

不浄事。

 

右御詫宣に。吾神道と現て。深く不浄を差別する故は吾不浄の者と。旡道の者を見ば。吾心倦て相をみざる也。我人五辛肉食せず。女の汗穢各三日七日。死穢は卅三日。生穢は二七日也とぞありし。香椎の宮には。聖母の月水の御時。いらせ玉ふ所とて。別の御殿を作り。御さはりの屋と名付たり。神明なを我御身を忌れ玉ふ。況凡夫の不浄つゝしまざらんや。東大寺の大菩薩の御殿の後にして。大宮司田丸。女祢宜を嬈乱しけるを。人は争か知べき。御詫宣に依て。十五年流罪せられにけり。御許山の舎利会に。一人の俗女房をすかして。人の見ぬ谷の底にて犯ける程に。二人共にいだき合て。不離して命失にけり。其体とり合たる様に。近来迄有と云り。寛治五年二月に。兵庫頭知定。二十余日になる産婦と同宿して。神楽に参勤す。忽に鼻血をびたゞ敷出たり。同八月の比。知定が女子十歳計なるが。違例して。我は八幡の御使也。汝産婦に懐抱して。御神楽え参りしかば。鼻血をたらして告示き。其より御勘気有しかども。汝が歌を愛し玉ふ処也。早御神楽に奉仕すべし。又〓肉は更に不可服。大菩薩にくませたまふ者也とありき。中比一人の女房参籠して有けるを。或児常に逢て嬈乱しけり。女房宝前に通夜したりけるに。びんづら結たる若君。白杖を以て打驚して。

 

しめ結て苔の莚を敷しより二人はこゝに人のふさぬぞと見たりける。加様に不浄を忌給を。御詫宣に汚穢不浄を不嫌。謟曲不実を嫌とあれば。婬欲死穢はくるしからぬ事なりとて。はゞからぬ類多事。神慮尤可恐。謟曲不実を嫌也と告給をば。都てあらためず。汗穢不浄を苦しく有まじと申様。前後相違の詞也。内心は清浄正直なれども。外相に行触の穢れ。利益の為に大慈悲に住して。いさゝか不浄にあらんこそ。今の霊詫の本意なるに。雅意に住て浄穢を分ぬ者。只畜生にことならず。近来京より仲蓮房と云僧当宮に参ける程に。鳥羽の小家の前に。若女人打泣て立たり。事の有榛。悲の色外にあまりて見へければ。立寄て何事を歎玉ふにやと云ければ。我母にて有者。今朝死たるを。此身女人也。又独人なれば送るべきに力非ず。小分の財宝もなければ。他人にあつらうべき様もなし。為方なさの余に。立出たる計也と云ければ。げにも心の中糸惜くて。たへ送てまいらせんてと。内へ入かい負て捨けり。此女人の喜事なのめならず。去程え仲蓮房思様。慈悲の心をもて。不慮の汗穢に触つるこそ神鑑恐あれ。さればとて今月の社参をかくべきも旡念なり。如何すべきと案じけるが。兎角してをづ々々参て。内廊はなを憚有と思て。外廊に通夜したりける程に。夢に宝殿の内より。黒衣の僧出させ玉ひて。瑞離のもとへ召よせて。此女人余りに歎て有つるに。返々神妙にとりて捨たり。我もかしこに有つる也と示給けり。誠にも加様の不浄は。何とて御忌有べきぞ。一子の慈悲を垂と霊詫にも有なれば。人を憐む是清浄の心にて。汚穢の恐有べからず。凡大菩薩の本地を云ば。妙覚果満にして。内証の月高く晴。垂跡を云ば。第二の宗廟として。慈悲雲遍く覆が故に。細々の賞もなく。小々の過も遁るに有似り譬ば老子経曰。大方は旡隅。大音は希声。大白若辱。大直は若屈。大成は若欠。大盈は若沖。不去小利。則不得大利。不去小忠。則大忠不至。故小利大利之残也。小忠は大忠の賎也と云が如し。現当の大利益を施給はんと思食が故に。大事の前には小事旡をや。なれども末社の眷属の小神は。其罸ことに厳重也。こゝを以て松童の明神の御詫宣に。大神は梢いかり。小神はしばしばいかると有ぞかし。誉田の山陵をほらんとせし時は。御廟光たりしかば。盗人恐てうせぬ。去る正月三日。又堀奉に。大地震動し。雷電陵の内より鳴出て。近隣の郷々村々迄鳴まはり。車軸の如く大雨くだりなんどせしかば。鋤鍬をすてゝ。前後にまどひて盗賊去ぬ。西大寺の社頭の神木をきりし下部等皆々重病をうけ。大略くるひ死にぞ死ける。奉行の僧も病悩身を責ければ。種々のをこたり申ける。御詫宣に広大慈悲の体なれば。吾は兎も角も思はねども。眷属の小神どもが怒るなり。旡力とぞ示し給ける。文暦年中に。神輿宿院までくだらせ給たりしかば。武士共多く守護し奉る。其下部一人酒に酔て。若宮の御前の橘を。木に付ながらあうのきてくひ切たりしかども。とがむる人も無りしに。とゞめき走りき。東の鳥居の下にて。倒て軈て死にけり。其時は不思議多かりし中に。流星天より飛下り。御輿の中へ入たりき。大なる御鉾は。自然に北の門に立たりき。やさしき事の有しは。公卿天上人多く京より参り。高坊の堂上に着坐有しに。土御門前内府すこし遅参して。門の辺に立ずみて。君父庭に有。則臣子堂にをらずといへる本文は。御存知有にやと有しかば。堂上の人々皆いそぎをり給しこそ。時に取て才学いみじかりし事なれ。又弘安の神輿入洛の時。あしく奉行したりし武士は。其夜の中に俄に死え失て。放ち禦ぎ奉し者は。不慮に所帯を失て。有に旡甲斐成にけり。正き神敵は配所に趣きつかずして死失す。彼住所今に荒野にて。其跡に人なし。建治年中に四月三日の日使に当りし者。山門に身を入て難渋しけるが。終にまけて日使つとめたりしか共。神事違例の科難遁かりしかば。ほどなく一家悉く病死て。其跡荒畠となり。財宝は他人の物とぞ成にける。又安居頭役の料とて。納をきたりける銭貸を盗人入て取けるが。身すくみて銭をとらへてはたらかず。主人社頭より下向して。見付てとらへたりけり。又淀の住人のありしが。大徳人なりしが。安居の頭に当りければ。親疎のとぶらい其数多かりしを。皆も入ず。まして我物は一塵の煩無りければ。神事をろそかに勤めたる科にて。物狂に成て。貧窮第一になるとぞ申ける。夫不浄と云は。婬欲肉食触穢のみにあらず。心の不信なるを云也。加様の冥罸も。眷属の小神の御所行にて。厳重の事あるにや。縦疋手を運財宝の施を備とも矯慢名聞の為ならんには。更に御納受あるべからず。御詫宣に。吾銅火村を飯とし食とも意けがらはしき人の物をば不受。銅火村を座とすとも心穢たる人の所に不到。をのが愚意に任て旡道悪事を好む者を。不浄穢心と云也。諸悪不造。修善常に行じて。自浄身意。神吾教文なりと告玉へば。七仏道戒の心に不相違。断悪修善にしぷ神盧に叶ひ清浄の人と成べし。外相よりは内心による事。まぢかき現証あり。鳥羽より二人の男月詣をしけるが。或時つれて参社したりしに。橘の三なりの枝一人が前に落たりければ。喜て懐中す。今一人の男羨とも云計なし。下向通にて云様。日来同道してこそ参りつれ。利生を蒙らんに差別あるべからず。其橘せめて一を我に与よと云に。かつて以て不可叶と。堅く惜ければ。旡力してこゝなる所へ入り玉へとて。具して行て種々の酒を盛り。心をとりすまして。其橘実にはくれずとも。只くるゝと被仰よと頻に云ければ。安事也。皆参すと云。此男祝ひ籠たりとて。酒三度のみて懐中する様にもてなしけり。橘もちたる男は。日来にかはらず。橘も取らざりしかども。玉はりたる様に振舞し男は。不慮に大徳つきて。身に余る程の富貴になりけり。是則物には不寄。心による信不也。又淀の住人あり。世間合期せざりけるを。測らざるに安居頭にさゝれたりければ。身には叶ふまじき事なれとも神の御計にこそ有らめとて。すべていたまず。夫妻共に精進して。参宮の祈講しける程に。宝殿の内より大なる百足はひかゝりければ。是福の種なりと仰て。袖につゝみて宿所にかへり。深く崇め祝けり。誠の神恩にて有けるにや。所々より大名ども来て。問丸となりける程に。多徳つきて。安居勤仕するのみなあらず。当時まで淀第一の徳人也。是は心も誠あり。物をも賎くせねば。内外相応の利生也。又八幡の御巻数なりとて持て行たりけるを。布施なんど与ん事をや。うるさく思ひけん。去事旡とてをい返しけるを。隣の家主是を見て。よび入て。其巻数我に与よと云ければ。安事也とて置ければ。種々にもてなし祝けり。其夜。此家主夢に見る様。百鬼夜行とをぼしくて。異類い形の輩。我家の中へ入んとしけるが。やら八幡の御巻数の有けるよとて。各々馬よりをりて礼拝をいたして。立帰て。御巻数ををいかへしたりける隣の宿所に入ぬと見て。ひへ汗たりて驚きぬ。其朝より彼家内に。上下一人も不残。悪き病を受て死に失にけり。巻数と申すは。其人の為にとて。祈したる経等の数を書てやるなれば。今請取たる人の為には。一分も廻向せざりし祈也と云ども。信心に引れて。本の願主には祈とならず。今の家主が災難を禦ぎしも。不信を不浄といひ。信心を清浄とするにあらずや。

