「八幡愚童訓乙本 名号御事」

「南無八幡大菩薩」という名号は、中世には盛んに唱えられたものの、神仏分離以後はあまり言われなくなったようである。

『八幡愚童訓乙本』の中に、「名号御事」として「南無八幡大菩薩」と唱える功徳について説明した箇所があり、タイピングしてみた。

中世においては、後生のことは南無阿弥陀仏、現世のことは南無八幡大菩薩と称えて、現当二世の安楽を願う信仰が流行っていたようである。

(原文はカタカナのをひらがなに変え、若干の漢字を読みやすく送り仮名を付けたりひらがなに直している。)

 

 

 

 

「八幡愚童訓乙本」

 

 名号御事。

 

右八幡の御名は、人倫の詞よりも出でずして、まさしく御詫宣に、西拘屋(※シルクロード西方の地域、拘弥とも。)に八幡国という国あり。その所に我菩薩にてありしによりて、また母堂とうの君の八人の王子を産みたまいし時、足八ある幡に化して見へ玉へり。それによりていうぞとあり。

次に開成皇子には、「得道来不動法性、示八正道垂権跡、皆得解脱苦衆生、故号八幡大菩薩」と告げたまへり。已に八幡は、八正の幡を立て、我見の邪執をなびかし、生死の怨敵をとゝのへたまふしるしなり。

また、我無量劫より已来、難度の衆生を教化す。未度の衆生、法末の中にあり。かくのごときの衆生を教化せんが為に、大菩薩と示現す。我はこれまた自在王菩薩なり。大明神には非ず即大明神の号を改て、大菩薩というなりと告げたまふ。

故に当宮は、自余の神明に同じからず。故に謂誓定取、无上菩提、窮未来際、利楽有情というが如く、大悲闡提の善巧方便をさきとして、常於三世、不壊化身、利楽有情、旡時暫息の神慮なり。

今この八幡大井(※「井」一文字で大菩薩と読む)の御名について、人法喩の三あり。八幡の八は即八正道、八正道は法なり。幡即ち喩なり。大井は即ち人なり。この人法喩は、また種三尊の妙体なり。しかればすなわち、法の所に三学あり。三学は八万四千の法門文字、一々の字体、三十諸仏の種子に非ざるはなし。喩は三摩耶形なり。三摩耶形は平等本誓、除障驚覚の義、剣輪蓮宝等の表示に同じ。人は尊形なり。尊形は白性受用反化等流の身体にわたる。三とみれば差別なれども。仏なり、井なり、法なりとえつれば、南無八幡大菩薩と、一音をあげん所に三世の仏身、一代の教法、済生の本誓残事なく具足して、旡量無辺の功徳あり。

されば御詫宣に、神吾社の宮人氏人等末代に及で何物を珍宝とすべき、すべて宝と思べき物なし。閑に思惟せよ。崑崙山の珍玉も、みがゝざれば珍にあらず。蓬来の良薬も、なめざれば旡益なり。只垂跡大神吾を財宝と思すべきなり。一念も我名号を唱へん者、あへてむなしき事なきなり。現世には思に随って無量の財宝を施与し、後世には善所に生じて勝妙の楽を受くべきなりと有ぞかし。元始曠劫の間、大菩薩の御名をきゝ奉らざりし故に、世々に財宝をえず。生々に苦悩にあへり。今社壇にまいり、名号を唱え奉る上は、現当の願ひ必ずとげぬべし。

 

近来洛陽に一人の女房ありけり。二三日煩て死けり。中有のやみに迷て、悲の余り、南無八幡大菩薩、たとひ定業なりとも、願は今一度娑婆にかへしたまへと祈請し奉るに、たちまち一人の僧出来て、汝大菩薩を称念しまいらする故に、人間にかへりて二十年の命を延べしとありし時の歓喜幾程ぞや。死にて後三ヶ日をへてよみがへりぬ。平生の時常に心にかけまいらせずば、いかでか黄泉の旅にて大菩薩を唱え奉らん。たとひいかに名号を唱い申すとも、名号に旡量の徳用を備えずは、命尽てまた娑婆に帰るべきや。これすなわち名号に功能多く、吾神の感応すみやかなるがいたすところなり。本地の名号も、神慮に叶てその験明らかなり。

 

中昔、高野の蓮華谷に、西方浄土の行者あり。夢に一人の高僧来て日く、浄土に往生せんと思ば、木槵子の数珠を以て、八幡の高楼にて百万返を唱べしとありければ、時刻をめぐらさず、参詣して申したりしかば、臨終正念にして瑞相を現じ、無類来迎にあづかれり。当世はこの行殊に繁昌して、往生極楽の望みをとぐぞと申しける。