 

仏法事。

 

右一代の聖教は。機根の不同により。能入の遅速ありと云へども。金杖の二に折て。共に金なるが如く。五百の身因。解脱の通にあらずと云事旡が如大菩薩も日本国にひろまる所の仏法。何も愛し守り玉へり。依之。東大寺の八宗兼学の所には。大菩薩を鎮守とし奉る。是故に御詫宣に。京都に向て大仏を拝し奉らんが為と有。諸宗を守護し玉ふ故に。大伽藍と云所に。大菩薩を鎮守とし奉る。南都七大寺。大略は八幡にて御座すなり。弘法大師は東寺に祝ひ。伝教大師は中堂にあがめ。園城寺には社檀をたて。興福寺には南円堂にして法味を備へ。自余の寺院遠近の霊地に勧請し奉る事。六十六け国に満々て。其数知がたし。御詫宣に。真言の興起。往生極楽の薩埵也とあるは証して初歓喜地を。往すと云生極楽国え文をもて。千部の論主。顕密の祖師竜猛菩薩にて御座すえや。八宗九宗を勝劣なく守護し玉事。他社の神明のなき所也。法華天台宗を守り玉事は。伝教大師渡海の祈の為に。筑紫宇佐宮にまいりて。法華経を講じ玉ひしかば。大菩薩自宝殿をひらかも給て曰。我法音をきかずして。久く年を経たり。幸え和尚に逢て。正教をきくとて。御手紫の七条の袈裟と。袷一領を奉らせ給せけり。和尚これを給て。喜悦身に余り。感涙禁じがたかりき。山王院に崇め納て今に有とぞ。白河鳥羽両院御登山の御幸の時は。先一番に御拝見有。伝教大師ことに敬神深くして。中堂に勧請しまいらせられし故にや。檀那院の僧都覚運。如法深雪の日。中堂の例時に定て人なかるらんとた。歩行にして只一人参勤して。出堂の折。戸の脇に直衣の装束の俗出来て。今日に例時すでに断絶しつべく侍りつるに。神妙に参勤せしめ玉へりと有ければ。僧都驚て。かく仰あるは誰人にて御座すやらんと問ひ被申ければ。石清水八幡とく。御形則かくれ玉けり。誠の心を至せば。一座の行法なれども。玄応を垂じ玉ふ。何れの所にも勧請し奉れば。御影向ありて其所を擁護し玉ふ事。返々も憑く侍り。又沙門光日は。法華経をよみ奉る事。時のまも怠る事あらじと。心にちかひて。数万部を読たり。宿願の事有た。当社へ参て。拝殿に通夜して。法華経を読奉るに。傍の人の夢に。宝倉の中より天童八人出来て。此光日を礼拝し。香花を以て前にならし讃嘆す。神殿の中よりも御声をいだし玉を。如是聖者。必定仰仏。長夜光明。冥途耀日ときこえけり。夢覚て見ば。光日は御経うちよみて居りけり。これ程に御納受有が故。命終の時は。一部を読て作礼而去とて。をはりにけり。吾神法華経を貴び玉ふ事かくの如し。又法相宗を守り玉ふ。御詫宣に。左の目を以ては我朝庭を加護し。右の目を以ては法相宗を守護すとあるにつけても。春日の権現は。同心に御座らん。天照大神と。天児屋根尊と御契約の京〔言歟〕をたがへず。神道とあらはれ玉ふまでも。君臣の礼有て。毎日に当社に参りまします。廻廊の西の一間は。春日御座とて。細々に人をよせずと申伝へたるも。さぞと覚る夢想あまた有と聞へける。又御詫宣に。兜率天内院の外部の神として。其名を金度大神と云。遥に慈尊の法を守護玉ふ。慈尊三会に至まで。尺尊正像末の衆生を利益せんとなりとあれば。瑜伽唯識の教。弥勒下生の時迄。守護し玉はんこそ遥なれ。真言の教は。殊に御納受ある故に。弘法大師渡海の時は。御形を現して御影をうつされ玉ひしかば。大師是を御頭にかけて。大唐に至り。両部の秘教写瓶して。我朝に渡り玉せ。東寺に八幡を祝ひたまへり。近来も。三輪上人真実の要路を示玉へと。心肝をくだきて祈請して。参籠せられたりしに。一人の夫宿坊に来て。きと宝前へ参り玉へと云ければ。何となく胸むなさはぎしき。急ぎ参り玉ふに。南楼の下にて。此夫の曰く。上人の申さるる事是なりとて。秘印明を授く。信仰きもに透り。感涙眼に浮ぜけり。此大事は。双円に性海には。四曼の自性を談ずといへる深秘也。上人これはいかなる義有るやらん。委く示給へとありける時に。我は播磨国より昇りたる人夫なり。是はされば何と仰有事ぞとて。本心に復して去りにけり。印明を授て後。ものをいわずありしに。自証の上に言説なき心顕れたり。上人心中に謹慎して。ろより外に出さざりしに。はからざるに。薄衣着る女房一人。路頭に行あひて。八幡大菩薩より御伝受あんなる印明。我に授け玉へと申ければ。他人のしるべき事なし。様ある事なりと思て。件の大事を是也と被仰時。此女房あなとうとや。七仏の出世に値てうけつるに少しも不違と云ければ。弥あやしみて。何の所より来給ぞと問はれければ。室生辺にあるなりとて。はたゝゝと鳴あがりけるを見ば。大籠虚空にのぼりけり。是室生の善女竜王の。大師の教法をたとぜ。八幡の威光をまし奉らん為に。来て証誠し玉ひけりとぞ思合られける此伝一説を註す。様々の相伝。面面に所存あり。大菩薩御詫宣の時。由良の心地上人問申云。法相。天台。花厳。真言。念仏。律宗禅宗。何か当時国に相応して。利益広く候べきと申るゝに。答曰。坐禅殊に勝たり。一切ただ物を思が罪にて有也。只一時片時なれとも。物を思はぬが目出度事也。仏にならんと思ふ。猶これ妄念也。此をもて万の事を思食遣と被仰。上人申曰。一切善悪。都莫思量の文。御詫宣に合て覚て候。又上人申曰。諸教皆无念の理を談ず。何必しも今の坐禅ばかりに候はんや。答曰。経をよみてみよ。其や念のうするとも云。又上人申曰。法華経の是法非思量分別之所能解の文。上古の祖師今禅法也と云云如何答曰。同なりと云云。又上人問申曰。法華経の身心寂不動の文。