 

また、ある貴人、濁世の衆生、如法如説の修行はかないがたし、弥陀起世の大願業力に乗して、名号を唱て往生を期せんとすんば、異体の弥陀経に、一心不乱専称名号と説き、善導和尚は、七日七夜心無間と釈したまへり。称讃浄土経には、念をかけて不乱といえり。凡夫愚暗の身、妄念をこりやすし。散乱の称名は、決定往生の業ならずば、我等いかでか出離の望をとげんやと、歎て祈請せらんけるに、御示現に、不論不浄、不論心乱、但念弥陀、即得往生とありしかば、散乱の念仏にても、往生すべしとうれしけれとも、経釈にあはずして、他人可返唇を故に、不信の事も出来すべしと恐あるところに、華厳経に、「若人散乱心念弥陀名、臨終住正念、往生安楽国」とある文をみてこそ、御示現にあいかはらざりけりと、いよいよ信心催して、その疑いは晴れにけり。

 

巡拝記いわく、散乱の念仏は、まさしき往生の行業にてはあらねども、常に練習するが故に、臨終正念に成りて、往生する事を得といえり。善悪ともに平生馴たる事の臨終に顕るゝなり。御示現の心少しも華厳経の文に違わず。ゆえに阿弥陀経の一心不乱と説くは、当時の行をあかすなり。御示現に不論散乱とあるは、終の落つきを思しめすなり。余の浄土を捨て、西方浄土を欣ぶを一心と名づけ、余行をやめて一向に念仏を唱うを不乱というなり。口には名号を唱えて、心を仏にかくるを一心不乱という。余念妄念旡からんこと、末代の人ありがたきゆえにといへり。

 

また、八幡社僧親尊法印と申すは、仁治二年のころ、天王寺にて善恵房説法を聴聞するに、念仏の三心は行者のをこすには非ずといはれけり。日来行者のをこすと心得たりつるに、この事如何すべきとて、当社に参て祈請するに、法印を玉籬の本へ召寄て、御示現に曰く、

「極楽へゆかんと思ふ心にて南無阿弥陀仏といふぞ三心」

とこそ告げたまひしか。所詮本地垂跡付て、名号を唱へて、世間出世の所望を満足すべき者なり。

巡拝記いわく、三心は行者のをこすと判じたまへり。もとより所請の本意は、至誠心即三心なりとことわり御座す。仏宗の行者この示現を信ずべし。本地と垂跡と相離れずといえども、望む方に親跡あり。往生を期するには、本地の名号は親く、現世の事を申すには。垂跡の名号したしき者をや。

枝野幸男氏『枝野ビジョン』を読んで

枝野幸男著『枝野ビジョン』を読んだ。

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自己責任を強調してきた新自由主義の流れを変えて、安心できる支え合いや助け合いの仕組みを政治や行政が率先して築いていくべきである、という主張自体は、私も基本的には賛成だし、異論はない。
が、まず、第一章の歴史観や宗教論があまりにも粗雑で、むしろなかった方が良いのではないかと思われた。
保守とリベラルの言葉遊びに走っている点も疑問である。
さらに、総論的な主張はわかるとして、たとえば社会保険制度をそれではどう具体的に組み替えていくのか、ロスジェネ世代をどう支援していくのか、いまいち具体策が見えず、理念的な主張に終始している感がある。
新自由主義や自己責任よりはこの方が良い、そのとおりだ、と思う人は今の世に多いと思うし、おそらくは必要な方向性は示しているとも思うのだけれど、「で?」「具体的には?」というのがどうも見えづらいので、読んでも高揚感や期待感に乏しいのではないかと思われる。
統計的な数字やデータをあげて、それらをどう具体的に変えていくのか、なかなか明確には示せない場合も多いとは思うものの、少しは示して欲しかったように思う。
もう一段、これをバージョンアップさせたものを世に提起していかないと、なかなかまだまだ政権交代は難しいのではなかろうか。

 

 

「本来の保守」という言葉遊びについて

https://elkoravolo.hatenablog.com/entry/2021/05/24/192601

 

枝野幸男著『枝野ビジョン』1章への批判 歴史観と宗教の問題について」

https://elkoravolo.hatenablog.com/entry/2021/05/24/135713

「「本来の保守」という言葉遊びについて」

 

枝野幸男氏の『枝野ビジョン』を読んでいて、疑問に思われたことの一つは、保守とリベラルの言葉遊びに走っていることである。

おそらく、日本におけるマジョリティが保守を好むという想定のもと、自分こそ保守なのだというマッピングをして、彼らの支持をとりつけたいということなのだろうけれど、はたして意味はあるのだろうか。