今の坐禅の心と存と如何答曰。同なりと云云。帥御坐禅。上人并余人共坐禅。大菩薩は即御足は坐禅の作法の如し。御手は合掌して坐禅あり。坐禅畢て。上人問申云。御坐禅の時の御合掌は。何なる由にて候やらん。答曰。上人の心を見んとて。加様に候つる也と云云。又問申云。いかにと御覧ぜんと思食し候けるやらん。答曰。念を起すか起さぬか見と思て也との玉ふ。又問申曰。余は起て候つるやらん。答曰。ちとは発たり。されども念と云程の事はなし。又問申曰。坐禅の御手常ならずをわしますと存て候つる。其にて候やらん。答曰。其なり。又問申曰。御宝殿にては何様なる御心地にて御坐候やらん。答曰。坐禅の心地也と被仰。是は紀州名草の郡野上の庄の八幡童女に詫しての御問答也と云云。禅宗も神慮に叶ふ故に。由良上人に御形を示し。禅法の深義を詫宣しまします事有けり。念仏律宗は先段々あり。三論宗の空義をたんとぜ玉ふ故に。般若経の御納受其例多し。開成皇子勝尾寺にて。善仲善算をもて受戒の師とし。大般若を写さんとて。天道に向て金水を祈請し玉事。一七日夜なり。七日に満なんとする暁の夢に。容儀美麗にして衣冠正しくしたる人。写経助成の為にとて。金丸を青地の錦の袋に入て。右手をのべて与玉ふ。皇子長跪して。両手を擎て拝納す。誰人にて御座やらんと問奉られければ。得道来不動法性。示八正道垂権跡。皆得解脱苦衆生。故号八幡大菩薩とて。去り給ふとみて。夢さめて後。経台の上に。まはり二寸。長さ七寸の金丸有。夢か夢にあらざるか。うつゝに金丸を得たる事。現か現にあらざるか。夢に神体を持する事を。其後硯水を祈る事一日一夜。暁更に及で。夢の中に。形夜叉の如なる者。北の方より飛来て曰。大菩薩の厳詔を承て。写経の御為に。白鷺池の水を汲てまいれりと有ければ。即陶器をさゝげて。是れ受て問奉る。何れの人にて御座やらん。信州諏訪の南宮也とぞ答給ひける。夢覚て見れば閼伽の器に水満る事一合計也。写経の功終しかば。金水の余り光りけり。諏訪の南宮は。神功皇后の征夷の時。諏訪大明神大将軍とし打平給けり。其時皇后に近づき奉りて。誕生し玉ふ南宮也とぞ申ける。此故にや。大菩薩の御眷属として。使節をうけ給り。天竺白鷺池まで。万里の烟浪を越て渡り玉けん。神道霊験の不思議を。驚嘆せぬ人は無りけり。又東大寺の住僧能恵得業は。馬道の大般若の欠巻二百軸を書つぎ。供養し奉らんと。願を興しけるが。とぐずして。仁安二年の春。獄鬼三人来り。冥途に取りて行けるに。黄衣の俗後に相随て離れ玉はず。恩愛の妻子を振捨て。荒き鬼にともないて。眇々たる広野を行に。しる人更に逢事なし。時々見ゆる物は火焔也。折々聞る声は涕泣也。冥々として前後を不知。遠々として涯際をきはめがたし。心細さを譬れば。尚さゝがにの糸太し。身の行前の事。只古郷の恋さ。ちゞにくだくる悲さの。幾廻とも難計覚へしかども。程なく炎魔王宮にぞ至ける。鉄の城門高くかまへ。牛頭馬頭鉾を以て立たり。其内を見るに。廻廊広作り並て。束帯の人々多並居たり。交名申せと云ければ。具たる鬼の曰。日本国東大寺能恵と云けり。又いはく。冥途にて物きする様なし。など裸形にはなさぬぞとありければ。鬼曰く。大般若供養の願有とて。八幡大菩薩の御使あいそひて。急ぎ帰るべき者なればとて。物をぬがせられずと申ければ。冥官一人出て。打見て内に入ぬ。此事をきゝし時。能恵が心の歓喜幾そばくぞや。般若供養の大願を。大菩薩御納受ありて。冥途より召返されて。古郷に行て再び妻子に逢ん事のみに非ず。炎魔王のありさま。娑婆の伝きゝしに相替らず。地獄の苦もさこそあらんずらめ。大菩薩の御使なくば。軈こそいづちへもつかはさるべきに。さりとも今は悪趣にはよも行かじと。うれしさなんど云計なし。去程に冥官一人出て。是へ参るべしと云ければ。内に参る処に。宮殿楼閣金をちりばめ玉を飾れり。内より気高き御声にて。件の経は目録に入たりやと仰ければ。冥官書を取寄て。披見て。日本国東大寺大般若三部の内。馬道の経白紙花軸と有と申す。其後能恵を大床に召寄て。般若第一教。此経結縁者。雖有重業障。必当得解脱卜唱玉て。汝能々臆持して。娑婆にて披露すべし。又勅して曰。衆木成車積めば衆の善を。成菩提者也。又大般若経の中に。若欲書写。応疾書写と有文は。存知するやと被仰ければ。さる文候と申す。さらばとく願をとぐべしとてかへさるゝ時。黄衣の俗庭にして三度拝して。相共に返り給に。御簾の中より。此僧に少々の事見せてやるべしと仰ければ。冥官具して傍に行て。帳を引あぐたれば。赫奕たる大因明の鏡あり。是浄婆梨の鏡也。又奥に行見れば。高大の秤あり。是業の秤也。加様に見廻りて。元のごとく遥なる野辺をへて帰ると思程に。数日をすごして蘇る。其後宿願をとぐんと思より外。他の営を忘けり。様々にして仁安四年に。八幡宮にて供養をとぐ。導師は三井寺の公顕法印なり。此法印昨夜の夢に。焔魔王宮より立文を以て来るを披見するに。大般若供養を唱導勤仕せらるべき由也。然に次の日今の請にあづかりて。感涙を拭て参勤し玉けり。弁説とゞこほりなく。法門殊勝たり。冥衆の来臨を驚し。満座の耳目を動かせり。其願文に殊に発して中悃の願を奉祈大菩薩。昔弊牛の負ふ二百巻を焉。早生る雷音仏国に。今亜羊之補ふ二百巻を。必同からん曇无比丘。嘉寿殿之設し斎会を。空中に唱へ千仏之偈を。檀拏幢之知る善因を。泉下に授く四句之を文とぞかきたりし。能恵は此願をとげて。同五年生年四十五。別の病なくして。左の手に件の経の