 

そもそも、「理性によって理想の社会像を作り上げ、その実現のために邁進する」のが「革新」だとして、それをあざ笑うしたり顔の保守の方がはるかに蔓延し、そもそも理想のための努力もろくになされていない本邦で、革新に対抗する保守を強調する意味がどれだけあるのだろうか。

 

そのうえ、保守とリベラルという言葉は、特定の状況における文脈によって規定される言葉に過ぎないので、本来の意味を探求しても無意味なものである。

たとえばアメリカでは、共和党を保守と呼び、民主党をリベラルと呼ぶという用語法が定着しており、ただそれだけのことである。

日本では自民を保守と呼ぶだけのことで、自分こそ本当の保守で、今の自民は保守とは別物と言うことに、何か意味はあるのだろうか。

 

アメリカにおける保守とは何かというと、妊娠中絶に反対し、同性愛に反対し、銃規制に反対し、しばしば進化論にまで反対するものを保守と呼ぶわけで、日本の立憲民主党がそのようなものとどこまで共通点があるのか、そもそも支持者もそうしたものと何か共通の要素を持つものであって欲しいと考えているのだろうか。

 

ちなみに、アメリカの文脈で言えば、リベラルは少しも極端ではなく、もっと左のラディカルに対して相対的に穏和なもので、ラディカルと保守の中間地点ぐらいのものである。

また、フランス革命後の自由主義リベラリズム)というのは、革命を終結させることを求めた思想であり、保守派(王党派)と急進派(革命のさらなる徹底)のどちらにも与しなかった、もともと穏健な立場のことである。

 

ゆえに、リベラルやリベラリズムというのは、それ自体がそもそも少しも革命的でも何でもないものであるというのに、リベラルや左派や革新という呼称を避けたがり、保守をわざわざ自称したがるのは、単に上記の区分に対して無知であるか、よほど自らを安全な立場に置きたいのか、どうも疑わざるを得なくなる。

 

マジョリティに対して自分たちは危険ではなく安心な存在だとアピールしたいのであれば、私有財産市場経済を堅持しつつ社会保障を重視し、日米安保を重視すると主張した方がよほど効果的なのではなかろうか。

社会主義とは自らを区別したいのであれば、市場経済を肯定しつつ当初分配を重視する経済デモクラシーを掲げれば良いだけではないかと思う。

 

もう一つ、『枝野ビジョン』において読んでいて気になったのは、「立憲主義とは保守である」という主張である。

ドイツの歴史を見れば一目瞭然だが、自由主義者憲法制定や立憲主義を要求し戦った歴史がある。

保守主義自由主義かという呼称は文脈によるだけのことであり、あまり意味のある区分とも思われないが、歴史においては通常、自由主義者こそが立憲主義者である場合が多く、べつに保守主義立憲主義に必然的なつながりがあるわけではない。

自由主義者を名乗り立憲主義を主張すればいいだけのことではなかろうか。

 

特に日本の場合、戦後の憲法に対して価値をあまり見出ださず、戦前の価値への回帰を求めるものを「保守」と呼んできたわけで、これに対して本当の保守は立憲主義だと主張しても、何の意味もなかろう。

 

保守ごっこはいいかげんにやめて、むしろ穏健左派リベラルの内容やイメージをしっかり伝えて、安全安心でしっかりしたものなのだと一般大衆の信頼を得る努力を行った方がいいのではなかろうか。

 

さらに、保守ごっこは言葉の遊びに過ぎないというだけでなく、保守陣営に対抗するための歴史的なリソースを活用できなくするというマイナスの側面もあると思われる。

自民と共産党と比較した時に、立憲民主に致命的に欠けているのが伝統や歴史とそれに基づく知恵や人材養成であると思われる。

しかし、立憲民主党にも歴史がないわけではない。

歴史を見た場合、社会党の中の構造改革論者だった江田三郎菅直人と一緒に社民連を立ち上げ、菅直人社民連・さきがけ・民主党と来て、その流れが立憲民主党につながっている系譜がある。

こうした歴史に着目すれば、戦後の社会党の歴史に、さらにはその背景にある戦前の労働運動やキリスト教社会主義などの歴史に連なることができる。

そもそも、立憲民主党の主要な支持基盤は、旧社会党の流れを汲む人的な流れが大きく、連合や自治労に限らず、個人的な支援者においても、旧社会党の流れを汲むお年寄りが最も多いのは否定できない事実なのではないか。