第一の巻をとり。右手には五色の糸をひかへて。本尊に向ひ奉て入滅しにけり。今生後生の所願残事なく遂たるも。大菩薩の御利益たのもしくこそ覚侍れ。近来備後国住人覚因と申し僧大般若供養の願を立てゝ。当宮に参宿したりしが。世間の所労をして死けり。无縁の者なりければ。誠しき葬送なんどに不及して。坂か辻と云所に野捨にしてけり。琰魔の庁庭にをもむきし時。びんづら結たるうつくしき童子後にそひて。大願のくはだてを被仰て。乞請て帰玉ふ有様。道すがらを初て。冥途の庁庭に至るまで。能恵が次第に少もかはらねば。重て是をかかざる也。其中に覚円坂が辻に捨られて。耳なんどは蟻にさゝれて。穴あきたりしか共。犬馬にはくはれずして。数日を経て活へると云へ共。力尽足手なへたりしかば。兎角励て宿所に行たりけるに。宿の者共驚きをぢて逃さはぐ。有つる作法を語て。泣つ笑つぞ尊びける。其後は蘇生の聖とて名誉しにければ。勤進事安くして。大願早く遂にけり。縦ひ焔魔王宮に御使をつかばさるとも。身体破れ失なば。争か人間に帰るべき神明は死人を忌給ふと云共。大願を優如し玉て。死骸のけがらはしきを忘れましまして。守護をいたしめ玉ふがゆへに。野中の死人なれ共。犬馬にをかされず。黄泉には御使を付て。召かへさるゝ尊さを。仰ぎ奉ぬ人や可有。藤原氏女。建永元年の比。能恵得業が有様を書たる絵を見て。勧進して大般若経供養の願を興して建暦元年三月晦日の夜。俄かに絶入る心地す。少し落入る時。我宿願を遂ずして死門に至りなんとす。本意にあらず。存命の間一字と云共書始奉らんと云て。本経を尋ね。筆師にあつらへて。是を始て氏女大菩薩に向奉りて。何なれば能恵は冥途よそ召返されて宿願をとぐ。極楽に往生せしめ玉ふぞ。願くは我が命をのべ給へ。大願を果さんと申す。此時物気巫女に詫して曰。我是稲荷の大明神也。功を積者千度を以て究とす。然を。或女人六け年二千日。心を致して愁を達す。仍て汝が命をたゝん為に。命婦をつくる所也。而今八幡大菩薩。汝が大願を優如し。我と同空義を納受して。此程旅行にあて寸の暇なしと云共。相助が為にこゝに来れり。早く書始たる経を供養奉れ。聴聞の後かへるべし。爰に氏女信力弥催して。大弐阿闍梨円範を請して。此経を供養す。其後命婦舞ひ悦て。我今は汝が守となるべしとの玉ふ。同三日大菩薩詫宣し玉はく。

 