むしろ、今後そうした人々がさらに減少していった時に、はたして支える人々がいるのかが疑問である。

立憲民主党は上記の系譜を自覚的に継承し、大切にし、活用した方が良いのではないか。

保守ごっこは、むしろそうした歴史の継承を妨げる作用をもたらすだろう。

日本における左派リベラルの水脈をしっかり自覚的にとりあげて、左派リベラルの伝統を再構成するしかないのではなかろうか。

 

さらに言えば、理念的な保守ごっこをしたい人々は、いかに枝野さんがレトリックを駆使しようと、結局は立憲民主党を支持せずに自民支持に流れるだけにほとんど終わるのではなかろうか。

立憲を支えているのは、結局は多くの場合、旧社会党の流れを汲むリベラルの人々がほとんどである。

ありもしない本当の保守探しの言葉遊びをやっている間は、たいして良いものはそこから生まれてはこないのではなかろうか。

「枝野幸男著『枝野ビジョン』1章への批判 歴史観と宗教の問題について」

枝野幸男氏が最近刊行した『枝野ビジョン』(文春新書、2021年)を読んで、政策には違和感がなく共感するところも多いものの、第一章の宗教と歴史についての箇所がなんとも疑問に思わざるを得なかった。

中には、一章は枝葉末節であり、しかも歴史学者が書く著作ではないのだから雑でも良い、文句を言うな、という立場の人もあろう。

しかし、宗教と歴史は、いわば魂であり、根幹である。

今は良い枝や葉も、根や幹が腐っていたり曲がっていれば、いずれ長期的にはゆがみ腐るのではないかと心配するのは当然と思う。

ゆえに、『枝野ビジョン』第一章の宗教と歴史観について、問題と思われるところを指摘したい。

 

枝野氏が『枝野ビジョン』第一章で主張している主な内容は、日本は多神教文明であり、多神教だから寛容である、ということと、水田稲作を軸とした村落共同体だったために合意が重視され支え合いの精神が強く存在し、この水田稲作村落共同体の伝統が支え合いと助け合いの精神を育み近代以降も強く日本社会の支え合いと助け合いの精神を形成してきた、という主張である(同書28~32頁)。

 

最初に水田稲作村落共同体だから支え合いと助け合いの伝統が存在するという主張を検討したい。

 

まず疑問なのは、枝野氏の日本社会の柱は水田稲作村落共同体であるという主張においては、中世の日本で、商業や芸能などの非農業民の活力や文化が豊かにあったことを指摘した網野善彦の史学が完全に無視されていることである。

多様性を言うなら、網野史学をこそ参照すべきだったろう。

水田稲作や村落共同体も重要な要素ではあったが、あくまでone of themに過ぎないし、多様性を言うのであれば戦後の歴史研究で進んできたそれ以外の要素にも目を配るべきではないか。

 

 また、水田稲作の村落共同体だから日本に助け合いや支え合いの精神や伝統が存在しているという主張は非常に疑問である。

 たとえば、戦国時代においては、アルメイダらのイエズス会の人々のところに、大勢の貧しい病人やけが人や孤児たちが集まって来て、宣教師たちが治療や世話に当たったことが歴史に記されている。

要するに、当時の日本社会の助け合いの機能が機能不全で、そこからこぼれ落ちた人々が多数いたわけである。             

近代になってからも、貧民街の救済は賀川豊彦などのクリスチャンが主に行っていたし、鉱害問題への取り組みも田中正造のようなクリスチャンが行っていた。

はたして、中世や近代において、水田稲作文化が育んだ日本の伝統の助け合いの機能とやらが日本社会にどの程度働いていたのか、上記の事例を見ただけでも疑問に思わざるをえない。

これは今でも基本的に同じだと私の個人的経験からも思われる。ホームレス支援の炊き出し支援に何度かボランティアで行った時に、そこで見た炊き出しを実際にやっている人たちは、ほとんどクリスチャンか共産主義系の人々で、それ以外ほとんど見たことがなかった。

一年間のNGONPOに対する寄付金の総額は、アメリカと日本では桁違いにアメリカの方が多く、ボランティアやチャリティの活発さにおいて圧倒的にアメリカの方が優っていることも周知のとおりである。

社会福祉社会保障の点においても、畜産業が基盤の北欧の方がよほど日本よりも進んでいる。

水田稲作の村落共同体だったから日本社会には支え合いや助け合いの伝統が存在している、というテーゼは、非常に疑問に思わざるを得ない。疑わしい過去の伝統を持ち出したりせず、現在の政策として淡々と社会保障の必要性を実務的に主張する方が、付け焼刃の文明論を振り回すよりよほど枝野氏にはふさわしかったのではないか。

 