日の下にいはゝれ玉ふ石清水まいらぬ人はあらじとぞ思ふ。我武内につぐて。昨日の巳時より。淀の大明神に仰て。守護をいたすと云共。今我自ら影向せり。氏女申て言く。願は咒咀の人を降伏し玉へ。かれが後生をば訪はんと申す。大菩薩の仰に。神明は定業の死を延る事有と云へ共。宿命の限を奪事なし。随て又件の女人余算幾くならず。纔に七年也。悪魔に出ては攘除くべし。汝必大願を果すべし。五旬短命の限有と云共。正に九品浄土の望を遂べしとて。あがらせ玉ぬ。同四日。巫女物気を受取りて。呼び悲て曰く。八幡大菩薩は広大慈悲の神にてましますに。命ばかりをば助け玉へとぞののしりける。去程に。中間の男二人。童一人。門の外より庭中に出て。物を求るが如くして。是を取て出ぬとうつゝに是を見る。則霊気なりけりと覚へたり。其後建保七年十一月十日。八幡宮にして供養をとぐ。累旬の病患を除きをはりぬ。又後生定て御詫宣の旨にたがはず。浄土の詫生をとぐらんとぞ无疑りける。当宮の西の方の検校元命と申しは。金剛般若経一万巻転続の功に依て。社務五代を掌る。兼清は西の方の検校かく宮寺を思まゝに執行ひちるを羨て。三千部の法華経を転続して。子孫繁昌を祈り申しゝかば。西の方は衰へ失て。兼清の末孫ばかり大菩薩の御後見を掌て。交り者いかなる末の世なりとも。他人加る事あるべからずと見へたり。此兼清の嫡弟頼清別当は。一万巻の金剛般若を宝前にて転続せしかば。万巻の終りに。経の軸より如意宝珠いでき。其福子孫に及で。今にをとろへず。大菩薩の利生は。末の世に及ぶ習なり。されば筥崎に一八の聖。四十八日籠て通夜せしに。夢の中に御殿の正面の北の間より。黒衣の僧出て。四連半の栢の念珠を玉て。其御詞に曰く。栢は始終まで香の失ぬ物也。大菩薩の利生は給後。子孫末葉に至るまで御反改なし其験なる故に。栢の数球を玉ふ也とありけり。華厳宗は。彼教主盧舎那仏を敬ひ玉へば。竜神の擁護ありと覚へたり。聖武天皇の大仏の盧舎那を造立して。薄の料に黄金をかはんが為に。大唐へ御使をつかはさんとせられしに。御詫宣に曰。黄金まさに此土に出べし。使を大唐にやることなかれ。我神祗を率して。共に知職となつて。必ず成し奉んと告玉しに。幾程をへずして。奥州より金九百両を参らす。是日本に金出来る始なる故に。年号を天平勝宝と名付らる。皇帝殊に神験を尊びよろこばせ給て。上分に金百廿両を宇佐の宮に奉らる。何の教法をも。加様に威力をくわへ。等く守玉へば。諸宗の学者専ら法楽を備へ奉るべきをや。法は人に依てひろまる事なれば。智者学生をも他国に赴ては。種々の御方便をめぐらして。我朝に留め置給事多し。其中に阿闍梨源海は。覚照上人と件て。唐船に乗る処に。鳩数千舟のともへに集りしかば。これ只事ならず。大菩薩のをしみ思召す人の有と覚ゆとて。一人づゝをろす処に。源海の下りたりける時。鳩飛去り行きしかば。源海力无こそ留りけれ。仏法伝灯の器成とて。惜留玉へる。面目たるのみならず。現当二世たのもしくぞ覚へける。凡神明と顕れ玉ては。祭祀礼奠をこそ宗とする事なれば。真実の法楽となり。神慮に相叶ふ事は。顕密の法味にすぎたるはなし。されば高良社には。昔より僧をよせず。経をよませぬ処なりしに。斗薮の聖。一天の神明何れも仏法を愛し玉ふ。当社ひとりそむき玉はんやとて。推て参て仁王経を講じたりけるに。三歳の小児に詫宣し玉はく。我が玄孫守屋が訴に依て。仏法甚だいたふが故に。外には四季の祭礼にほこると云共。内には三毒の熱焔たへがたし。今般若熟蘇の法味を嘗て。身心清冷也。自今以後我に志あらそ者は。般若を転続し奉るべしと有しより。彼宮には不断仁王経は始れり。神道には必ず三熱の苦みます事なれば。仏法弘通の智かより外は。三毒の火焔をけすべき物なし。以て之を諸社の神明仏法を愛し玉ふ中にも。吾神は今一きは仏法を本意と思食すよし疑はず。而るに伊勢大神宮の僧尼らちかづけ玉はず。続経念誦をさけ玉ふ事は。此日本国仏法繁昌すべき所なり。行て障㝵せんとて。第六天魔王くだりし時。天照大神吾れ行て仏法を留むべしと申請て。魔王をこしらへ置給て。此国に尺教流布の累ひなし。彼御約束をたがへじとて。我前には仏法をさけ玉ふ様なれども。内には仏法を守り。聖人をたとび給ふ事他に異也。

 

後世事。

 

右无相寂滅の体相を出て。和光同塵の化儀を示し給ふは。人倫の振舞に不違。死をいみ生を愛し。官位福禄を与へ。栄花名聞を宗とし玉ふ様なれ共。御本意を尋ば。電光朝露のかりのやどりを厭ひ。虚妄不実のあだなる富を願事なくして。諸行无常のことはりを不忘。如く小水の魚の思い怠らずして。悪を断し。善を修して。貪着五欲のきづなを離れ。後生菩提の因を畜へよとなり。されば清丸勑使として非道を申されしとき。

 

西の海立つ白浪の上にしてなにすぐらんかりの此世をと御詠有けり。中比无縁成修行者。三年迄参籠して。折々の神事に社務の出仕するをみて。所望の志深く有ければ。

 

長きよのかなしき事をなぐゝかれ何に思らんかりの此の世をと御示現有ける時。此修行者は。生死長夜のあけがたき事をなぐかず。槿籬の栄花を祈り。浮雲の富貴をのみ申事。出家修行の法にそむく事を。神慮に不叶思食けるこそ。返々もはづかしけれと。慚愧懴悔の色深く。為方なさの余にをい打をいて。夜の明ぬさきにこそ。ひそかに社頭を出にけれ。一首の御詠にて。六趣の輪廻はたえぬべし。又四条殿とと申し尼の。年闌て後始て参宮したりしが。穴とうとや。是程の社頭へ今迄参らざりける事よ。願は後生助け玉へと泣々く申けるか。ちと真睡たるに。白張着たる人の立文を給ひければ。あけてみるに。