また、水田稲作の村落共同体における排他性や同調圧力の問題を無視するのはいかがなものかと思う。

農村内部での寄合や合意というのもかなり問題が多く、村八分という言葉が今にも通じるような要素を常に持っていた。

洪水があれば人柱を話し合いで決めて、弱い立場の人に押し付けていけにえに捧げることもあった。

また、水田稲作の村落共同体から外れた人々への抑圧や差別が中世や近世において極めて深刻なものだったことは、部落差別の歴史を少し見れば容易にわかることである。

日本の農村がいかに排他的なものだったかは、戦時中に都会から疎開した人々の多くの苦労話を見ても、一目瞭然だろう。そうした体験談や回顧談は、それこそありふれたもので枚挙にいとまがないが、たとえば小熊英二の『民主と愛国』にもいくばくか紹介されている。

多様性や合意を重視する枝野氏が、安易に日本の水田稲作村落共同体の美風のみを称揚する姿勢は極めて疑問に思わざるを得ず、プラスの面を見るのであれば、同様にその反面のマイノリティ抑圧の要素を見逃すべきではない。

日本が水田稲作村落共同体の伝統があるから合意を重視したというのもかなり疑問な話で、中世ヨーロッパの自治都市や近代ヨーロッパの民主制の方がよほど合意を重視しており、中世近世の日本の武家支配の社会は大多数の人間の合意など無視された上意下達の政治社会だった。

 

次に、多神教の問題について検討したい。

 

枝野氏は日本社会の最大の特徴は「多神教文明」にあるとし、日本では仏教もキリスト教も「多神教文明の中に同化しているのだ」と言い切る。

さらに、こうした多神教だからこそ、多様な存在を容認し、一つの価値を絶対視せず、異なる価値に寛容な多様性ある社会を伝統としてきたし、「排他的で多様性を認めない文明」ではなく、自分とは異なった価値を認め、多様性を認める社会だった、と主張する。

 

上記の主張には、極めて疑問を持たざるを得ない。

まず、「寛容」という言葉自体が、そもそも16-18世紀の西欧において、熾烈な宗教戦争の歴史の中で彫琢されてきた概念であり、もともと日本には寛容という概念そのものが存在しなかった。明治以後の翻訳語である。

実体としても、日本の歴史の中において、宗教弾圧の歴史は多く存在する。

後鳥羽上皇の時代における念仏弾圧や、戦国時代の一向一揆に対する織田信長による過酷な虐殺や、江戸期の薩摩・人吉における念仏弾圧もあるし、切支丹弾圧は言うまでもない。明治維新後には廃仏毀釈も起こった。

たしかに、神道と仏教が神仏習合という形で混淆をしていたのが日本の中世であるが、これを寛容と呼ぶのは極めて疑問である。

むしろ、神道と仏教が融合し、その頂点に天皇が存在する日本独特な形で成立した多数派の宗教が存在し(このことを山本七平は「日本教」と呼んだ)、この形に異議を唱えるものは容赦なく弾圧されたのが日本の歴史である。

日本教」というのは、日本のマジョリティが自分たちを寛容で無宗教だと言いつつ、天皇制と多神教を当然の前提とし、そこから外れたものに対しては容赦なく牙を剥くあり方であり、そうした歴史を知っている人やマイノリティは、そうしたあり方に警戒を持つのは当然であろう。

日本教はあくまで日本教の範囲内での寛容に過ぎず、偽の寛容としか呼びようがないものである。

天皇制と多神教という日本のマジョリティが前提としているものからはみ出たものに対して非寛容であるにもかかわらず、あたかも自分たちは寛容で一神教は排他的だと表象するのは、真実の寛容とは呼び難い。

切支丹や日蓮宗不受不施派や一部地域における浄土真宗がいかに過酷な弾圧を受けたか、また神道の仕組みの中で穢れが多いとされた人々がいかに恒常的な抑圧と差別を受けたかを考えれば、近世の日本がとても寛容だったとは言えまい。

近代においても、国家総動員体制の中で日本教的なありかたに背くと考えられた社会主義者キリスト者などがいかに弾圧や抑圧を受けたかを考えれば、寛容とは正反対の特質を指摘せざるを得ない。

日本教をもって寛容だと主張するのは、本当の意味で他者のバックグラウンドや多様性について真面目に考えたことがないのではないかと危惧される。

 

さらに言えば、日本の歴史と文明を形成してきたものとして、多神教である神道は一つの要素ではあるが、あくまでone of themに過ぎない。

神道は実存的な宗教としてはほとんど無内容なので、日本で長く実存的な救済や道徳を担ってきたのは仏教だった。

そして、仏教のうち最も広がった浄土真宗一神教的なものであり、禅宗無神論的なものである。日蓮宗多神教的ではあるが、排他的なものの典型である。

近世以降、道徳や倫理を主に担った儒教は、無神論的ないし一神教的なものである。

近代以降においては、田中正造中村哲をはじめ、日本人の精神史に最良の刻印をしてきた人々の多くはキリスト教であった。今の千円札の野口英世も、かつての五千円札の新渡戸稲造キリスト教である。