 

心から生死の海に沈むなよいそぐうき船風たちにけりと。御示現をかうぶり。信心弥よ催て。後生の営不怠。只一度の参詣なれ共。神慮に相叶て。後生の事を申すは。速疾に冥鑑あり況や多年志を運ん人。往生極楽疑なし。此女房は已に年たけ齢傾ぶきて。此世のつきなん事。近にある由を示して。弥々厭離穢土の志を励し玉ひける。尺尊の再生。汝今遇て感なる位に至て衰に将に近かんと琰魔王に。欲れは行かんと前路に无し資糧。求るに住せんと中間に无所止と説玉しも。今ぞ思ひ知られける。何にゆかんと思とも。行べき道冥途也。閻浮の習ひは老不定と云ながら。年よりは今一きは可恐。後世のいとなみ他の為にあらず。自身のたくわへ也。非異人作て悪を。異人の受に苦報を。自業自得果。衆生皆如是なれば。相搆て搆て後世のつとめをはぐみ給べし。八万法蔵を雖通達と。不んは知後世ち名愚者と。一文一句を雖不解。恐畏む後世を名智者とあれば。愚者をえらぶべからず。後世菩提を願を。神明仏陀の本懐とする也。さればとて。必ず山林樹下にこもり。黒衣遁世をすべしとは示給はず。只心を励すべきをや。昔一人の僧。常に筥崎の宮にて。菩提心を祈る事年積り。老衰に臨みければ。社頭を遠く深山に居住せんとする夜の夢に。紅衣をきたる人。御殿より出て。

 

筥崎の松吹風と波の音と尋思へば四徳波羅密とぞ告給ひし。常楽我浄の四倒にまよふを衆生と云。四徳をみるを菩薩とす。所住のさかひによりて。苦楽有にあらず。迷悟の心に住て勝劣異る事有。何ぞ幽閑独住を好むを以を是とせん。縦社頭にありとも。心を仏法によせてみば。神事と云神事。秘密甚深の教文に相同じ。御神楽の八人の御子は。胎蔵八葉の尊にかたどり。五人の楽人は。金剛界五方の仏にあたれり。管絃の五音を調べるは。五大法性にかなへり。五大は是五輪。々々は即是五智也。五智は五仏也。五仏の功徳。十方法界に周遍して。有情非情を利益せずと云ことなし。吾神殊に納受しまし々々て。

 

二月の初卯の神楽をもしろやとねりもきねもあけんまでせよとぞ示給ひける。舞の袖。哥の声。祝の拍掌に至るまで。三十七尊の歓喜悦楽の三摩地に非ざるはなし。まして年始の修正。夏中の安居。放生会は法会の儀式にて。殊に後生のつとめたり。毎節の御供奉備役。神会臨時の祭。四月三日。五月五日已下の神事も。心ある人は生住異滅の旡常を観じて。旡上菩提の不退に入り。不信放逸の輩は見物を本とすれ共。社壇をふみ神明に近きて。結縁の始となり。利物の終りにあひぬべし。真実の道心も旡して。神職を遁て隠居し。富貴のあまり他所の交りを好みて。当宮の事を次になす輩は。後生までもなく。現世の神罸のがれず。つゝしむべき事なり。縦足手を運び身心をつくせども。後生のさはりとなるべき事をば。聞食入ぬ事なる故に。中比都に夫妻ありしが。一人の子旡くして。女子一人養ひける程に。やう々々生長して。面貌なだらか也ければ。養父これに心をかけしかば。養母深くねたみて。当社に参り籠りて。養子の娘召取玉へと祈念せし程に。其夜そばに臥たる僧の夢に。御殿の中より。武内と召。武内とをぼしくてゆゝしき景気にて。御沓音気高して歩せ給て。正面にひざまづき給へり。御殿より此女房余りに歎き申すに。よき様に相計べしと仰られければ。武内の申さく。此女人が申すごとく叶へ候へば。其罪深くしを地獄にをつべう候。中柱をたつべく候とて。西の門の下に出玉ひて。貴船と召す。貴布祢は西の門の前に祝ひ奉るなり。武内に召れまいらせて。貴布祢とをぼしくて。白髪の形にてまいり給へり。武内の仰に。此女房が申旨ありと云とも。所詮中柱をたつべき也と承て。北の門に出て。北に向て鏑矢を放ち給。其声をびたゞしく鳴ける。此僧驚きて汗たり胸さはぎしけり。余りの覚束なさに。そばの女房に。何なる事を申させ給ふにや。有のまゝに被仰よ。かゝる不思議の夢想を見つる也と云ければ。何とも不云分。軈て東の門の方へ出けるに。京より使走て。今夜殿のうなじに。腫物俄に出させ給ふ。急医師にみすれば。三日の瘡也。今は療治もききがたしと申候也と告たりければ。何様にも急ぎ下向すべしとて。宿所に至りて見ければ。夫は我命三日につゞまると知て。万事を忘れて一筋に念仏申て。臨終正念にして終りぬ。定弥陀の来迎引接に預るらんとぞ覚へける。爰に本妻の思はく。我養子の娘を恨てこそ。召取り玉へと咒咀を致しつるに。罪業を除き玉べき御方便にて。中柱を失はせ給へる神慮こそ。よく案ずるに。止事なくとうとけれ。年来相連てあさからぬ契有夫の命の失ぬる事の由来を尋れば。嫉妬のほむらより起れり。返々もあさましく覚へて。髪をそり衣を染て。真の道にぞ入にける。せめくも懴悔の為にとて。養子の女房を乞寄て。打口説き云けるは。我一人の子をもたざりしに依て。汝を幼少より養ひ立てしは。老病をもたすけられ。後生をも訪はれんが為なりき。而に養父に心を一つにし。夜な々々ひそかに通ひしを。我深く妬しく。瞋恚の思に絶かねて。八幡に参りて汝を召取給へと。心肝を催き祈り申たりしかば。そばの僧に示現し御座にたがはす。中柱をたち給ふ。後生定てすくひ玉ふらんとは宇礼志けれ共。別の道に成ぬれば。有し名残もしたはしく。我身の科もをそろし。倩罪を願てさまをかへ。念仏申ていとなみとする由申ければ。此娘涙にむせびて物云ず。やゝ程へて申けるは。加様に打とけ承る事。返々も難有。養育の御恩争か忘べき。万はばかり多けれ共。女人の習ひ力らなき子細も有き。委申て由なし。今は只我身の科をゆるし玉へ。同く尼に成て影の如くしたがいまいらせ。念仏読経の御とぎし奉らんとて。二人の尼いできぬ。郁芳門院の二人の尼とて。山中に行ひ。古へ建礼門院の二人の尼。小原奥に留りしに不異。花をつみ水をあげ。後生菩提の営より外。すべて他事を忘てましき。善知職とぞ見へたりけり。昨日迄は嫉妬のまなぶた大毒蛇の如く。愁のほのほに身をこがし。悪趣の薪を積しかど。大菩薩の御計目出度て。今日は厭離穢土の伴侶となり。欣求浄土の同朋たり。平等の処に差別をなし。虚妄の境に我想を起して。海楼崇聾。蜃気虚く搆へ。色境縁離はて。心相幻起せり。寿命をはかれば蜉蝣の嶺。夕の雲をいたみ。身体を顧れば芭蕉林の秋風はぐし。生我父母も不知生之由来。受生我身も不覚死之所去をして。愛別の悲をまし。怨増〔憎歟〕の苦を重て。輪廻早晩断へ。出離何の時か得ん。道は旡心にして。人に叶ひ。人は有心にして道に叶ふ。念の起るはこれ病なり。不続これ薬なり。直約る諸法。令る識其心。前には不生則是也。而貴には旡覚旡成にして。地獄天堂。仏性闡提。二乗一乗。焉取捨。即離不謬と心得る者ならば。愛は則大愛也。怨には則大怨なるべし。此大は愛怨にも不着。愛怨をも不離。差別にして。平等なり。故に旡自旡他にして。今世後世の障を除く者也。又嵯峨より或女房参りて。願は死期を告示し給へと。懇切に祈り申ける程に。御殿の中より。止事なき僧出させ給て。汝が申事とて。薄絹に物を書付給ひたるをたびけるを。打驚き見ば。光明朱の如くの色にて。其年月日時とあざやかに文字ありしかば。彼斯近づきては。娑婆の縁つきぬる事を心にかけ。ひとへに往生極楽の用心を忘れず。称念名号たへざりしかば。御告の如く其年月日時をたがへず。臨終正念にして終りしかば。聞者耳を驚し。見者目を驚す。往生浄土を祈らんには。八幡に申すべかりけると。遠近の上下諸人。時の口実とぞしける。此文字の有薄絹は。彼養子の女房相伝して。今にありとぞきこへける。