日本の文明を実質的に担ってきたのは、むしろ神道以外の上記の諸要素と言える。しかも、そうした最良の精神史を形成してきた人々の多くは、むしろ多神教文明の中に同化せず、一神教的芯を貫いたと言えよう。

 

神道は、はっきり言って人間への洞察や道徳意識が未発達なものである。

それは延喜式の中の天津罪・国津罪の雑然とした内容を見れば一目瞭然である。

敗戦直後は、日本における道義の未発達の原因は多神教神道にあると深刻な反省が行われたものであるが(矢内原忠雄の著作など)、枝野氏の歴史観にはこうした戦後の思想や学問の真剣な探究の成果は一顧だにされておらず、全く反映されていない。

戦時中の日本で多くの非道や無道が行われ、それを止める人が甚だ少なかった理由の一つは、道徳意識がろくに存在しない多神教神道と、同調圧力と保守的気質に満ち満ちた農村の伝統的な精神的ありかたにあったということは、敗戦直後は随分批判されたことだが、そうしたことは一切枝野氏の念頭にはないようである。

先の大戦において戦犯として罪に問われ、巣鴨プリズン等において真剣な思索を行った死刑囚のほとんどは、浄土真宗キリスト教によって(一部は日蓮宗などによって)、自らの生と死について立ち向かっていたことは、『世紀の遺書』などを読めば一目瞭然であり、神道はほとんど何の影響もない。

人生において真実を追求し、深い淵に立ったものは、必ず唯一の真実の神ないし絶対者を求めるものであり、日本においても実は一神教ないし一神教的なものこそが真実の支えであったことは上記の事例を見ても明白である。

中世や近世においてまっとうな庶民が信じていた「お天道様」というのも、漠然と一神教的なものであった。江戸期の武士が敬っていた「天」も漠然と一神教的なものであった。人間が本当に絶対者と我と汝の関係に入るには、一対一しかありえない。

こうしたことを考えれば、多神教を称揚し、しかも多神教は寛容だなどと安易に主張している人は、そもそもどこまで歴史を知っているのか、また人生において生死をあまり真摯に考えたことなく、考える必要があるほどの苦労がなかった浅い人物なのではないかと危惧を抱かざるを得ない。枝野氏自身が同書の中で、311の震災対応において「天命」を意識したと言っていたが、その天命における天とは多神教的なものなのか一神教的なものなのか、自問すればおのずとわかるはずである。

 

ついでに言えば、水稲稲作農業の文化文明だから多様性と助け合いの文明社会だ、といった主張は、おそらく両方読んだことがある人が少ないので気づかれない場合が多いのかもしれないが、安倍晋三氏の『美しい国へ』と全く軌を一にする。

安部氏の言葉で言えば「瑞穂の国の資本主義」ということになるが、枝野氏の歴史観はこれと基本的に違いはない。要するに、実際の政治政策に違いはあるとしても、典型的な日本教の枠内に、両者の歴史観や宗教観は含まれると言えよう。

しかし、多様性と支え合いということを言うのであれば、一神教キリスト教が基盤のドイツの方がはるかに日本よりも難民を受けている。一神教キリスト教が基盤のアメリカの方がはるかに社会的文化的な多様性があり、慈善も盛んである。一神教キリスト教が基盤の北欧の方がはるかに助け合いや社会保障が浸透している。多神教の日本よりもそうであるとしか言いようがない。

ズルズルの多神教と似非寛容が日本をだめにしてきた原因だということをはっきり認識して、それをこそ批判し克服しないと、どうにもならないのではなかろうか。

枝野氏としては、多数派の取り込みのために付け焼刃で文明論や歴史論を論じてみたのかもしれないが、一神教的芯を持たない人間は、いかに時流や大衆に阿ろうと、最終的にはあまりうまくいかないのではなかろうか。

もし明治150年の歴史を保守するという自民の主張に対抗するために1500年の歴史を持ち出したかったというのであれば、1500年の歴史についてもう少し深い思索を行うべきであるし、近代の150年の歴史の中で、自民が持ち出すのとは異なる歴史や伝統を打ち出すべきではないか。