 

抑八幡大井は。十方の諸仏よりも尊く。三千の神祇よりも勝れ玉へり。如何となれば。夫仏陀の教化は。妻子をすて。財宝を抛て。持禁戒定恵を修して。煩悩を断じ証果に至る者。或は末世愚鈍の小機の為に相応し難きものなるに。大井の縁を結びまいらせん事は。散乱麁動の心成共。煩悩具足の身なり共。凡夫の好に随て。舞をまい歌をうたふまでも。御納受にあづかり。神恩をかふむる。安居放生の節会には。道俗男女田夫野人に至る迄。職掌の数に連り。結縁あまねくをよぼす故に。仏陀の教法より安じて。しかも現当の利益に預る。十方の諸仏の引接よりも。大菩薩の広大慈悲。時機相応はまさり給ひける也。三千の神祇にもこへ玉へる事は。日本の神明は。何んも大権の垂跡にて御座せども。魚鳥の肉を御供にまいりて。殺生の悲愍〔慈悲歟〕かけたるが如し。僧尼をば多く社頭に近づけ玉ふ事なし。大井は仏法を先とし。慈愍〔悲歟〕を体とし玉へば。魚鳥の類迄もまいらず。精進の御供を納受し御座す。殺生をとをざけ。出家受戒の御告なんどありき。僧尼迄も近づき参りて。念誦読経の法味を備て。今世後生を祈り申し。現当二世の擁護深くまします事。自余の神明にすぐれ給が故に。三千の神明よりも勝れ玉ふ者也。然則我国にうまれん人倫。帰依し奉るべきには八幡大菩薩にをはします者也。

 

当宮事。勅問之次。不測備天覧者也。可謂証本乎。神道長従二位兼倶

 

「八幡愚童訓乙本 名号御事」

「南無八幡大菩薩」という名号は、中世には盛んに唱えられたものの、神仏分離以後はあまり言われなくなったようである。

『八幡愚童訓乙本』の中に、「名号御事」として「南無八幡大菩薩」と唱える功徳について説明した箇所があり、タイピングしてみた。

中世においては、後生のことは南無阿弥陀仏、現世のことは南無八幡大菩薩と称えて、現当二世の安楽を願う信仰が流行っていたようである。

(原文はカタカナのをひらがなに変え、若干の漢字を読みやすく送り仮名を付けたりひらがなに直している。)

 

 

 

 

「八幡愚童訓乙本」

 

 名号御事。

 

右八幡の御名は、人倫の詞よりも出でずして、まさしく御詫宣に、西拘屋(※シルクロード西方の地域、拘弥とも。)に八幡国という国あり。その所に我菩薩にてありしによりて、また母堂とうの君の八人の王子を産みたまいし時、足八ある幡に化して見へ玉へり。それによりていうぞとあり。

次に開成皇子には、「得道来不動法性、示八正道垂権跡、皆得解脱苦衆生、故号八幡大菩薩」と告げたまへり。已に八幡は、八正の幡を立て、我見の邪執をなびかし、生死の怨敵をとゝのへたまふしるしなり。

また、我無量劫より已来、難度の衆生を教化す。未度の衆生、法末の中にあり。かくのごときの衆生を教化せんが為に、大菩薩と示現す。我はこれまた自在王菩薩なり。大明神には非ず即大明神の号を改て、大菩薩というなりと告げたまふ。

故に当宮は、自余の神明に同じからず。故に謂誓定取、无上菩提、窮未来際、利楽有情というが如く、大悲闡提の善巧方便をさきとして、常於三世、不壊化身、利楽有情、旡時暫息の神慮なり。

今この八幡大井(※「井」一文字で大菩薩と読む)の御名について、人法喩の三あり。八幡の八は即八正道、八正道は法なり。幡即ち喩なり。大井は即ち人なり。この人法喩は、また種三尊の妙体なり。しかればすなわち、法の所に三学あり。三学は八万四千の法門文字、一々の字体、三十諸仏の種子に非ざるはなし。喩は三摩耶形なり。三摩耶形は平等本誓、除障驚覚の義、剣輪蓮宝等の表示に同じ。人は尊形なり。尊形は白性受用反化等流の身体にわたる。三とみれば差別なれども。仏なり、井なり、法なりとえつれば、南無八幡大菩薩と、一音をあげん所に三世の仏身、一代の教法、済生の本誓残事なく具足して、旡量無辺の功徳あり。

されば御詫宣に、神吾社の宮人氏人等末代に及で何物を珍宝とすべき、すべて宝と思べき物なし。閑に思惟せよ。崑崙山の珍玉も、みがゝざれば珍にあらず。蓬来の良薬も、なめざれば旡益なり。只垂跡大神吾を財宝と思すべきなり。一念も我名号を唱へん者、あへてむなしき事なきなり。現世には思に随って無量の財宝を施与し、後世には善所に生じて勝妙の楽を受くべきなりと有ぞかし。元始曠劫の間、大菩薩の御名をきゝ奉らざりし故に、世々に財宝をえず。生々に苦悩にあへり。今社壇にまいり、名号を唱え奉る上は、現当の願ひ必ずとげぬべし。

 

近来洛陽に一人の女房ありけり。二三日煩て死けり。中有のやみに迷て、悲の余り、南無八幡大菩薩、たとひ定業なりとも、願は今一度娑婆にかへしたまへと祈請し奉るに、たちまち一人の僧出来て、汝大菩薩を称念しまいらする故に、人間にかへりて二十年の命を延べしとありし時の歓喜幾程ぞや。死にて後三ヶ日をへてよみがへりぬ。平生の時常に心にかけまいらせずば、いかでか黄泉の旅にて大菩薩を唱え奉らん。たとひいかに名号を唱い申すとも、名号に旡量の徳用を備えずは、命尽てまた娑婆に帰るべきや。これすなわち名号に功能多く、吾神の感応すみやかなるがいたすところなり。本地の名号も、神慮に叶てその験明らかなり。

 

中昔、高野の蓮華谷に、西方浄土の行者あり。夢に一人の高僧来て日く、浄土に往生せんと思ば、木槵子の数珠を以て、八幡の高楼にて百万返を唱べしとありければ、時刻をめぐらさず、参詣して申したりしかば、臨終正念にして瑞相を現じ、無類来迎にあづかれり。当世はこの行殊に繁昌して、往生極楽の望みをとぐぞと申しける。

 

また、ある貴人、濁世の衆生、如法如説の修行はかないがたし、弥陀起世の大願業力に乗して、名号を唱て往生を期せんとすんば、異体の弥陀経に、一心不乱専称名号と説き、善導和尚は、七日七夜心無間と釈したまへり。称讃浄土経には、念をかけて不乱といえり。凡夫愚暗の身、妄念をこりやすし。散乱の称名は、決定往生の業ならずば、我等いかでか出離の望をとげんやと、歎て祈請せらんけるに、御示現に、不論不浄、不論心乱、但念弥陀、即得往生とありしかば、散乱の念仏にても、往生すべしとうれしけれとも、経釈にあはずして、他人可返唇を故に、不信の事も出来すべしと恐あるところに、華厳経に、「若人散乱心念弥陀名、臨終住正念、往生安楽国」とある文をみてこそ、御示現にあいかはらざりけりと、いよいよ信心催して、その疑いは晴れにけり。

 

巡拝記いわく、散乱の念仏は、まさしき往生の行業にてはあらねども、常に練習するが故に、臨終正念に成りて、往生する事を得といえり。善悪ともに平生馴たる事の臨終に顕るゝなり。御示現の心少しも華厳経の文に違わず。ゆえに阿弥陀経の一心不乱と説くは、当時の行をあかすなり。御示現に不論散乱とあるは、終の落つきを思しめすなり。余の浄土を捨て、西方浄土を欣ぶを一心と名づけ、余行をやめて一向に念仏を唱うを不乱というなり。口には名号を唱えて、心を仏にかくるを一心不乱という。余念妄念旡からんこと、末代の人ありがたきゆえにといへり。

 

また、八幡社僧親尊法印と申すは、仁治二年のころ、天王寺にて善恵房説法を聴聞するに、念仏の三心は行者のをこすには非ずといはれけり。日来行者のをこすと心得たりつるに、この事如何すべきとて、当社に参て祈請するに、法印を玉籬の本へ召寄て、御示現に曰く、

「極楽へゆかんと思ふ心にて南無阿弥陀仏といふぞ三心」

とこそ告げたまひしか。所詮本地垂跡付て、名号を唱へて、世間出世の所望を満足すべき者なり。

巡拝記いわく、三心は行者のをこすと判じたまへり。もとより所請の本意は、至誠心即三心なりとことわり御座す。仏宗の行者この示現を信ずべし。本地と垂跡と相離れずといえども、望む方に親跡あり。往生を期するには、本地の名号は親く、現世の事を申すには。垂跡の名号したしき者をや。

枝野幸男氏『枝野ビジョン』を読んで

枝野幸男著『枝野ビジョン』を読んだ。

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自己責任を強調してきた新自由主義の流れを変えて、安心できる支え合いや助け合いの仕組みを政治や行政が率先して築いていくべきである、という主張自体は、私も基本的には賛成だし、異論はない。
が、まず、第一章の歴史観や宗教論があまりにも粗雑で、むしろなかった方が良いのではないかと思われた。
保守とリベラルの言葉遊びに走っている点も疑問である。
さらに、総論的な主張はわかるとして、たとえば社会保険制度をそれではどう具体的に組み替えていくのか、ロスジェネ世代をどう支援していくのか、いまいち具体策が見えず、理念的な主張に終始している感がある。
新自由主義や自己責任よりはこの方が良い、そのとおりだ、と思う人は今の世に多いと思うし、おそらくは必要な方向性は示しているとも思うのだけれど、「で?」「具体的には?」というのがどうも見えづらいので、読んでも高揚感や期待感に乏しいのではないかと思われる。
統計的な数字やデータをあげて、それらをどう具体的に変えていくのか、なかなか明確には示せない場合も多いとは思うものの、少しは示して欲しかったように思う。
もう一段、これをバージョンアップさせたものを世に提起していかないと、なかなかまだまだ政権交代は難しいのではなかろうか。

 

 

「本来の保守」という言葉遊びについて

https://elkoravolo.hatenablog.com/entry/2021/05/24/192601

 

枝野幸男著『枝野ビジョン』1章への批判 歴史観と宗教の問題について」

https://elkoravolo.hatenablog.com/entry/2021/05/24/135713