戦前からの民権を求める流れや労働運動やキリスト教社会主義や、戦後の革新の歴史の中の良質な部分をこそ、保守的な明治150年を相対化するもう一つの良質な日本の伝統や歴史として打ち出すべきで、無内容な1500年の歴史やら水稲稲作やら多神教を打ち出してみずからを保守と言ってもあまり意味はあるまい。

 

日本の政治が回復し活性化するためには、自民党以外の野党を強化する他はなく、その意味で枝野氏や立憲民主党にはがんばって欲しいと個人的には思うのだが、立憲民主党の一番の弱点は歴史観や思想性が弱い点であり、その弱点が露呈したのが『枝野ビジョン』の第一章のなのだと思う。真剣に今後その充実を図って欲しい。

本人があまり深く古典を読む時間がなくても、古典をよく知っている知識人が周辺にいて助言を求めるだけでだいぶ違うと思われる。優れた知識人で、枝野氏が尋ねれば、求めに応じる人は数多くいると思われる。

政治家が宗教や歴史や文明を論じる時は慎重であるべきで、もし著書に何か書くならば、しかるべき有識者やブレーンに必ずチェックしてもらった方が良い。でなければ、一切触れない方が良い。総理をめざすのであれば、なおのこと。

枝野幸男著『枝野ビジョン』の浅薄な宗教観に失望

今日、枝野幸男著『枝野ビジョン』を購入し、甚だ失望せざるを得なかった。

政策面ではさほど違和感はないのだけれど、「日本社会の本質は多神教」などと帯にも書き、多神教=寛容という浅薄な宗教観が披瀝されているのに驚き呆れ果てた。

宗教についてはむしろ何も書かない方が良かったのではないか。

 

そもそも「寛容」という言葉は16世紀17世紀の激烈な宗教戦争の時代を経て、西洋の中で彫琢されてきた概念である。

多神教が寛容などというのはいかに誤謬かは、中国における三武一宗の法難や、日本においても念仏弾圧や切支丹弾圧や廃仏毀釈を見れば一目瞭然である。

 

また、日本社会の骨格をつくってきたのが多神教というのも極めて浅薄な総括であり、浄土真宗一神教的であるし、儒教無神論的あるいは一神教的なものであった。

近代日本社会におけるキリスト教の影響は極めて強かった。

 

政治家について見ても、勝海舟原敬吉田茂大平正芳など、最も優れた政治家は皆クリスチャンだった。

多神教が日本の骨格をつくったなどというのは、極めて浅薄な総括としか言いようがない。

 

そもそも、折口信夫のような神道に格別の思い入れのある人物自身が、「神道の新しい方向」という著作の中で、日本の神道は八百万や多神教といったものではなく、根本精神において一神教ないし数神に帰するものだと明言している。

 

おそらく枝野氏はあまり深く考えず、悪気もなく日本社会は多神教などと言っていたのだろうけれど、宗教に深い見識がないのであれば沈黙している方がまだしも良かったろう。

およそ真面目に宗教について考えたことがない不見識が露呈したに過ぎないとしか言いようがない。

 

私は、枝野氏がこのような発言によって、主の祝福を失い、主の怒りを買わないかを心配し、痛ましく思うばかりである。

私自身もサムエルがサウルを見捨てたような気持にかなり傾いている。

書籍が飛ぶように売れて有頂天になっているのかもしれないが、私は氏のために悲しみ憂いる気持ちしか起きない。

 

 

八幡宇佐宮託宣集を読んでいてのメモ書き

八幡宇佐宮御託宣集を読んでいたら、八幡の三つの宮を法体・俗体・女体とし、それぞれ断悪修善・正直憲法大慈大悲の徳を現すと記してあった。中世の神仏習合の頃の、仏教の影響が濃い解釈なんだろうけれど、中世の日本人はそんな風に考えて、そういう意味付けでいたんだろうなぁとは思う。

また、筥崎宮には「戒定慧」の筥が埋められてある、と八幡宇佐宮御託宣集の巻二には、何か所か書いてあった。中世の頃にはそう信じられ、そう思われていたということなのだろう。

 

また、田布江、鷹居、郡瀬、太祢河、酒井、乙咩浜、馬木嶺、安心院、小山田、菱形池の移動のことは興味深かった。

薦八幡や大分八幡の話も興味深かった。

 

また、八幡は三千の眷属が、若宮は九万九千の眷属がおり、あわせて十万二千の眷属がいるというのも興味深かった。

 

法蓮の日想観の話や、仁聞菩薩の話なども興味深かった。

 

 

他も、いろいろ興味深い言葉をメモしてみた。

 

 

 

 

神勅に云く、八正道より権迹を垂る。故に八幡大菩薩と号くと云々。

 

我一所に住み坐して、法界衆生利益の願を発さむてへり。

 

大菩薩、馬城の峯に御垂迹して言く。

今より我が山には、修験人は有るべからず。尚我が山には、名聞得行を求む者、富貴官位を求む者、七宝如意を求む者、又は天下国王・大臣、君の百官を儲け申さむ念をば成就せしめ、盗賊火難を除かん。弁財高智を得んと祈祷せん時は、此れこの三石を用ひ身と成し、木水を意と成すてへり。

 

吾は慈悲を以て、本誓と為す。

 

吾が躰は、有もまた空もまた、只正道を以て躰と為すてへり。

 

得道より来(このかた)、法性を動かさず。八正道を示し、権迹を垂る。皆苦の衆生を解脱するを得、故に八幡大菩薩と号く。

 

八正道より迹を垂る。故に八幡と申すと。

 

吾は是れ、護国霊験威力大自在王菩薩なり。吾、社中に住せず。我、四維に風に当り、ふき到らん所の群類、併(しかしなが)ら済度せん。吾、万(よろづ)の方に灌ぐ雨の、流れ到らん処の有情を、悉く利益せんてへり。

 

明日の辰時を以て、沙門と成つて、三帰五戒を受くべし。今より以後は、殺生を禁断して、生を放つべし。但し国家の為に、巨害有らん徒出で来らん時は、此の限に有るべからず。疑念無かるべしてへり。

 

我体は有もまた、空もまた、正道を以て体と為すと。

 

汝、無上の道心を発すべし。吾も亦発すべきなり。又無上の道心を発さん人をば、守護すべきなりてへり。

 

 

一念も吾が名を唱へん者は、敢て空しき事無きなり。現世には思に随つて、無量の財宝を施し与ふべし。後世には善所に生れて、勝妙の楽を受くべきなりてへり。

 

我大いなる慈悲を以て室と為し、柔和忍辱を以て衣と為し、諸法の空を以て坐と為すべしてへり。

 

昔我天の下国土を鎮護(しづめまもり)始めし時に、戒定慧の筥を、彼の松原の所に埋め置くなり。すなわちその名を筥崎とは号くなり。

 

古吾は震旦国の霊神なり。今は日域鎮守の大神なり。吾は昔は第十六代帝皇なり。今は百王守護の誓神なり。先には独数万の軍兵を率し、償つて隼人を殺害して、大隅・薩摩を平げり。後には此等の生類を救はん為に、三帰五戒を持んと思ふてへり。

 

一。又筥崎宮の三所とは、一殿は八幡、二殿は聖母、三殿は竈門なり。これに就き、延喜の神託の如くんば、竈門は我が伯母なりと云々。今の次第の如くんば、竈門は御弟に相当り坐すか。法体は断悪修善の形、俗体は正直憲法の義、女体は大慈大悲の色なり。

 

我多く隼人を殺しつ。其の罪障山岳の如し。衆罪霜露の如し。沙門と成り、持戒して、罪障懺悔の為に、霜露に打たるるなりてへり。

 

ありきつつ きつつ見れども いさぎよき きよき心を われわすれめや

ETV 「エリザベス この世界に愛を」

今日(4月17日)の夜11時から、ETV「エリザベス この世界に愛を」の再放送があるそうである。

「エリザベス この世界に愛を」 - ETV特集 - NHK


以前の放送の時に見たが、とても考えさせられる番組だった。
多くの人に見て欲しい。

在留資格がない外国人が帰国に応じない場合、入管収容所に入れられるが、その人数は数千人に及ぶそうである。
中には収容が三年以上の長期に及び、心身共に健康を害する場合も多く出て、自殺未遂やハンガーストライキも多発してきたそうである。

番組で特集されているエリザベスさんは、ナイジェリア人のクリスチャンの女性で、収容されている人々に電話をかけたり面会に行って、ひたすら愛を送ることを心がけている様子が、この番組でとても印象的だった。
その祈りが熱烈である様子も映っていて、心に響くものがあった。
「愛を示して欲しい」というエリザベスさんの訴えは、理屈を抜きにして、とても心に響くものがあった。
いかなる人も尊重され、愛を示されるべき存在であることを考えれば、日本のこの入管収容所をめぐる現状は早急に改善や是正が必要な部分があると思われる。

いま進められている入管法改正が、杓子定規にこれらの不法滞在とされる人々を切って捨てるものとなるのではなく、人間として愛を示すことができる方向のものとなることが願われてならない。

昨年、アメリカではブラックライブズマターの動きが盛り上がったけれど、日本もまた、同様に、大切にされるべき人命や人権が、ともすれば十分に大切にされていない事例は、まだまだたくさんあるのだと、この番組を見てあらためて痛感させられた。